ねとらぼ

『雪の峠』の面白さポイント

 『雪の峠』のお話の中心は、主人公たる渋江内膳(しぶえないぜん。渋江政光/しぶえまさみつ)と、旧臣側に立つ梶原美濃守(かじわらみののかみ。梶原政景/かじわらまさかげ)の知恵くらべです。

 佐竹義宣の腹心である渋江内膳は、一見おっとりしているように見えて頭が切れ、政務に優れた有能な人物として描写されています。岩明先生の他作品でいうと、『七夕の国』の主人公である南丸洋二とちょっと雰囲気が似てます。

渋江内膳。『雪の峠』より引用(KCデラックス版・p.45)。

 内膳は、新しい城の建築場所として、港町である土崎にほど近い、窪田という地を提案します。その構想は、土崎との相互発展をも取り入れた、経済面でも統治面でも先進的なものでした。

 一方、内膳をはじめ、梅津兄弟など新進気鋭の若者を重用する義宣の方針が、旧臣たちには面白くありません。関ヶ原後の転封についての不満もあり、旧臣たちは客分の武将である梶原美濃守を巻き込み、内膳たちの計画に対する対案を出し、内膳案を潰そうとします。

梶原美濃守。『雪の峠』より引用(KCデラックス版・p.54)。

 美濃守の案は、仙北の金沢城を中心に、大規模な城郭を築き戦に備えるという、軍略を中心としたものでした。

 窪田と金沢、どちらを選ぶか。

 ここでは、ただ「城の位置」だけではなく様々な対立軸が描写されていまして、

・内膳と梶原美濃守の対立
・家中での統制力を強めたい義宣と、それに対抗する旧勢力の対立
・喧嘩をしたい旧臣たちと、なるべく家中を割らずに話を収めたい内膳たちの対立
・泰平の世と戦乱の世、どちらの時代に適応するかという対立
・「経済的な発展」という新しい考え方と、「戦乱に備えた軍略」という旧来の考え方の対立

 これら諸々の対立が、内膳と梶原美濃守を中心に繰り広げられるわけです。

 まず、「会議の流れ」と「それを利用した議論のコントロール、駆け引き」の描写が「うますぎる」のひとこと。

 当初、金沢案を推していた美濃守に対して、内膳は「金沢案では費用がかかりすぎる」ということを論証しようとします。ところが、内膳たちへの助け船として先代当主・佐竹義重(さたけよししげ)が口にした「横手」という地名をとらえて、美濃守は逆に金沢案を引っ込めて、「義重の案に乗る」という形で横手案を推し始めてしまうのです。

 この一連の流れ、まず美濃守の動き方がごくシンプルにうまい。美濃守たちの目的は飽くまで「義宣と近習(きんじゅ。主君の側に仕える人)たちの力を削ぐ」ことなので、別に金沢にこだわる必要はない。更に、単に「義宣案に反対する」という構図ではなく、「先代当主である義重案を称える」という構図になるように議論をコントロールしている。

 対立する相手の思惑を外し、文句のつけどころのないロジックで自分たちの目的を達成する、まさに戦上手。作中、美濃守は「上杉謙信とも面識のある、老練な戦上手」として描写されるのですが、その描写の面目躍如とも言える切れ者ぶりです。

 この後、家老の和田安房守(わだあわのかみ)が、内膳たちを諭す形で口にする言葉が、「内膳はただの『説明』をしていたが、老臣たちは『いくさ』をしていた」という言葉。

 この時、上の箇条書きでも書きましたが、ただ「城の位置の対立」だけではなく、「戦国の世と泰平の世の対立」「時代の流転」というものが議論に絡めて描写されているのがこれまた上手いんですよね。

 「戦国の世はもう終わった」という考えに基づく、未来を見据えた考え方が、戦場一筋だった旧臣たちには理解できません。この時、「戦国の世」のシンボルとして、美濃守が面識を得ていた上杉謙信が何度か持ち出されるのですが、一方、美濃守自身は「戦国の世は終わった」ということに、うすうす気づいており、しかし戦上手としての意地をかけて内膳案を崩しにかかる。

 これに対して、当初は「いくさ」を避けていた内膳が放つ逆転の一手。文句のつけようがないロジックに、更に文句のつけようがない展開を被せるその策略は、さすがに核心的なネタバレになるのでここで具体的に書くのは避けますが、「実際にこうする以外ないだろう」と思える点でこれまた驚くべき納得感だった、という点については触れさせていただければと思います。リアルで納得感があるのに「逆転」によるカタルシスもある、この描写力こそ本作の真骨頂だと思います。

 ちなみに、すべてが終わった後の内膳の建築案を美濃守が褒めるシーン、ここも爽快感満載で好き。

 これら全ての駆け引きが、最終的に「窪田の未来」に流れ込み、窪田=久保田と土崎が現代の秋田市になるという史実をなぞった描写、本当の本当に美し過ぎる。「実際の会議でもこういうロジック使えるのでは?」と思わせるほどのリアリティと、さわやかなカタルシス、読後感を両立させる岩明先生の手腕、もう「さすが」と言う他ありません。

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内膳の奥さんが岩明作品でもトップクラスに可愛い件について

 ところで、上記までの話を一旦ぶっちぎるのですが、『雪の峠』に出てくる渋江内膳の奥方は大変かわいいです。そんなに登場ページ多くないけど、それでも本作中でも突出した存在感。

 戦国武将の妻らしく普段は淑やかな雰囲気ではあるのですが、内膳の仕事内容を聞いて「ひー頭いたー」と耳をふさいでみせたり、出羽に移る時、横手を通ってきたと聞いて「そうでしたっけ」と言ったり、ちょっととぼけた表情も見せる。この、口元に指を当ててる表情とか超かわいい。

内膳の奥方。『雪の峠』より引用(KCデラックス版・p.81)。

 一方、仕事にいそしむ内膳の身を案じつつも、「戦場に出られるよりはなんぼかよろしいかと……」なんてちょっと影がある表情を見せたりするのも、史実を考えると絶妙な描写(史実では、内膳は窪田城竣工の10年ほど後、大阪冬の陣で戦死することになります)。

 岩明作品のヒロインというと、『七夕の国』の東丸幸子とか、『風子のいる店』の風子、『寄生獣』の里美あたりがぱっと思いつきますが、「登場頻度に対する存在感」という点ではぶっちぎりトップなのでは? と思えるほどの存在感です。

 この辺り、作品の中では傍流に当たる部分ではあるのですが、是非ご注目いただければと考える次第なのです。

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