「私 わざとです わかってて4回転を選びました だってその注目に負けない人が世界一のメダリストになれると思うから!」
――『メダリスト』結束いのり
天才少女という名の反転の構図
それは、滑走と跳躍をくり返す氷上の円舞だ。
幼少期からのきびしい訓練を経て、極限まで鍛えあげられた選手たちの肉体だけが可能とする神秘的な踊り。
かれらいずれ劣らぬ若きスケーターたちが氷の上で華麗に舞うとき、観衆はいっとき重力の存在を忘れ、人間の無限の可能性を見る。
そのフィギュアスケートというスポーツに材を得て、そこにすべてを注ぎ込む少女たちの物語を紡ぐ令和の傑作が『メダリスト』だ。
ライター:海燕
オタク/サブカルチャー/エンターテインメントに関する記事を多数執筆。この頃は次々出て来るあらたな傑作に腰まで浸かって溺死寸前(幸せ)。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』における特集記事、マルハン東日本のWebサイト「ヲトナ基地」における連載など。
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現代を代表する国民的歌手・米津玄師がみずから主題歌を熱望したというこの話題のアニメは、2026年1月24日に第2期放送を控え、その人気はいよいよ高まってきている。
しかし、いったい、この作品の強烈に人を惹きつける魅力の正体とは何なのか。なぜ、わたしたちはこれほど『メダリスト』に笑い、涙し、次を、もっと次をと熱望するのだろう。
これは、あきらかに「ふつうの傑作」の域に留まるものではない。
いうまでもなく、スポーツマンガには歴史上、無数の傑作や名作がある。そのなかには『巨人の星』のような熱い作品もあれば、『H2』のように軽快な物語もあるが、『メダリスト』はそのいずれとも異なる印象だ。
物語はフィギュアスケートに憧れ、小学5年生にしてその門を叩いた少女・結束いのり(ゆいつか・いのり)と、数奇な偶然から彼女のコーチをひき受けることになった明浦路司(あけうらじ・つかさ)、ふたりの「スロースターター」たちの後方からの逆転劇を描く。
その時点ですでにまわりに何歩も遅れを取っているいのりが、才能と努力で状況を変えていくさまは、それだけで強烈なカタルシスがある。喩えるならフィギュアスケート版『SLAM DUNK』というところか。
あるいは「滑ることのほかは何もできない」いのりの、その苦しみゆえの超人的な集中力の描写は、曽田正人の名作、殊に『昴』を思い出させる。凄絶なトラウマが見事に反転してひとつの「天才」を形作るその狂気の構図。
戦うべく選ばれ、そして戦うことを選びつづける少女たち
しかし、『メダリスト』はそれだけでは終わらない。ひとつには『昴』がひとりの極北の天才にフォーカスして物語を紡いでいったのに対し、『メダリスト』は膨大なキャラクターが絡み合う群像劇なのである。
物語には、のちにいのりにとって最大のライバルとなる孤高の天才少女・狼嵜光(かみさき・ひかる)をはじめ、さまざまに個性的な少女たち、そしてそのコーチたちが登場してドラマを盛り上げる。
そのなかには傑出した才能を持つものもいれば、まわりから愛されてやまない資質をもつ子もいるが、ストーリーが進むにつれ、少しずつ残酷な「選抜」が進んでゆく。
フィギュアスケートを続けるためには、巨額の金銭と周囲の協力が不可欠であり、ただ選手でありつづけるだけでも、幾重もの試練を延々とくぐり抜けつづける必要があるのだ。
もちろん、ただそれだけでも容易なことではない。じっさい、物語中盤では、衆に抜きんでた才気に恵まれた選手が、まさにどうしようもない事情で「脱落」してゆく状況が描かれる。
それは、すべての事情を高みから眺めている読者の目から見ても、まさに不条理そのものとしかいいようがない展開だろう。
だが、まさにそうであるからこそ、読者は心の底から思い知らされざるを得ない。
ああ、これはただ頑張ればその分だけ報いがあるといった美しい夢のお話などではない、つねに人を打ちのめす、もの凄まじい運命の力に対し、その細いからだで立ち向かう幼い少女たちにフォーカスした、「現実」そのものの光景なのだ、と。
現実。
だが、そこには「しょせんこんなものだよ」といった、さかしらな露悪趣味は微塵も見て取れない。
いのりにせよ、司にせよ、あるいはライバルの光などにせよ、その過酷きわまる人生を乗り越えて求めつづけるのは、あくまでも高貴な理想である。
めざすは遥かなオリンピック・メダリスト、その座。だが、それは決して単に地位や名誉を求めてのことではない。その程度の覚悟で往ける道ではないのだ。
その精神をも、肉体をも限界を超えて酷使するこの競技で頂点に至るためには、もっと崇高な何かが必要だ。
努力だけで何もかも得られるほど容易ではない。才能だけですべてが決まるほど単純でもない。
猛烈な努力と、貴重な才気と、恵まれた環境と、強靭な精神と、そのすべてを併せ持ったうえで、さらに幸運にまで恵まれた者だけが、次々と襲い来る逆境や困難を乗り越え、遥か五輪の高みへと駈け上がってゆく。
めざすは輝くゴールドメダル――ウィンタースポーツという過酷な山嶺の、その気高き栄光の頂(いただき)。
いうまでもなく、その栄光の象徴を手にする者はただひとり。
それぞれ異なる素質と個性を持った数知れぬキャラクターたちが、その現実をまえにひとり、またひとりとひっそり消えてゆく展開は、この競技の想像を絶するむずかしさを知らせて余りある。
だが、ただ、そのきびしさをリアリスティックに描くことに終始しているわけでもない。
『メダリスト』はときにコミカルに、ユーモラスに、10代前半の少女たちの様子を描きだす。
何といっても、まだ年端もいかない子供たちである。ときに彼女たちは仲良く笑いあい、じゃれたり抱き合ったりして時間を過ごす。
そこら辺の競技を離れた日常のリアリティも、このマンガの見どころのひとつだろう。
翼ある子供たちの群像
しかし、そうやってひと時、楽しい時間を過ごしたあと、彼女たちはみずから戦場へ戻ってゆく。
そして氷上では、どこまでも孤独な戦いが彼女たちを待っている。滑っても、回っても、転んでも、たったひとり。だれもその華奢な肩にのしかかった重荷を代わってくれる者はいない。
それを承知で、どこまでも高みをめざす「ふつうの女の子たち」の、なんと可憐で、愛おしいことだろう。
彼女たちは跳ぶ、その身を地上に縛りつけようとするありとあらゆる呪いや束縛をふり払って。その瞬間、いのりは、光は、どんな過去からも、トラウマからも自由になる。
彼女たちはいってしまえば、その傑出した才能や気力を除けば、ごくあたりまえの女の子たちである。失敗に傷つくこともあるし、挫折に打ちのめされて立ち上がれなくなることもしばしば。
しかし、それでも、なお、少女たちはたびたび絶望の底から立ち上がる。その果敢さ。そして、その美しさ。
わたしたちはほんの12歳、13歳ほどの女の子たちの苦闘を通して、いったい何を観ているのだろう。
思う。
それは、「人間」というこの小さく、かよわい存在が、無数にのしかかってくる不幸や苦悩を飛び越えて、どんなに素晴らしくありえるかという、その「可能性」のヴィジョンなのではないだろうか。
そのことはたとえば、いのりの先輩である岡崎いるか(おかざき・いるか)の凄絶な生き方を見ればわかるだろう。
彼女の愛情を利用して束縛し支配しようとする「毒親」に虐待されて育ったいるかは、暗い自己否定の沼に腰まで漬かりながら、なお、そこから抜け出して高みをめざす。
足を傷つけ、声を奪われて、それでも跳躍する氷の人魚姫。
その姿を見て、わたしは、綺麗だと思うのだ。傷だらけの格好であっても、否、そうであるからこそ、ほんとうに美しい人間の形がここにある、と。
『メダリスト』と題されたこのマンガは、その人間性の高みを志してどこまでも跳んでゆく翼ある子供たちのお話だ。
人間は素晴らしく、人間は美しい。たとえ、この残忍な世界のただなかにあってさえ。
いのりやいるか、小さなメダリストの卵たちは、あたかもわたしたちにそう教えてくれようとしているかのようではないか。
おそらく、まだストーリーは前半戦にしか過ぎないのだろう。ここからまだ、さらにいろいろなことが起き、そのたびに読者の心を揺さぶるに違いない。
それが最後まで描かれ終わったとき、『メダリスト』は令和を代表するスポーツマンガの大傑作として人々の記憶に刻み込まれることだろう。
まだ遠い先のことではあるが、いつか確実に来るその日を楽しみにしつつ、この記事を終えることとしたい。
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