【長州藩の志士】好きな偉人ランキングTOP23! 第1位は「高杉晋作」に決定!【2021年投票結果】

Tweet
Share
LINE
Hatena

 7月7日から7月20日までの間、ねとらぼ調査隊では「『長州藩の志士』で好きな人は誰?」というアンケートを実施していました。

 投票対象は、長州藩の志士23人。好きな人物が選択肢にない場合は「その他」に投票していただき、コメントで人物名を教えてもらいました。

 今回のアンケートでは計703票の投票をいただきました。たくさんのご投票、ありがとうございます! それでは結果を見ていきましょう。

advertisement

第10位:井上馨

 第10位は井上馨でした。伊藤博文らと共にイギリス留学した長州藩士の一人で、留学の経験から海外と日本の国力の差を痛感し、帰国後は開国論を提唱。明治維新後は外務大臣や農商務大臣などを歴任し、日本の資本主義発展に貢献しました。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館
advertisement

第9位:吉田稔麿

 第9位は吉田稔麿です。高杉晋作や久坂玄瑞と共に、松下村塾門下の三秀と称されました。兵学を究めたことで知られていますが、池田谷事件での新撰組との戦闘で命を落としました。

Amazon.co.jp

吉田稔麿 松陰の志を継いだ男 (角川選書)

一坂 太郎
4,670円(12/18 19:06時点)
Amazonの情報を掲載しています
advertisement

第8位:伊藤博文

 第8位は伊藤博文でした。若い頃は高杉晋作や桂小五郎らと共に倒幕に加勢し、明治維新後は英語力を買われて要職を歴任した後、初代総理大臣に就任。その後生涯で4度も総理大臣を務め、立憲政治の仕組みを築き上げました。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館
advertisement

第7位:山縣有朋

 第7位は山縣有朋でした。明治維新後、陸軍創設に関わったり徴兵制を導入したりするなど、軍の近代化を推し進めた人物。陸軍軍人として活躍したほか、第3代および第9代総理大臣も務めています。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館
advertisement

第6位:山田顕義

 第6位は山田顕義でした。若干25歳にして戊辰戦争で討伐軍の指揮を執り、その活躍ぶりから西郷隆盛に「あの小わっぱ、用兵の天才でごわす」と称されたそうです。その軍才から“小ナポレオン”とも呼ばれています。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館
advertisement

第5位:久坂玄瑞

 第5位は久坂玄瑞でした。松下村塾門下生屈指の秀才として、高杉晋作と共に「識の高杉、才の久坂」と称された人物です。吉田松陰の死後にはその思想を受け継ぎ、藩の方針を尊王攘夷に転換させるなどの功績を残しました。

Amazon.co.jp

久坂玄瑞:志気凡ならず、何卒大成致せかし (ミネルヴァ日本評伝選)

一坂太郎
3,850円(12/18 19:06時点)
Amazonの情報を掲載しています
advertisement

第4位:大村益次郎

 第4位は大村益次郎でした。長州藩の参謀として戊辰戦争で藩を勝利に導いたり、明治維新後は新政府の兵部大輔(兵部省の実質的トップ)として軍の近代化に努めたりと、主に兵学の分野で手腕を発揮した人物です。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館
advertisement

第3位:吉田松陰

 第3位は、得票数75票の吉田松陰でした。吉田松陰は、数多くの優秀な志士を輩出した「松下村塾」を開いたことで有名な人物です。

 松下村塾で将来の日本を担っていくような人材の育成に努めていましたが、幕府が無勅許で日米修好通商条約を結んだことを痛烈に批判し、さらに老中の暗殺まで計画。死を恐れずに倒幕の考えを語り続けた結果、死罪となりこの世を去りました。

 コメントでは「長州無くして維新回転なし、吉田松陰無くして長州の維新回転無し」との声が寄せられていました。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館
advertisement

第2位:桂小五郎(木戸孝允)

 第2位は、得票数90票の桂小五郎でした。桂小五郎は長州藩の代表として薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通と薩長同盟を結び、倒幕を成功させた人物の一人です。

 明治維新後も新政府の中心を担い、五箇条の御誓文の起草や版籍奉還、廃藩置県など、近代国家の礎となるさまざまな政策に携わりました。コメントでは「彼が脳病で倒れなければ、明治政府はもっと良いものになっていたはず」「この人が長州を引っ張っていたと思います」などの意見がありました。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館
advertisement

第1位:高杉晋作

 第1位は、得票数227票の高杉晋作でした。高杉晋作は品川に建設中の英国公使館を焼き討ちしたり、関門海峡で外国船を砲撃するなど、尊王攘夷派の中でも特に過激な思想の持ち主です。

 1863年には身分を問わず参加できる「奇兵隊」を立ち上げて討幕運動の中心人物として活躍しますが、肺結核によって明治の世を見ることなく若干29歳にして亡くなりました。

 コメントでは「高杉晋作、一択しかないです」「高杉晋作こそ救国の英雄」といった声が寄せられていました。

「近代日本人の肖像」国立国会図書館

 ランキングの全順位は、次のページからご覧ください!

※本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

関連タグ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.