「シャーロック・ホームズ」全60作品を自力で翻訳し、Web上で無料公開しているサイト「コンプリート・シャーロック・ホームズ」。サイト管理者である寺本あきらさんが、ホームズ作品に込められた“謎”を解読していく連載が始まります。
第1回は、ホームズ作品の挿絵を描いた画家「シドニー・パジェット」とその作品について。絵の構図や題材から見えてきた、ホームズの“神秘の妻”とは?
「私の『シャーロック・ホームズ』に挿絵を描いた画家と会う機会があれば、彼の挿絵にどれほど感謝しているか伝えていただければさいわいです」(コナン・ドイル)
『The Adventures of Sherlock Holmes (Oxford World's Classics)』より
ホームズ=イエス? ちりばめられた宗教画モチーフ
絵には「読み物」としての側面があります。礼拝堂を見上げて、宗教画の色彩と形を純粋に味わうのはすばらしいものです。しかし聖書の知識を前提に天井画を「読む」と二倍楽しい。そして「シャーロック・ホームズ」にも、あまり知られていない「読み方」があるのです。
挿絵画家シドニー・パジェットと、作家コナン・ドイルの出会いは、シャーロック・ホームズ短編作品「ボヘミアの醜聞」でのこと。最初の挿絵は、ホームズとワトソンの再会を描いた一見何の変哲もないものですが、西洋絵画の知識が少しあれば、この絵がカラヴァッジオの「聖マタイの召命」に着想を得ているらしいことが分かります。

シャーロック・ホームズが久しぶりに再会したワトソンの生活環境をずばりと言い当てて、ワトソンが驚く場面

カラヴァッジオ「聖マタイの召命」。左から二人目のひげをはやした人物がマタイ、右端で指さしているのがイエス(現在では左端の人物がマタイという説が有力)
二つの絵は、共にコントラストの強い陰影法(キアロスクーロ)を用いているというだけでなく、立っている「イエス/ホームズ」に対し、座って驚く「マタイ/ワトソン」という役割も共通しています。
しかも、描かれている場面が絶妙です。イエスは徴税人のマタイを指名すると、彼は直ちに同行し、イエスの偉業・奇跡を目撃して、それを福音書に書き残します。その役割は、ワトソンがホームズに同行し、超人的な捜査を目撃し、事件記録を書くのと同様です。マタイは福音書の最初の著者とされ、アトリビュート(持物)は「本」。そしてワトソンの近くには「本棚」が描かれています。
続いて2枚目の挿絵を見てみましょう。なぜかホームズが食卓にいるというイラストです。

「ボヘミアの醜聞」2枚目のイラスト。なぜかホームズが食卓にいる
ふだん肘掛け椅子にいることが多いホームズが、なぜか食卓の前に真っすぐ座っているのは妙です。加えて本文にも、食事や食卓についての記述はありません。しかし、最初の挿絵がホームズをイエスになぞらえていることから、これは「最後の晩餐」を模した絵だと分かるのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
「最後の晩餐」といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品がもっとも有名です。壁画で食卓の横側に立っている使徒を探すと、向かって左にいる「バルトロマイ」が対応しています。ところがワトソンの立ち位置はダ・ヴィンチの壁画とは左右が逆で、合致しません。

左がダ・ヴィンチ「最後の晩餐」のバルトロマイ、右がワトソン
ですがワトソンの頭をよく見ると、左側にあるはずの髪の分け目がこの絵にだけは、存在しません。

一番左の横顔は、上にある図の赤枠部分を拡大したもの。右二つの、他の挿絵の赤矢印のような「髪の分け目」がない。
こうした不審な点は、挿絵が「左右逆版になっている」と考えれば説明できます。挿絵にサインがないのも、逆版の特徴です。当時は版を作る手間を軽減するため、服や文字などの左右反転したときにおかしな見た目になってしまう目印がない絵の場合、逆版にすることは珍しくありませんでした。やはりこの絵はダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」の構図を借りて、ホームズをイエス、ワトソンを使徒の位置に据えたものだったと考えられるわけです。
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