ねとらぼ

 また本作は、冒頭で「みいちゃんが殺されるまでの12ヶ月のお話」と明かされる、フラッシュフォワードの構成(先に結末を明かしてカウントダウン形式で物語を進める物語技法)にもなっている。結末を迎えるころには違った感情も生まれるかもしれないが、その犯人や経緯がわからない現時点では、表面的には「バッドエンドが確定している」物語だ。

 主人公であり、物語の狂言回しでもある「山田さん」は、第1巻で「こういう人(みいちゃん)にどうすれば社会常識や善悪を伝えられるんだろう。どこかにちゃんと叱ってくれる人がいるのかな」と思っている。

 みいちゃんが無惨に殺されることがわかっている読者であれば、山田さんよりもさらに「どうすれば良かったんだろう」と考えながら、物語を追うことになる。その「考える」ことこそが、劇中または現実にある、障害、環境、搾取への問題に向き合う「第一歩」ではないだろうか。

advertisement

「特性を語る言葉が世間に広まるのはまだ少し先」

 劇中には「マジで自分かと思った」「1番共感できたし1番自分に刺さってしんどい」と語られるキャラクターもいる。それがキャバクラ嬢の同僚の「ニナちゃん」だ。山田さんは彼女の名刺忘れや遅刻を「確かに最近ミス多いけど…これくらいは常人の許容範囲内でしょう」と思っていたりする。

 そうした中、ニナちゃんはお客のセンシティブな事情を悪気なく嬉々として聞こうとしてしまったり、体のあちこちをぶつけてケガをしていたりと、次々と軽微な問題を積み重ねていく。また、以前には昼の仕事になじめず、無断欠勤の上に退職していた過去も明らかとなる。

 そして、「(みいちゃんと山田さんがいる)あの店は怒られることが多くなってきたから飛ぼう(仕事を無断で辞めよう)」「みいちゃんほどバカじゃないけど平均よりは劣ってる。それを自覚できる程度の頭は持ってる…それって一番キツくない? 頑張って頑張って頑張って頑張ってやっと人並み。ギリギリ病名はもらえない。私は人間関係リセット症候群」と、どこか達観した態度で物語から退場していく。

 その際、作中では、「時は2012年。ニナちゃんの特性を語る言葉が世間に広まるのはまだ少し先である」という一文が重なる。本作の舞台は10年以上前であり、発達障害に関する言葉や理解は、現在ほど社会に広まってはいなかった。

 そんなニナちゃんだが、第2巻の描き下ろしでは、36歳で正社員として働く「未来の姿」が描かれる。彼女はズレた返答や仕事上のミスをしつつも、「どの職場でも私に期待してくれる人って必ずいる。なんで今まで気づかなかったんだろう」と思う場面がある。

 劇中でサディスティックな言動をするキャバクラ嬢の同僚・モモさんは、飛んだニナちゃんを「あと10年くらいで脳みそと実年齢が釣り合ってくるんじゃない? 本人の努力次第だけど」というひどい言い方をしていた。

 言葉のチョイスは大問題であるが、本質的には的を射ている側面もある。ニナちゃんのように不器用で、他の人より時間がかかっても、気づきを経て成長し、努力を重ねながら社会生活を送れている人は、現実にもいるはずだ。

 彼女は障害があっても、時間を経て環境に恵まれたといえるだろう。実際、現代では社会的な理解が進んだことで、(もちろん、十分とは言えないだろうが)障害者雇用に取り組む企業事例も珍しくなくなってきた。

advertisement

診断されたことで福祉とつながれた

 みいちゃんにも、そうした恵まれた環境に手を伸ばせたかもしれない瞬間があったことが描かれている。

 小学生3年生のころ、みいちゃんを気に掛ける担任の須崎先生が、「同年代の子に比べると認知や言語の遅れが見受けられ、特別の配慮や支援が必要かと思います」と、特殊学級(現在の特別支援学級)への編入を勧めてくれたのだ。ところが、こうした助言を、みいちゃんの母親は「他人(ひと)様の子供を障害者扱いかよ!」と突っぱねてしまっていた。

 その結果として、みいちゃんは診断名がないまま、しかも母親の言葉通りに「須崎先生にもバカにされている」と思い込み、その後、3年間にわたって小学校に通わなくなった。

 そんなみいちゃんとは対照的に、はっきりと診断を受けているのが、みいちゃんの幼馴染である「ムウちゃん」だ。

 ムウちゃんの母は娘の特性を理解しており、悩んだ末に普通学級の中学校に進学をさせていた。その後ムウちゃんは万引きを繰り返して刑務所に入る経験もするのだが、出所後に福祉事務所を紹介され、ホチキスの針を作る仕事に就く。

 彼女は一度は道を踏み外してしまったが、福祉の支援を受けることで立ち直る。これは「診断」を契機としたポジティブなサイクルといえる。

 そして、ムウちゃんは久しぶりに再会したみいちゃんに療育手帳を見せながら「(みいちゃんも)なんか障害ありそう。一緒に福祉センターに行こーよ!」と手を差し伸べる。ところがみいちゃんは「障害ではないから! 個性的っていうの!」と、やはり突っぱねてしまうのだ。

 この2人の診断名をめぐる対照的な反応について、3巻に収録されている、『ケーキの切れない非行少年たち』著者・宮口幸治との対談記事で、亜月は実際に「ムウちゃんのように、診断名がつくことで、福祉支援とつながり、生きていく上で必要な知識を得ることができる子たちもいれば、みいちゃんのように『障害』という言葉にネガティブなイメージを抱いている子もいます」と問いかけている。

 このことに対して、児童精神科医でもある宮口は「……診断ってね、絶対的なものではありません」「社会で生きにくい問題があって、初めて障害という診断がつくんです」「本来は問題なく働けるようになったら、診断名って消えるべきものだと思います」などと答え、亜月も「たしかに、診断名よりも、社会生活を自分なりに送れるようになることが、一番大事ですよね」と返している。なるほど、それは障害のラベリングという問題に対する、ひとつの回答ともいえるだろう。

 他にも宮口は、一見真っ当な説明をしているように思える劇中の須崎先生についても、「彼女は、保護者への説明にもっと時間をかけなきゃいけなかったですね」などとも分析している。同対談では他にも、劇中の「どうすれば良かったのだろう」と感じさせる事例の解像度をさらに高めてくれるので、単行本を手に取った際には、ぜひ目を通してみてほしい。

※本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

関連タグ

Copyright © ITmedia Inc. All Rights Reserved.