
(C)2019 リムコロ/KADOKAWA/世話やきキツネの仙狐さん製作委員会
癒やされたい。肯定されたい。「世話やきキツネの仙狐さん」(原作/アニメ)は、ブラック企業に勤める男性が、神使の狐に何もかも全て癒やされていく、人間全肯定アニメ。優しい空間が覆いかぶさってくる、ある意味現代日本を象徴するような作品です。

今日も遅くまでお疲れ様じゃ
原作の第十七尾は、「仙狐さん」の主軸になるテーマが見られる、傑作回の一つ。現代日本の「癒やし」とは何かが、ぎゅぎゅっと詰まった内容。そしてちょっとヘビーめのこれを、最終回ではなく直前に入れてくるアニメスタッフに、大拍手。

なかなか部屋にのれんはかけないですね(3巻)
疲れて帰ってきた時、待っていてくれる人がいる、というのは最高級の癒やし。仙狐さんさすがそのあたりわかっているようで。
今はほぼ見かけない、三つ指ついてお出迎えスタイル。なんかうれしいのを通り越して、申し訳なくなります。仙狐さん自体ものすごーく古くからの存在なので、昔の人間のマネをしているのでしょう。もっとも仙狐さんの場合、世話するのを楽しんでいるので、この行動は「やってみたかった」の方が強そう。

晩酌って言葉最近使ってないなあー(3巻)
そこですかさず、「割烹着がよくお似合いです」と言う中野。なかなか言えないですよこれ。仙狐さんが一方的にあれこれするだけでなく、中野もすっと感謝や褒め言葉をかけられるから、より円満な生活が送れているようです。
甘える・甘やかすの関係って、依存ではいけない。お互いを満たし合うギブアンドテイクだからこそうまくいくものです。
よく頑張ったのう
中野はずっと働きづめの、いわゆる社畜。ただ彼の仕事の様子はほとんど描かれないので、何をしているのか、いまいちよくわかりません。残業だらけで、帰宅は毎日終電、休日もほぼない、というところくらい。
問題のある仕事ってどこからなんだろう? 中野の会社はブラックなんだろうか? 彼が疲労困憊する何かがあるんだろうか?
頭に浮かぶこの問題に、ついに踏み込みます。

具体的です(3巻)
今まで全く仙狐さんには話さなかった、仕事の具体的な悩み。ただ仙狐さんは現代人じゃないので、言われてもちんぷんかんぷんです。
現代人はこのセリフを見れば……理不尽なパワハラのようなものを感じるはず。同じ経験をして胃が痛い人も多いであろう話。サビ残はよくない……けどしないようにするのって、なかなか難しいんだよなあ。
ただ、明らかなひどいパワハラかといわれると、なかなかギリギリのライン。例えばこれが「なんでお前はできないんだ、グズだな!」みたい罵詈雑言だったらアウトなのですが、そこまでいかない。
社会人になると、どこからが無理なのか、どこまでが甘えなのか、わからなくなってしまうものです。

「無理」は、しているときにはわからないもの(3巻)
「自分を甘やかす」のは、人によっては非常に難しい。中野「ダメですねこのくらいで弱音吐いて…俺より大変な人も沢山いるのに…」
社畜体質、ブラック企業問題でネックになるのが、まさにこの感想。真面目であればあるほど、自分を先に責めてしまいがち。確かに中野の状況よりも厳しい人は絶対いる。ここで「そんなことないよ」とつい言いたくもなりますが、仙狐さんの言葉はもっと特別でした。
仙狐さん「疲れてるときも他人に気を遣えてえらいのう」
仙狐さんはまず今の社会の現状を知らない。彼が言う「俺より大変な人」がいるかどうかわからない。そこについて無責任な発言はできない。
だから、現状目に見える、間違いない部分を指摘しました。しかも言葉に「〜〜ではない」という否定的な発言がありません。中野は、気を遣えて、えらい。彼が自らを責める発言を、長所だと言っています。

比較は必要ない(3巻)
仙狐さん「わらわはおぬしの気持ちが知りたいのじゃ」
二人で部屋にいる時、仙狐さんが肯定するのは、純粋に中野本人のことです。彼を何かと比較する要素は一つも入りません。
仙狐さん「わらわの前では何も我慢せんでよい 全部話して楽になってしまえ」

(3巻)
仙狐さん「辛かったのじゃろ」「大変だったのじゃろう」「よく頑張ったのう」
仙狐さんが苦しんでいる時に差し出すのは、助言や応援じゃない。肯定と受容。「全部話して」と言ったのに対して、中野は言いませんでした。でも普段敬語の彼が「うん」と赤子のように素直に言えたのは、ものすごい変化です。
自分は頑張れているのか。仕事の環境に難があるのか。そんなのどうでもいい。答えが仮にあっても、それを問う必要は今はない。シンプルな自分の感情を、見つめ直すのが先です。
中野の気持ち、「辛かった」「大変だった」という思いを、全部受け止め、肯定してくれる仙狐さん。
大抵の場合、なまじ経験を積んでいると、いろいろ頭をよぎって状況を比較してしまいがち。でも辛い時や苦しい時って、何かと比べても大抵何も改善されない。ただ聞いてくれる、そばにいてくれる、共有してくれるだけでいい。
仙狐さんは、多くは語りません。寄り添うだけです。それこそが、中野の心をどんどんほぐします。その後、子供のように仙狐さんのしっぽに抱きつくくらいに。
大人になると、何が努力なのか、どこまでが自分の限界なのか、わかりづらくなります。周りの人間と比較してしまうからです。
でもそういう時こそ、仙狐さんのこのシーンを思い出したい。辛いと思ったら、それは辛いのだ。大変だったと感じたら、それは大変だったのだ。
ぼくらのそばには、残念ながら仙狐さんはいない。でもこのシーンの「よく頑張ったのう」の発言は、見ている人全員に向けて仙狐さんが言った発言でもあると思うのです。
……そう考えられれば、来週の仙狐さんロスに耐えられるかなって。
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