「お役所仕事」──。

 残念ながら、エンタメやクリエイティブの世界において、国の施策はしばしばそう揶揄されてきました。「クールジャパン」という言葉が踊ったものの、現場にはあまり恩恵がなく、使いにくい制度ばかり……そんな冷めた視線があったことは否めません。効果を疑問視する見方も業界内外に強く、ある業界関係者は「こっちを向いて欲しくない」とまで言い切ります。

 ところが、2025年11月、経済産業省のある有識者会議で出された資料が、ネットや業界の一部でざわめきを呼んでいます。そこには、これまでの行政文書ではありえなかった、ある「原則」が記されていたからです。

「作品の中身に口を出さない」

 えっ、それ書いちゃう? と二度見したくなるような一文。

 今回は、この異例の宣言が飛び出した背景にある「過去のトラウマ」と、国がようやく重い腰を上げて向き合い始めた「エンタメ産業支援の現在地」について読み解いていきます。

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ライター:まつもとあつし

中学生のときに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』をみてしまい、そこからアニメにのめり込む。そのまま大人になり、IT・出版・広告・アニメの会社などを経て、現在はジャーナリストとして取材・執筆をしながら、大学でアニメを中心としたメディア・コンテンツの教育・研究に取り組んでいる。ゲーム、特にJRPGやマンガも大好き。時間が足りない。
公式サイト:http://atsushi-matsumoto.jp/
X:@a_matsumoto


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異例づくしの「5原則」

 話題になっているのは、経済産業省の「第8回 エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」で示された事務局説明資料です。ここで、今後のエンタメ政策における「5つの原則」が発表されました。

経済産業省「第8回 エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」事務局資料より

その5つとは以下の通り。

1:大規模・長期・戦略的に支援する
2:日本で創り、世界に届ける取組を支援する
3:作品の中身に口を出さない
4:真っすぐ届ける(※制度を簡素化し、利用しやすくする)
5:挑戦者を優先する(※ハイリスク・ハイリターンな取組を優先)

 これまでの「単発・小粒」で「手続きが複雑」だったクールジャパン戦略への強烈な反省が見て取れます。しかし、やはり異彩を放っているのが3番目の「口を出さない」です。

 なぜわざわざ、こんなことを明記する必要があったのでしょうか?

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「口を出さない」宣言の裏にある、過去の“トラウマ”

 公式資料では、この原則の理由について「クリエイターの表現の自由を保障するため」とさらりと書かれています。もちろんそれは正論ですが、業界を長く見ている人であれば、この短い一文の裏に「過去の経緯」への配慮、あるいは「防御策」を感じ取れるはずです。

 近年、公的資金とコンテンツを巡っては、いくつかの「事件」が暗い影を落としてきました。

 記憶に新しいのは、助成金の不交付を巡るトラブルです。出演者の不祥事を理由に助成金が取り消された映画『宮本から君へ』の訴訟(2019年取り消し決定 →2023年11月に最高裁で処分取り消しが確定)や、展示内容を巡ってやはり2019年に補助金が全額不交付となった「あいちトリエンナーレ」の一件などが挙げられます。

 さらに、厳密には補助金の問題ではないものの、業界関係者の脳裏に焼き付いているのが「国会での吊し上げ」の光景です。

 2020年2月の衆議院予算委員会第二分科会では、野党議員が人気アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』とJAなんすん(南駿農業協同組合)のコラボポスターをパネルで提示。「スカートのひだの陰影が性的に見える」などとして、公的な組織が扱うにふさわしいのかと政府側を厳しく追及しました。

 これらは主に文化庁(文部科学省)管轄の話ではありますが、クリエイティブの現場には「国のお金をもらうと、表現内容に干渉されるかも」「『公益性』という名のリスク審査が入る」という強烈な萎縮(トラウマ)を残しました。冒頭の「こっちを向いて欲しくない」という言葉は、こうした背景から出てきた本音です。

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「パワポ100枚」と「カネを払う方がエライ」構造からの脱却

 では、なぜ今回、新たな原則を打ち出したのでしょうか?

 そこには、日本の行政システムが抱える「スピード感の欠如」と、産業界が抱える「構造的な危うさ」への強い危機感があります。

 エンタメ社会学者の中山淳雄氏による記事(経産省・佐伯文化創造産業課長へのインタビュー)では、このあたりの事情が赤裸々に語られています。

 これまでの日本の予算は「積み上げ方式」であり、「これを使ったらどういう効果があるか」を細かく証明するために、「毎回パワーポイントで100~200ページもの資料」を作成する必要があったといいます。同じ発想で、補助金を受ける側も申請時と報告にかなりの量の書類を作る必要があり、そこでかなりエネルギーを使ってしまっていることは否めません。

経済産業省「第8回 エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」事務局資料より

 しかし、韓国やフランスなどの競合国がトップダウンで巨額投資を決める中、資料作りにエネルギーを費やしていては勝負になりません。今回の「制度を簡素化する(真っすぐ届ける)」という原則は、この「真面目すぎて遅い日本」を脱却するための行政側の改革です。

 そしてもう一つ、記事で佐伯課長が指摘するさらに深刻な問題が、「流通と制作のいびつな関係」です。佐伯氏は、欧州、例えばフランスなどでは、映画興行や放送・配信事業者といった「流通側」がお金を出し、制作を支援するエコシステムが構築されていると話します。「制作が止まれば、売るものがなくなる」という相互依存が機能しているからです。

 一方で日本の場合、どうしても「お金を払っている方(流通・発注側)がエライ」という意識が強固になりがちだと指摘します。

 産業界の自助努力だけに任せていると、資金力のある流通側の力が強くなりすぎ、バーゲニング・パワー(交渉力)の不均衡によって、現場である「制作側の基盤」がボロボロになってしまいかねない──。

 だからこそ、国が介入し、「大規模・長期的」に制作現場を直接支援する必要がある。今回の5原則は、単なるバラマキではなく、放っておくと崩壊しかねない「制作の足腰」を守るための産業政策を目指したものと読めます。

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「日本外し」の危機も

 国が「邪魔はしないし、お金も出す」と言ってくれるのは朗報です。これで日本のエンタメは安泰……と言いたいところですが、現場の課題はそれだけで解決するほど単純ではありません。

 いま、日本のアニメ産業は、もっと物理的な「供給不足」という壁にぶち当たっています。

 世界的に日本アニメへの需要が高まり続ける中、その成長エンジンである「原作」の供給と「アニメの制作リソース」が追いついていないという課題が顕在化しています。

 例えば、これまでアニメ化の強力な供給源であった「ジャンプ作品」をはじめとする日本のマンガも、高まる需要に対して供給力に限界が見え始めています。また、国内のアニメスタジオが手一杯である隙を突くように、米ワーナー・ブラザース・アニメーションと韓国のWebtoon Entertainmentが提携し、「日本を経由しない」アニメ制作ラインを構築する動きも見られます。

 これは、「放っておくと、日本以外の場所で、日本っぽいアニメが作られて、市場を奪われる」というフェーズに入っていることを意味します。

 こうした「原作不足」や「日本外し」といった、産業構造そのものに関わる深刻な課題については、筆者の別記事で詳しく解説しています。興味のある方はぜひ併せてご覧ください。

まとめ:「届ける」から「鍛える」への大転換

経済産業省「第8回 エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」事務局資料より

 こうして見ると、経産省が打ち出した5原則の意味がより鮮明になります。

「大規模・長期・戦略的に支援する」
→ 単発のイベントではなく、原作創出や制作体制といった「産業の足腰」を鍛えるため。

「作品の中身に口を出さない」
→ 官僚的なリスク管理で現場を萎縮させず、世界で勝てる「尖った作品」を生み出しやすくするため。

 これまでの政策の重点は「アニメをはじめとしたIPの海外展開」、つまり「海外へ届けること」に置かれていました。しかし、ネットワーク配信が普及した今、届けることは容易になり、むしろ高まる海外需要に応えきれていない現状があります。

 新戦略は、「届ける」ことよりも、根本的な「原作供給と制作力の資源そのものを鍛え上げること」へと大きく舵を切りました。世界が求める日本エンタメを、日本自身が作り続けられるようにする。「産業化」の本質はそこにあります。

 もちろん、美しい原則を掲げても、実際に使いやすい制度になるかはこれからの設計次第です。これまでのように支援を受けるのに手間が掛かりすぎたり、実際に作っている人たちとは異なる「中間事業者」に補助金の大半が降りてしまうような形になっては意味がありません。

 国は「口は出さないが、金と環境は全力で用意する」。現場は「その環境を使って、世界と戦う作品を作る」。この役割分担が機能するかどうかが、日本アニメの未来を左右することになりそうです。

※経済産業省「第8回 エンタメ・クリエイティブ産業政策研究会」の資料から参照・引用している箇所は、記事執筆時点の内容です。最新版の資料とは異なる場合があります。最新情報は公式の資料をご確認ください。