故ポール・アレン氏が設立した沈船捜索チームが、沈んでいる日本海軍軍艦「加賀」の姿を公開しました。

沈船捜索チームは発見した場所と日時の詳細は明らかにしていません(2019年10月20日現在)。公式Facebookの投稿では捜索場所として「パパハナウモクアケア海洋ナショナル・モニュメント」(ハワイ諸島の北西方向に延びる500平方浬の海域)を挙げていますが、そこは加賀が沈没した海戦の場所となったミッドウェイ島から700キロ以上離れているところです。なお、日本側の記録ではミッドウェイ島から北西に300キロ離れた場所を沈没海域としています。
加賀は、1923年11月19日に「戦艦」として起工しました。本来ならば戦艦の数を制限するワシントン軍縮条約(関連記事)の成立で、加賀は同型艦の土佐と共に射撃訓練の実艦標的として沈むはずでした。しかし「赤城」と共に巡洋戦艦として起工して空母として改装することになった天城が関東大震災で破損破棄となったため、その代わりに空母として改装することが決定します。そして、1928年3月31日に日本で赤城に次ぐ日本で2番目の「大型空母」として就役します。

巡洋戦艦を改装した赤城と比べて、戦艦を改装した加賀は速度が遅く全長も短いため、空母としては運用にとても苦労することになります。これは、新造時に採用した「三段甲板」という構造にも問題がありました。そのせいもあって、1934年6月から1935年6月の1年間をかけて佐世保海軍工廠で近代化改装工事を実施します。
この工事で、艦の全長より長い、後に「信濃」が現れるまでは日本海軍で最も広い飛行甲板を備ました。さらに、こちらも日本海軍で最も容積のある航空機格納スペースを用意して、搭載機は91機、ある資料によると100機を超える運用も可能だったといいます。
また、赤城より多い高角砲連装8基を高い位置に搭載して「反対舷も射撃も可能」にするなど、近代改装工事以後の加賀の空母としての性能には、赤城を上回るものがありました。

今でこそ、赤城より地味な印象の加賀ですが、実は歴戦の空母でもありました。1932年に起きた第一次上海事変で、加賀は日本の空母として初めて実戦に投入されます。そのとき赤城は予備艦となって工事中でした。
1937年の第二次上海事変にも参戦(このときも赤城は近代化改装工事中)し、その後、太平洋戦争では真珠湾攻撃やインド洋作戦を経て(珊瑚海海戦に参加する計画もあった)、1942年6月にミッドウェー海戦に参加します。
この海戦で加賀は、米機動部隊の急降下爆撃機によって被弾し、発艦作業中だった攻撃隊の誘爆によって致命的な損傷を受けます(米潜水艦の雷撃も受けましたが命中した魚雷は不発でした)。
被弾から7時間後の6月5日14時50分(日本時間)、加賀は爆発を起こして沈没しました。日本側の記録では航空機用のガソリンタンクに引火して爆発したとありますが、生存者の証言によっては、味方駆逐艦の雷撃による自沈や、爆発せずに沈み、海底に向かって沈降中に爆発したなど、沈没した地点も含めて、2019年現在も定かではありません。

沈んでいた加賀の様子:飛行甲板や20センチ主砲、内部爆発で破損した箇所を確認
今回沈船捜索チームが公開した映像は、海底5000メートルで発見した加賀のごく一部だけに限られています。
映っている場所が限られることと、沈船捜索チームが撮影場所の詳細情報を明らかにしていないために完全な推測になりますが、公開映像には、加賀の飛行甲板前部支柱と前部甲板の一部(右舷側)、20センチ主砲と思われるものを確認できます。




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