「愛は負けても、親切は勝つ」
――カート・ヴォネガット
「ぼくも、アスカのこと好きだったよ」
――『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
先日、話題の文芸評論家・三宅香帆の新刊『考察する若者たち』が刊行された。さっそく読んでみた。
面白い。三宅によれば、令和という時代は平成までの答えのない問題を解釈しようとする「批評の時代」から遠ざかり、作者の考えという「正解」にたどり着こうとする「考察の時代」を迎えている。
その背景にあるものは、現代の若者世代の「報われたい」という切実な感覚だ。
ライター:海燕
オタク/サブカルチャー/エンターテインメントに関する記事を多数執筆。この頃は次々出て来るあらたな傑作に腰まで浸かって溺死寸前(幸せ)。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』における特集記事、マルハン東日本のWebサイト「ヲトナ基地」における連載など。
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彼女は興行収入1000億円以上の『鬼滅の刃』から、ストリーミング再生10億回を超えたYOASOBI『アイドル』に至るまで、膨大な典拠を示しつつ、その「報われ消費」の実態を描きだしていく。
ときに少々の論理的飛躍を感じるところもあるものの、「報われ感」に目をつけた着眼点はすこぶる慧眼である。
しかし、一方でわたしは、この本を読んでいてひとつ大きな定義が欠けていると感じた。つまり「そもそも『報われ』とは何か?」という定義だ。言い換えるなら「ひとは何がどうなれば報われたと感じるのか」といっても良い。
「報われ」を厳密に定義せずに「報われ」について語ることは、やや飛躍が過ぎるだろう。
わたしの実感では、令和世代が求める「報われ」とはすなわち「意味の感覚」である。日本の経済的沈滞を背景に、令和世代の多くは砂漠のような「生の実感が欠落した世界」を生きている。
もしかれらが不幸だとすれば、それはお金がないからでも恋人がいないからでもない。ただ、そういった条件が整っていれば隠蔽することが可能になる「生きることそのものの無意味さ」が露出してしまっているからこそ苦しいのだ。
ひとは自分の行為に意味があると信じられたときに報われたと感じる。
たとえば、ひとがたくさんの「いいね!」を求めるのは、素朴な承認欲求というよりは、「いいね!」されたときに自分が生きていることの意味を感じられるからだ。
しょせん、はかない幻想ではあるにせよ、そのひと時、自分が生きている意味があると感じられることは、砂漠化した生を慈雨のように潤す。
かつて、宮台真司が語ったように「意味から強度へ」といった言葉は一面で正しい。しかし、適切な「強度」をともなった生き方を選ぶことは、じつはそう容易ではない。
現実は過度に過酷であったり、逆に過度に無痛的なシステムに支配されていたりする。わたしたちはそのようなアンバランスな社会で、やはり「生きる意味」を求めずにはいられない。
それでは、どのような場合、ひとは生きる意味を実感できるのか。ひとつには、「だれかに心から愛されたとき」という答えがある。幼少期に両親から深く愛された人は、砂漠的な社会においても心に潤いを抱いていられるだろう。
ゆえに、いまの自分の不幸を嘆き、「だれかに愛されれば(承認されれば)しあわせになれるはずだ」と考える人が現れても、不思議はない。
ここで思い出すひとつの作品がある。伝説のアニメ『輪るピングドラム』。「ピングドラム」という謎の言葉をキーワードにした物語で、「ピングドラムを探すのだ!」というセリフが印象的だった。
そしてじつのところ、「ピングドラム」とは「愛」を意味している。愛という言葉すら思い浮かばないほど絶望的に愛を知らないから、それを「ピングドラム」と呼んでいるだけなのだ。
『輪るピングドラム』においては、ピングドラム(つまり愛)さえ手に入れられれば、すべての苦しみはほどけ、問題は解決するとされていた。
しかし、実際の物語のなかで、そのピングドラムは致命的に入手できない。それはあとからでは入手不可能に近い存在なのだ。
これは、わたしたちには実感としてわかるところだろう。存在そのものを癒やす絶対的な愛――そんなものを親以外に求めることなどできるものだろうか? たとえ、その愛こそが「生きている意味」を実感させてくれるとしても。
だが、理性ではそうとわかっていても、わたしたちはどうしても「ピングドラム」を求める。愛情に餓えた少年やこころ寂しい少女が非行や犯罪に走ってしまうケースがあるのも、つまりはそれが“謎めいたピングドラムの正体”なのではないかと思い込んでしまうから、という可能性もあるのではないだろうか。
謎めいた愛、すなわち「ピングドラム」を求めるが、謎めいているがゆえに、その正体がつかめない。だからこそ、愛とは無縁の非行や犯罪に走ってしまうという悲しい現実も起こるのではないだろうか。
しかし、多くの場合、それは「人生の正解」ではない。
たとえば、極めて過激な話だが、もしたくさんの人を殺してしあわせになれるなら、そうするしかないかもしれない。
「殺せ」――。もし、ほんとうにそれがあなたの「ゴースト(『攻殻機動隊』)のささやき」であるのなら、それに逆らうべきではないのかもしれない。社会倫理に致命的に反した邪悪な行為には違いないが、それがほんとうに「魂の命じるところ」であるのなら。
つまり、あなたが夜神月(『DEATH NOTE』)なら、あるいは吉良吉影(『ジョジョの奇妙な冒険』)のようなレアな個性なら、あなたは凶悪な殺人鬼になるしかないのかもしれない。それが夜神月としてのあなた、吉良吉影としてのあなたの魂が求めるものだから。
だが、現実には、ほとんどのひとは他人を殺しても、しあわせにはなれないだろう。あなたはそのような特殊な人格ではないからである。
「なぜひとを殺してはいけないのか」? 倫理に反するから? だれかに迷惑をかけるから? たしかにそうだが、同時に我々の大半の魂が求めないからではないだろうか。「ひとを殺しても、しあわせにはなれない」のだと。
だれよりも自分のために、わたしたちは不殺を貫くべきなのだ。殺人は、失われたピングドラムの代償にはならない。もちろん、これは殺人以外の社会倫理に反する行為についても同様だ。
それでは、いったいどうすれば良いのか? 答えはどこに?
ここでまた思い出すのが、往年の天才作家カート・ヴォネガットが自身の全作品を貫くテーマとして説明する「愛は負けても、親切は勝つ(Love may fail, but courtesy will prevail)」という言葉である。
愛を、あるいはその代償を求めて行うすべての行為は、往々にして依存や執着や暴力や堕落に陥り、失敗する。しかし、親切は成功する。なぜなら、親切とはそもそもバランスが取れた概念であり、暴力的なまでの親切などというものは、まずありえないからである。
現実的に、他人に親切に振る舞えば、多くの場合、周りから好かれ、しあわせになることができるだろう。「親切の道」こそが人生の正解ルートなのだ。
そのことは、たとえば映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見てもわかる。それまでありとあらゆるルートで失敗しつづけてきた『エヴァ』の主人公・碇シンジは、この作品でかつて恋した少女アスカの恋を応援することによって、つまりひとつの「親切」な行為によって、救われる。
これこそが「正解ルート」だったのだ。仮にアスカやレイと結ばれていたとしても、シンジはしあわせにはなれなかった可能性が高い。なぜなら、ピングドラムを手に入れたと感じたその先には、往々にして依存や疑念が待ち受けているからである。
だが、親切にはそのような展開はない。だからこそ愛は負けても親切は勝つ。じっさい、シンジはハッピーエンドにたどり着いた。『シン・エヴァ』のテーマはこの時点で完結している。
もし、しあわせになりたいなら、わたしたちは幻想のピングドラムをさがす不毛な努力をやめ、そのかわり周りに、いま以上に親切に振る舞ってみるべきなのかもしれない。
つまり、いくらか「いいひと」として生きてみよう。おそらく何かしらの好意と感謝が返ってくることだろう。そして、あなたは少し、しあわせになれるかもしれない。性善説を唱えた孟子が言ったように、どれほどの悪人でもそのような「惻隠(そくいん)の情」を抱えているからだ。
それが、過激なまでの暴力でも盲目的な依存でも決して手に入らない、「報われた感覚」を手に入れられる最善のルート、「親切の道」である。
あなたは夜神月ではない。あなたは吉良吉影ではない。ひとを攻撃してもしあわせにはなれない。ぐっと痛む自意識をこらえて、むかし好きだった女の子を応援してあげられたそのときこそ、少しだけ自分自身を好きになれ、しあわせになることができるかもしれない。
だから、碇シンジのように、あるいは竈門炭治郎のように優しく生きてみよう。見知らぬだれかのためではなく、他ならない自分自身のために。
それが、それこそが、じつはだれにだって簡単に実践できる、ほんとうの「人生の正解」なのだ。
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