空想都市「中村市」へようこそ――地図と想像のはざまで:空想地図職人インタビュー(1/2 ページ)
空想都市「中村市」の精密な地図。それは、何気ない日常が描かれた絵だった――。『みんなの空想地図』を刊行した“地理人”こと今和泉隆行さんに空想と想像の世界を聞いた。
架空の都市の地図を描く——。そんな一風変わった地図職人がいる。先日放映されたテレビ番組「タモリ倶楽部」では“ひとり国土地理院”として紹介され、細部まで作りこまれた空想地図が話題となった今和泉隆行さんだ。地理人とも呼ばれる今和泉さんの初著書『みんなの空想地図』の発売に合わせ、本人にお話を伺った。
今和泉隆行が“地理人”となるまで
―― 最初に、今和泉さんご本人について。地理人さんはなぜ地図に関心を持つようになったのでしょうか?
今和泉隆行さん(以下今和泉) 休日、父と路線バスで、行ったことのない場所に行く習慣がありました。当時、横浜駅至近のマンションに住んでいたのですが、そこから行ける路線で郊外の団地に行って、ただ帰ってくるだけです。
建物ばかりで空が狭い世界から、空が広い、緑の多い世界は印象に残り、また、非日常(観光)ではなく、そこを日常とする人もいるわけで、いま思えば、未開の日常を開拓している気分でした。引っ越しの新生活で見知らぬ土地が日常になっていく第一歩と似ています。
この未日常へのワープの全体像、途中の風景の記憶をつなぎとめるのが、バス路線図でした。路線図を広げると、ほかの未日常もある……また行きたいところが増え、また乗りに行くのでした。やがて、バス停やバスのルートだけが描かれた路線図から、バスに限らずあらゆる情報が凝縮された都市地図へと興味が移っていきます。
―― 今和泉さんのWebサイトには「地図で描かれる都市は現実逃避の舞台である」とあります。空想都市への現実逃避とはどのようなものになるのでしょうか。
今和泉 わたし自身、現実逃避したい衝動は多々ありましたが、現実離れした世界は苦手でした。例えばファンタジーの世界は、わたしが生きていけるような気がしないし、テーマパークやリゾートは、日常あっての非日常……日常生活の収入と縁が非日常を支えます。また、多少の現実逃避は「プチ家出」のようなもので、結局現実に帰ってくることになります。ただ、わたしは本格的に逃避したいので帰って来たくない。プチ家出でも家出でもなく、(5歳からは東京都在住なのですが)東京を捨てて、日常まるごと引っ越したい。そう思ったときに、現実的な現実逃避の舞台を求めていました。
とはいえ、中高生まではお金がなく、そこまで自由に動けないので、その舞台をどうにかして作れないものか……その衝動の先にあったのが、空想都市、都市を描くための手段が地図でした。やがて大学生になり、少々の自由を得ると、東京脱出のため、47都道府県の主要都市を、住んだつもりになって回りました。これも1つの、現実的な現実逃避でしたね。
「空想地図」とは?
―― 次に、空想地図について。都市地図は読むことでその都市の営みを想像できますよね。空想地図は逆に、地図を描くことで空想都市を想像していく作業なのでしょうか。
今和泉 そうですね。描きながら想像していく作業です。ただ、地図を読むのと逆の行為ではなく、描いて、読んで……を絶えず繰り返します。描いてみた地図を見て(読んで)、その(地域の)様子を想像します。その周辺にあるもの、影響を受けたもの、後背にあるものは何かと、また想像します。まだ描かれてない地域はまた描き、想像の結果整合性がとれなかったら描き直します。描いて、読んで、描き直して、また読んで……の繰り返しで、いまの地図(8訂版)でも多い箇所では6回書き直していますね。
―― 地図と空想地図の違いはどんな部分なのでしょうか。
今和泉 決定的な違いはもう言わずもがなですが、その地がどこにも存在しないことです。地の図なのにその地は存在しない、言ってしまえば地図風の絵です。
―― その違いは、何をもたらすのでしょうか。
今和泉 まず現在地と目的地が存在し得ません。そしてそのための最短距離を探して実際に歩くことがありません。いわゆる「地図が苦手」だと思っている人の苦手要素が実はないんです。後は誰もここの土地勘がある人がいないし、何しろ正解がない。好き勝手妄想して良い訳です。地図より空想地図は見る人にも参入障壁は低く、見る人にとっても、より自由な想像ができるだろう、と思います。
―― そういった空想地図の強みは自覚していましたか?
今和泉 いえ、まったく。何しろ元は一人の趣味でしたから。わたし自身、このことには後で気づいたんです。なぜか地図が苦手な女性でも、のめり込む人が結構いるのが不思議でした。空想地図を前に地図の世界へいざなうと、結構前のめりについて来るんです。こんなに知らない土地の地図見て楽しめるなら、知らない地方都市の地図でも楽しめるのに……空想地図を見た後だと楽しめる人もいるんですが、突然地図を広げてもこうはならないんです。ふいに得体の知れないキャッチーなものを見た衝撃もあるかもしれませんが、現実の地図は、苦手意識があると最初からどこかシャットアウトしてしまうのかもしれませんね。
―― 存在しない都市を描いたものとして、都市計画の計画書のようなものが思い浮かびます。空想地図とは、理想都市の顕現といえるのでしょうか?
今和泉 理想都市ではないです。現実の都市は、なかなかうまくいかない話が尽きませんが、空想都市「中村市」も同様に、そんな現実を映しています。都市計画図は都市の設計図ですが、実現には数十年単位の期間を要します。また、交通渋滞などの都市問題を解決するために開通した道路により、ほかの都市に人が流出したり、市街地が空洞化する例もあります。
例えば六本木ヒルズは、東京都心を高層ビル化する理想を掲げる森ビルによって再開発されています。一方で、古い建物や街並みの保全に重きを置く人もいます。目指す理想は人それぞれで、それらが対立することもあります。多様なセクタが右往左往しながら動いていく、都市という生き物の生態を、都市地図という形態で描いています。
―― それでは、現実の人の営みもまた空想地図に反映されているのでしょうか。
今和泉 そうですね、道路の計画はあるが立退きが進まず途中で途切れている道路、工場が撤退して再開発したところ、工場は稼働中だが業績が芳しくなく敷地の一部を切り売りしてマンションにしているところ、スーパーチェーン店同士の競争、その地域ごとの住んでいる人たち(アイデンティティ)の違い、風景、歴史……あらゆるディテールを想起できるよう、細密な情報をなるべく盛りこんでいます。これは現実の都市を見る際にも言えることですが、複合的に絡めてみていくと面白いと思います。
―― 今和泉さんは表現としての空想地図をどうとらえておられますか?
今和泉 例えば写真1つとっても、証明写真のような実用的な用途から、集合写真のような記録的な目的、写真家が表現として撮る作品まで、その目的は多様です。地図は実用的な目的で使われることがほとんどですが、表現手段としての地図もあり得ると思いますね。
―― 地図の表現手段の特徴とはどういったものなのでしょうか。
今和泉 写真、文章、ダンス、演劇、映画、ドラマ、音楽……さまざまな表現の中で、地図は描く世界(対象範囲)を、均等、対等に映します。小説や演劇、映画など、ストーリーになっているものは、主人公はクローズアップされ、同じ都市空間にいるそのほかの多くの人はほとんど映されることがありません。見る対象、順番が規定されていることで、それ以外のものは見にくくなってしまいます。
ストーリーの主人公は、その世界のナビゲーターであり、その世界を読み解く切り口にもなります。しかし逆に、すべてを均等、対等に描いた地図は、見る順番を規定しないため、どこから見たら良いか分かりません。地図は「ここは見るべき」というところが拡大されていたり、そこの風景やエピソードが別途詳しく書いてあったりはしないので、切り口を自分で探し、ある程度の想像力で補う必要があります。そこが地図の難しいところです。
そこで、わたしが見る人と対話できるときは、なるべく見る人の地元の感覚に置き換えて見てもらいます。幸い、全国の地方都市に行ったおかげで全国ある程度の地元ネタにはついて行けるので、わたしが見る人の地元感覚と空想都市の土地勘をつなげていきます。地元のモノサシで、見る人が主人公になって、ためしにここに住んでみたらどうなるか、シミュレーションしてもらいながら入っていく……こんなナビゲートをすると、すっと入っていくことができます。
わたしがいないと入っていきにくい地図というのもちょっと課題があるので、なるべく切り口として入りやすいもの、ストーリーやほかの創作物も組み合わせて、入っていきやすい日常を作っていければと思っています。
―― 空想の世界を絵画や文学などの「作品」として発表するアーティストなども存在します。今和泉さんは自分の立場をどう置かれているんでしょうか。
今和泉 もともと、こんなに「表現」について考えたことはなかったんです。文学部からの経済学部出、その後IT企業の社員ですし、アート系の経歴はかすってもいません。以前は、地図を見た人から「この作品は……」と切り出されると、「いや作品じゃない、ただの地図だ」と切り返していましたが、そうか、同じ写真でもただの写真にも作品にもなり得るのか、と納得してから、作品といわれて否定しないようになりました。
幾つかの顔があって良いと思っていますが、基本形は、無色透明の「暇をみつけて地図を作っている人」です。ハイパーマルチクリエイターではないので、できる限りの範囲でですが。
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