ねとらぼ
2025/12/06 18:15(公開)

【連載記事:地球はエンタメでまわってる】10年目の再演! 『デスノート THE MUSICAL』が社会に突きつける正義と暴力

「ちがう… いつも思ってた事じゃないか 世の中腐ってる 腐ってる奴は死んだ方がいい」

プレスリリースより
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ライター:海燕

海燕プロフィール

オタク/サブカルチャー/エンターテインメントに関する記事を多数執筆。この頃は次々出て来るあらたな傑作に腰まで浸かって溺死寸前(幸せ)。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』における特集記事、マルハン東日本のWebサイト「ヲトナ基地」における連載など。
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 いま、わたしたちの世界は〈正義という名の暴力〉に溺死しかけている。義憤と憎悪がはてしなく連鎖し、裁きと生け贄を求める対立の世紀――。

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300万人市場へ拡大した2.5次元ミュージカルの代表作

 一冊のノートがある。

 長すぎる生に退屈した死神が落とした黒いノート。

 そこにひとの名前を書き込めば、その人物はあっけなく落命する。

 皆さんご存知の通り『DEATH NOTE』は、この死のノートを巡る殺人鬼と名探偵の対決の物語。

 その展開を音楽劇の形で演出したのが、2025年11月24日から12月14日まで東京建物ブリリアホール(豊島区立芸術文化劇場)で公演中の『デスノート THE MUSICAL』だ。

 このたび、この傑作ミュージカルは2015年の初演から10周年を迎え再演された。

 過去、韓国・台湾・モスクワ・リオ・ロンドンなどで上演される「世界展開」を果たしたこともあるヒット作である。

 マンガやゲームを題材に舞台化する、いわゆる「2.5次元ミュージカル」の市場は2015年の時点では観客動員132万人だった。

 それが、近年では年間約200作品・動員約300万人規模にまで拡大している。その大きなマーケットを代表する作品のひとつが『デスノート THE MUSICAL』なのだ。

 今回、その300万の観客のひとりとなって、この高名な作品を自分の目で鑑賞し、あらためて『DEATH NOTE』という物語のテーマについて考えてみた。

 この10年で世界は変わった。インターネットを戦場に、どこまでも無理解と不寛容が広がる分断の時代。

 その令和日本に新世界の神をめざす若者が突きつける問いとは何なのか。それはいまの時代、どう受け止められるのか。この機会に捉え直してみたかったのである。

 わたしたちの社会は、すでにいくつもの「デスノート的暴力」を抱えこんでいる。

 政治、ジェンダー、エンタメ、スポーツ──あらゆる領域で正義が分裂し、互いを敵として攻撃しあっているのだ。

 だれもが信じられる完全な正義など存在しないはずなのに、わたしたちは自分こそ正しいと信じ、容赦なく他者を裁きつづける。

 その分断の真っ只中で『デスノート THE MUSICAL』はあらためて問いかける。正義はどのように悪へ堕ちるのか、と。いままさに強烈に迫るクエスチョン。

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告発型犯罪者としての夜神月――10年目の『デスノート』が描く正義の矛盾

 とはいえ、じつは筆者がこの種のいわゆる2・5次元演劇を鑑賞するのは、今回が初めて。

 じっさいに上演が始まると、まずは「想像の50倍面白い」(『推しの子』)といわれるその世界に圧倒された。

 今回、音楽を務めたのは世界的作曲家フランク・ワイルドホーン。生と死を巡る緊張感に満ちた楽曲が、まさに『DEATH NOTE』の世界を感じさせる。

 今回、主人公の夜神月(やがみ・らいと)を演じるのは加藤清史郎と渡邉蒼のダブルキャストだが、筆者の見た回で演じていたのは渡邊。

 いかにもモラルの歯止めが壊れた天才少年を情念たっぷりに演じ、素晴らしかった。

 ストーリーはさまざまな演劇的手法を駆使して複雑な展開を限界まで圧縮し、いくつかのエピソードを順番を入れ替えて描いている。

 かなり早い段階で弥海砂やレムが登場するなど、序盤から原作とは違う方向に進むところもあるが、やはり文句なしに面白い。

 狂気と策略がどこまでも連鎖し、友情のシュガーコートをまとった殺意が牙を剥く。あたかもひと組の呪われた恋人同士のように、あいてに強く執着する秘めた心を独白の形で歌い合う月とLのデュエットは圧巻だ。

 神を名乗ってあっさりと大量殺人を犯してゆく壊れた高校生を描くサスペンスフルな展開は、まさに『DEATH NOTE』の真骨頂。

 観客も静かに熱狂していることがひたひたと感じ取れ、終了後は会場中総立ち! 拍手の音が鳴りやまなかった。

 そもそも筆者は、2004年連載開始の『DEATH NOTE』を、毎週わくわくしながら連載で追いかけつづけた「リアルタイム世代」。

 その世代の目から見ても、新しい『DEATH NOTE』の物語はきわめて斬新に感じられた。

 新世界の神〈キラ〉を名乗る月が犯罪者を裁き、「世界一の名探偵」であるL(エル)が一歩、また一歩とそれを追う。そのスピーディでクレイジーな展開は連載から20年以上が経ったいまなお魅力的だ。

 そして物語は激しい音楽とともに退屈によって結びつけられた殺人鬼と死神の凶行を丹念に追いかけてゆくのだが、さて、いまあらためて夜神月のこの行動をどう評価するべきだろうか。

 原作のセリフにあるように、彼を単なる「クレイジーな殺人鬼」として片づけることはいかにもたやすい。

 だが、彼の行為の出発点は、力による支配をめざすものではなく、社会のゆがみを暴こうとする衝動だった。

 裁かれない犯罪者を処刑しつづけることで、腐敗した司法を告発し、世界の形を正そうとする――それが月の掲げた「正義」であり、「新世界の神」という言葉の本来の意味だ。

 しかし、その告発は必然に暴力を帯びる。その正義は悪なのか。だれが境界線を引くのか。

 『デスノート THE MUSICAL』10年目の再演は、「告発型犯罪者」としての月をあらためて立ち上げ、観客に、正義に淫するわたしたち自身の不気味な鏡像を突きつける。

 20年前、『DEATH NOTE』の読者は月を「狂気の天才」として目撃したことだろう。だが令和のいま、彼の存在は不気味なほど身近だ。

 今日もインターネットでは匿名の告発が無数に飛び交い、正義の名のもとにだれかが裁かれつづけている。

 わたしたちは、夜神月が立っている場所に、すでに片足を突っ込んでいるといえないだろうか。

いま、ふたたび激突する最強の矛と盾

 一方、さらに魅力的なキャラクターとして映るのはその〈キラ〉を追いかける名探偵Lだ。

 その正体をいっさい知られぬままに、世界中の難事件を解決しつづけるなぞの天才探偵――物語の初めにはその正体は隠されているが、じつは猫背に昏い目つきをした「コミュ障」の若者である。

 秀でた美貌に天才的頭脳と、何もかもが完璧な月とは対照的とも思える個性のLは、だが月に匹敵する高い知能の持ち主であり、ほとんど無敵の「チートアイテム」を持つ彼をしだいに追いつめてゆく。

 月とLは対照的でありながらもある意味で「似た者どうし」であり、Lも月そっくりの負けず嫌いの性格と高いプライドを有している。

 しかし、Lは月が落ちた陥穽(かんせい)をギリギリのところで避けているように見える。

 彼はほとんどまともな倫理を無視して行動しているように見えて、その実、かろうじて法律は尊重している。それはある意味で「人間の社会」を重んじているということである。

 月を燃え上がらせているような正義感は、おそらくLのなかにも暗い火のようにくすぶっていることだろう。だが、Lは最後の最後まで究極の一線を越えようとはしない。

 月がわたしたちの内なる正義と欺瞞の象徴であるとすれば、Lはその「告発」を相対化するキャラクターであり、真なるヒーローであるともいえるだろう。

 今回、舞台上で三浦宏規が演じるこのLは、文句なしにかっこいい。

 彼は何もかも端正な月とは違い、ある種、異質にして異形の存在だが、そうであっても、否、そうであるからこそ強烈に観る者を魅了するのである。

 月とL――そのいずれにくみすべき正義を見て取るかは、人によって違うだろう。

 既存社会を根底から転覆させようとする「革命家」としての月と、その構造を守り抜こうとする「防衛者」としてのL。

 ある意味、最強の矛と盾を激突させるにも似たふたりの対決が、今回はどのように幕を閉じるのか。

 原作既読でありながら、ハラハラしながら見守ったことをここに記しておく。

 一冊のノートが、ある。

 その持ち主に、自由に人を裁く力をあたえるデスノート。

 さて、あなたならその真っ白いページに、だれの名前を書くだろうか?

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