ねとらぼ

とんがった口=うそぶき 神に対し物言う者

 しかし、ひょっとこの口は火とは関係なく、狂言面の「うそぶき」にある、という説も見逃せない。「うそぶき」は口笛を吹く用に口をとがらせたユーモラスな面で、狂言では「蚊相撲」の蚊の精、「瓜盗人」のカカシ、「蛸」の蛸の精など、動物の精霊役に用いられる。

狂言面/うそぶき 室町時代・15~16世紀(出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

 古美術研究家の料治熊太(りょうじ・くまた)は、1971年に雑誌『民藝』で発表した「日本の民俗古面」の中で、平安時代の申楽における黒尉面(こくじょうめん。翁舞と呼ばれる伝統芸能で使用される面)の一種「うそぶき」が、室町時代成立の狂言で「ひょっとこ」と呼ばれるようになり、次第に町神楽で道化役「ひょっとこ」になっていった、と流れを論じている。いずれの時代も「ふざけ面」として用いられているが、「うそぶき」の頃はまだ表情として無理のない口だったものが、里神楽などで「ひょっとこ」として平俗化、卑俗化していくうちにどんどん誇張されていった、と変遷を示している。

能面/三番叟(黒色尉)南北朝時代・14世紀(出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

 また民俗学者の折口信夫は論考「日本文学における一つの象徴」(1938年『新日本 第一巻第六号』初出)の中で、「うそぶき」面について鋭い考察を残している。折口によれば、うそぶき面は田楽における「もどき」という滑稽な役の面からきたもので、もともとは鳥の鷽(ウソ)を呼び寄せるときに口を吹くことを「うそぶき」と言ったのを、小さな“すげみ口”をしたこのもどき面にも呼ぶようになったものだという。

 そしてこのもどき面は、「物言う約束を持った面」「主たる神に対して“もどく”(逆らう、反対するなどの意)精霊の表出」だった。

 どういうことかというと、折口は日本における文学や芸術は、神と精霊との対立の中から発生してきた、と考えてきた。日本神話には神武天皇が即位する前に「神代(かみよ)」という神が国を治めていた時代があり、その神代の物語によれば、威力ある大神が隠れているときは、木草、岩石までいたるところに妖異の声が群がり充ちていたが、大神が来臨すれば、今まで喚き散らしていたその声がぴったり封じられてしまったのだという。

 村々ではこの信仰を伝えていくうちに、神が来るときは威力ある語で”庶物草木の妖害”(=山の精霊)が封じられると考える者が現れた。精霊が圧服(あっぷく。服従させること)を食い止める手段は唯一つで、先の記事で天狗の類似としても紹介した「癋見(べしみ)」のように、口をへしませ、ひたすらに緘黙(かんもく。押し黙ること)を守り続け、神の語にとりあわないこと。口を開けば、たちまち神語に圧せられて、服従を誓う詞章(ししょう)を述べなければならなかった。

狂言面うそぶき 室町~安土桃山時代・16世紀(出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

 「もどく」という動詞は「逆らう」「反対する」「からかう」といった用例だけでなく、芸能分野においては「説明する」「翻訳する」という意味も含んできた。田楽、狂言など日本芸能における「もどき」役は多くの場合、舞台上で主役に対して逆らい、反対するだけでなく、シテ(狂言における主役)の芸のモノマネを繰り返し、笑わせ、嫌がらせを行う。里神楽の「ひょっとこ面」も同様の動きをし、当時の神楽師仲間ではひょっとこを「もどき」とも「うそぶき」とも呼んでいたという。

 こうしたもどき(=うそぶき)は、「いかに止めても止まらずしゃべり逆らい、さえずり騒ぐ役どころを示す面」であり、その小さな“すげみ口”は「物言う者としてのしるし」であり、神に圧服されまいと饒舌に言い返す精霊の姿があるのだ、と折口は論じたのだった。

 この説をもとに、「うそぶき」の口はただの道化顔を表現しているだけでなく、中国大陸からやってきた伎楽面(ぎがくめん)、舞楽面(ぶがくめん)から影響を受ける前の、日本の芸能史や神代以前の民俗信仰や祭礼の核が残っている、とする他の研究者の論考も少なくない。

 神に調伏(ちょうぶく)されまいと言葉でまくしたてる精霊の口。癋見の口が沈黙を示しているように、権力に対抗する日本古来の精霊、先住の民の精神が、ひょっとこのとんがった口に詰まっている――と思うと、悪鬼を滅するために隠れ里で刀を打ち続ける鋼塚たちの反骨精神と、ひょっとこの顔は強く響き合ってこないだろうか。

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 天狗とひょっとこ、『鬼滅の刃』に出てくる代表的な2つの仮面について紹介してきたが、両者は日本各地の伝説、民話において「鬼」と非常に親和性が高いことも示されている。先述の若尾五雄は『金属・鬼・人柱その他 : 物質と技術のフォークロア』の中で、日本の伝説において金工と鬼、天狗、ひょっとこがそれぞれ強く結びついていることを示しながら、次のような論も残している。

「追儺(ついな)の鬼といわれるのは、大晦日が最後の夜のことであって、晦は姿をくらますこと、つまり、隠(オニ)であるがゆえに、鬼が最後の夜の意味として払われ、一陽来復とか、生まれ清まるとかいわれて正月を迎えるための行事となったのであろう」

民俗学者は、禍をもたらす鬼と福をもたらす鬼とに鬼をわけているが、前者については嫌われるものとしての説明がすでにつけられている。ところが福をもたらす鬼については、その意味がはっきりと解明されているとはいえない。金工は、所詮は地下より鉱石を採り出すことである。したがって、そこは暗いところで、晦(姿をくらますこと)、籠るなどの言葉で示される隠(オニ)の場所である。そのことから金工伝説には鬼が出て来るのであって、福をもたらす鬼と民俗学者が分類するものは、この金工の鬼なのである

 鍛冶の神に片目片足が多いのは、仕事の性質上そうなってしまったのではなく、身体欠損者は戦や農業の代わりに鍛冶職に就かざるえなかった、とする説も多く存在する。昔は不具や障がいのある者、双子などが“忌み子”として山に捨てられることがあったが、先の江刺地方で醜い顔の子「ヒョウトク」の面のように、そうした少数派、イレギュラーを抱えた子を大事に育てることで福がもたらされる民話も多々存在している。天狗役の癋見の押し黙る口も唖者、「うそぶき」の物申す口も現代でいう発達障害の特性ともとらえることができるだろう。

 そう捉えたとき、福をもたらす鬼や天狗、ひょっとこの物語は、社会的弱者、逸脱者と共存の道や余白を共同体にもたらす、セーフティネットとしての機能をもっていたのではないかという気がしてくる。

 鬼舞辻無惨という人災。利他精神、無私の心がまったくない純粋な暴力。この理不尽に大事な人や尊厳を奪われ、心の闇が発生した際、力や欲望に取り込まれてしまった人間が悪鬼となる。生まれ、才能、育ち、ジェンダー、資本主義の原理――ここに困難を抱え、多数者から除け者にされてしまった少数者は、心に闇を抱えやすい。それでも他者の命を踏みにじるまいと、心を燃やし、連帯し、抵抗する「福をもたらす鬼(逸脱者)」となったのが鬼殺隊、それをサポートする者たちであり、『鬼滅の刃』の核だった(現代社会において、こうした少数派の困難は政治、法律で救っていくべきであることは念を押しておく)。

 国の統一の中でもたらされた豊かさは確かにあったのだろうが、共存ではなく支配者による統一が迫られた過程で、押しつぶされた信心や言葉、文化、価値観は多くあったと想像される。そうした社会的弱者や被支配者の抵抗精神、無念が天狗やひょっとこの面にも残っていると考えると、育手や刀鍛冶の顔に大変ふさわしいのである。

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参考文献

(1)吉田憲司・編(2022)『世界の仮面文化事典』丸善出版
(2)遠野市立博物館編(1986)『佐々木喜善全集』遠野市立博物館、国立国会図書館デジタルコレクションより(参照2025-11-26)
(3)若尾五雄・著(1985)『金属・鬼・人柱その他 : 物質と技術のフォークロア』堺屋図書、国立国会図書館デジタルコレクションより(参照2025-11-06)
(4)【写真】高見剛、【文】高見乾司(2012)『神々の造形・民俗仮面の系譜』鉱脈社
(5)料治熊太(1971)「日本の民俗古面」『民藝』217号 日本民藝協会 
(6)山口登貴夫著・撮影(1957)『民俗の仮面』鹿島出版会
(7)折口信夫(1996)「日本文学における一つの象徴」『折口信夫全集21』中央公論社(初出:「新日本 第一巻第六号」1938年6月発行)

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