出版業界やエンタメ界隈のみならず、社会全体に大きな衝撃を広げている小学館「マンガワン」を巡る不祥事。

 筆者自身、アニメや出版などコンテンツビジネスの現場で、ずば抜けた才能を持つ「作り手」が、時に常軌を逸した発想を持っていたり、普通では考えられないトラブルを起こしてしまいそうになるのを周囲が必死に止めたりする様子を目の当たりにしてきました。優れた才能とそういった側面は、ある意味で表裏一体だと捉えています。

 それにしても、報道で今回の事件のあらまし――未成年に対する性的加害事実を把握しながら事実上それを隠蔽し、別名義での起用を強行し、あろうことか編集者が被害者へ口止めを図ったという経緯――に触れた際は、「実際にこんなことをやってしまったのか」と驚き、それを庇った編集者や編集部に対しても「どうして再起用を急いだのか」と首を捻るしかありませんでした。同社が『ドラえもん』をはじめとする子ども向け作品や教育系の雑誌などに強みを持つ企業であることもあり、事態は極めて深刻です。

 「他にも同様の問題はないのか?」(実際、他の事案も報道され始めています)という疑問の目は、マンガ系の出版社全体に向けられています。今回の出来事は、電子マンガの興隆とアニメなどのIP活用を背景に業績を伸ばしてきた業界全体の足元をもすくいかねない事態です。本稿で見ていくメディア環境の変化、つまりデジタル化による「雑誌の解体」という構造変化は、マンガを手がけるあらゆる出版社が無関係ではいられない課題だからです。さらに言えば出版社だけでなく、クリエイターと関わりその才能をプロデュースするあらゆる企業にとっても同様と言えるでしょう。

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ライター:まつもとあつし

中学生のときに『王立宇宙軍 オネアミスの翼』をみてしまい、そこからアニメにのめり込む。そのまま大人になり、IT・出版・広告・アニメの会社などを経て、現在はジャーナリストとして取材・執筆をしながら、大学でアニメを中心としたメディア・コンテンツの教育・研究に取り組んでいる。ゲーム、特にJRPGやマンガも大好き。時間が足りない。
公式サイト:http://atsushi-matsumoto.jp/
X:@a_matsumoto


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問われる「ガバナンス見直し」の実効性と2つの事件の共通点

 やはり振りかえらざるを得ないのが、2024年1月に起きた別の事案です。小学館が日本テレビと制作を行っていた連続ドラマ『セクシー田中さん』の展開を巡り、ミスコミュニケーションを背景に、原作者の芦原妃名子氏が自ら命を絶つという、極めて痛ましい事件がありました。

【ねとらぼ】小学館『セクシー田中さん』調査報告書を公表 原作者のSNS投稿の経緯も説明 今後の映像化指針も発表』
https://nlab.itmedia.co.jp/cont/articles/3379156/

 「ねとらぼ」などの報道によれば、同社は2024年6月に特別調査委員会による報告書を公表し、「作家や編集者を孤立させない」体制づくりや、映像化の各段階で意向を確認する指針など、組織としてのガバナンスや制作体制の見直しを宣言していました。

 『セクシー田中さん』の事案において守れなかったのは「作家」で、今回の事案で守られなかったのは「被害者(当時高校生)」であり、その対象は異なりますが、作家と外部(テレビ局や被害者等)の間に入るべき「編集部」が適切な窓口機能や倫理的ガバナンスを果たせず、深刻なミスコミュニケーションや判断の逸脱を引き起こしたという点において、この2つの事件は本質的な共通点を持っています。

 今回の事件について、小学館は会社として組織的に事実を把握していたことは現時点で否定しています。全容の解明は新たに設置された第三者委員会の調査を待つ必要がありますが、仮に現場の編集者・編集部レベルでこのような重大な判断が下されていたのだとすれば、前回の対策や教訓が機能していなかったことの証左と言えます。

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富の源泉「編集部」が持つ絶大な権力と「独立国」化

 なぜ、編集部レベルで暴走が起きてしまうリスクがあるのでしょうか。ここで、小学館のサイトにある部署・職種の紹介図を見てみます。

小学館「部署・職種紹介|採用サイト」掲載の図に筆者加筆

 小学館をはじめ大手マンガ系出版社の多くは非公開(非上場)企業のため、詳細な組織図などは開示されていません(こうした外部の目が入りづらい企業形態が、組織の自浄作用がなかなか確立されない一つの理由でもあります)。そのため、これは就活学生向け採用サイトからの引用となりますが、大まかな構造は読み取れます。

 図を見ると、「編集」部門を起点にして、その周囲に「営業」「宣伝」「デジタル」「版権」「事業」といった各部門が配置されています。これは、富を生む源泉である「作家」との窓口となる編集部が、事業展開において極めて大きな力を持っていることも示しています。

 そして、かつての出版社において、マンガ編集部は雑誌という強大なメディアパワーを背景に、良くも悪くも「独立国」のような存在でした。名物編集長が絶対的な権力を持ち、出版社や作家に対しても強い影響力を行使していたのです。

 例えば、『北斗の拳』などを立ち上げた元『週刊少年ジャンプ』編集長の堀江信彦氏は、過去のインタビューで、原哲夫氏の初期連載時、作家の才能をさらに引き出すために「本人に相談することなく独断で連載終了を進めた」という主旨のエピソードを語っています。これは当時の編集者・編集部が、作家のキャリアすら左右する強い権限を持っていたことを示す象徴的な例です。

【東進】「言葉を磨き、個性を見抜く」漫画編集者・堀江信彦先生によるトップリーダーと学ぶワークショップ
https://www.toshin.com/recent/detail/RecentToshin.php?id=20

 一方で、その強固な体制下において、個々の担当編集者はあくまで雑誌という巨大なパッケージを支える「黒子」に徹していました。編集者のスキルアップはもちろん、作家との過度な癒着を防ぎ、雑誌としての一体性を保つため、その担当替えも頻繁に行われていました。例えば国民的マンガ『ONE PIECE』(尾田栄一郎氏)の場合、1997年の連載開始から現在に至るまで、約2〜3年周期で十数人もの歴代担当者が入れ替わっていることはファンの間でも有名です。

 かつては「雑誌の看板」と「編集長」という絶対的な重石があり、編集者の担当替えというシステムによって、個人の暴走を防ぐ組織的な管理(ガバナンス)が編集部の中で機能していたと言えます。

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メディアの歴史的変化:「雑誌」から「レーベル」への移行

 しかし、メディアのデジタルシフトがこの構造を変質させました。

マンガメディアの変化・略年表

年代メディアの変化と主な出来事
1990年代
(マンガ雑誌の黄金期)
紙の雑誌が強力な求心力を持っていた時代。『週刊少年ジャンプ』(集英社)は、1995年3・4合併号で最高発行部数653万部を記録。当時、『Dr.スランプ』などを担当した鳥嶋和彦氏をはじめとする「名物編集者」たちが、強固なシステムの中で作家を発掘・育成。
2000年代
(デジタル化の萌芽と雑誌の苦境)
フィーチャーフォン向けの電子コミック配信が本格化。『月刊少年ジャンプ』(2007年)、『週刊ヤングサンデー』(2008年)など、かつての看板雑誌が相次いで休刊に追い込まれるなど、紙の雑誌の苦境が鮮明になり始める。
2010年代
(電子マンガ誌・アプリの創刊ラッシュ)
スマートフォンの普及に伴い、主戦場はアプリへ。2013年の『LINEマンガ』、2014年の『少年ジャンプ+』や『マンガワン』などが次々と産声を上げる。
2020年代
(雑誌パッケージの解体)
出版科学研究所が発表した最新データによれば、2025年の電子コミック市場は5273億円に達し、コミック市場全体(6925億円)の約76%を電子が占めるまでに成長。また、『SPY×FAMILY』や『怪獣8号』(ともに集英社)など、紙の雑誌を経由しないデジタル発のメガヒット作が業界のスタンダードとなる。

 現在起きている本質的な変化は、単に媒体が紙からデジタルへ移行しただけではありません。編集部がコントロールし、作品を流通させる単位が「雑誌」という一つの強固な箱から、「レーベル」へと移り変わったことです。

 かつては、出版社が完全にコントロールできる自社ブランドの「雑誌」があり、読者も「人気の『ジャンプ』だから毎号買う」といったパッケージ単位の消費スタイルが主流でした。しかし現在、各出版社からは、「マガポケ」(講談社)や「ビッコミ」(小学館)、「カドコミ」(KADOKAWA)といった、複数の雑誌を相乗りさせた、いわば新電子雑誌レーベルのようなアプリやWebに作品を集約させる展開も増えました。

 また中堅・中小出版社でも、新潮社、双葉社、マッグガーデンのように、紙の雑誌の発刊そのものを止めて、Web媒体に連載を集約する例も珍しくありません。『ピッコマ』や『LINEマンガ』、『コミックシーモア』のような外部の巨大電子プラットフォームにも連載最新話を初出しで提供し、その強い影響下に置かれる外部連携「レーベル」による展開の比重も上がっています。

 これに伴い、読者の消費スタイルも「この作品が面白いから続きを読む(課金する)」という、個別作品への直接的な評価へと移行しました。そのため、編集者には純粋な「面白さ」の追求と同時に、作品単位での露出を増やし、電子書店で上位にフィーチャー(特集・推薦)されるためのプロデュース力が強く求められるようになっています。

 雑誌時代のような物理的なページ数の制約がなくなった一方で、オンライン上での遍在(あらゆるプラットフォームで面を取ること)を目指して、供給すべき作品数は爆発的に増大しました(※)。編集部と編集者の役割は大きく変わり、この激変した環境と膨大なタスクに否応なく対応を迫られることになったのです。

注: 一例として紙の『週刊少年ジャンプ』はページ数の物理的制約から、同時に連載できるのは約20作品前後です。一方、同じ集英社のデジタル媒体である『少年ジャンプ+』は、物理的制約がないため、毎日更新で70本以上のオリジナル作品を同時連載しており、さらに年間約300本の新作読切を供給しています(集英社2024年発表)。1つのプラットフォームだけでも、紙の雑誌の3〜4倍以上の作品を常に回している計算になります。

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「個」の時代におけるパーソナルな関係値と「オーバーラポール」

 このようなレーベル中心の展開と、供給すべき作品数の爆発的な増加は、制作現場にこれまで経験したことがないプレッシャーをもたらしました。読者の皆さんも「マンガ編集者募集!」といった求人プロモーションを目にしたことがあるのではないでしょうか? メディアミックス展開の起点(原作)となるマンガ需要の高まりに応えるため、そして、プラットフォーム上での競争を勝ち抜くため、出版社は組織を急速に拡大・組成する必要に迫られ、結果として外部のフリーランス編集者や編集プロダクションを大量に活用することになりました。

 かつての雑誌時代にも外部の編集プロダクションは存在していましたが、現在の環境下におけるプレッシャーの質は当時と異なります。人材の流動性が高まった現在、編集者たちは自らのキャリアを築き、生き残っていくために、新しい才能を発掘してヒットメーカーへと育て上げる「プロデュース力」を直接的に問われます。彼らにとって有望な作家との関係は、業界を渡り歩くための名刺代わりとも言えるものです。

 「雑誌」という大きな傘がなくなった現在、もはや編集者は裏方の「黒子」ではいられなくなりました。現代のマンガ業界では、「個」としての編集者の力が、かつてなく存在感を増しています。『宇宙兄弟』などを手がけた佐渡島庸平氏(2012年にコルクを設立)、『チェンソーマン』などをメガヒットに導いた林士平氏(2022年にミックスグリーンを設立)など、気鋭の著名編集者たちの独立の動きがありました。また、マンガワンで4代目編集長を務めた豆野文俊氏も、2025年にアムタス(めちゃコミック)に移籍して新たな編集部を立ち上げるなど、出版社以外の電子プラットフォームへの人材の流動化も起きています。

 実際、今回の舞台となった小学館の「マンガワン」の編集者たちも、YouTubeなどで積極的に顔出しをして作品の企画意図や制作の裏側を発信し、自らプロモーションの先頭に立つ姿が見られていました。そして、「新しい才能を見つけ、良い作品を作って結果を出さなければならない」という強烈な動機のもと、編集者は作家個人の「才能」に直に依って立ち、作家の創作にかける情熱を作家に代わってメディアで語り、結果として1対1のパーソナルな関係性が極端に強まります。

 かつての黄金期を牽引した元『週刊少年ジャンプ』の名物編集長・鳥嶋和彦氏は、若手編集者に対して「会社(編集部)と作家の意見が対立したら、必ず作家の側に立て」と指導していたことで知られています。強固な「雑誌」というシステムと編集長という絶対的な重石が存在した時代において、この言葉は巨大な組織の論理から“作家のクリエイティビティ”を守るための優れた哲学でした。

 しかし、「雑誌」という後ろ盾が解体されつつある現在、この関係性は別の意味を帯びてきます。それは「才能」と「狂気」の危うい関係性です。

 クリエイティブとは、時に常識からの逸脱(歌舞伎でいう「傾く(かぶく)」こと)と隣り合わせにあります。創造性と狂気(精神病理)の関連については、19世紀の精神科医チェーザレ・ロンブローゾによる古典的名著『天才論』をはじめ、近年でもスウェーデンのカロリンスカ研究所による大規模な疫学調査(Kyaga et al., 2011)において、クリエイティブな職業に就く人々と精神疾患の関連性が示唆されるなど、学術的にも長く議論されてきたテーマです。

 常人が思いも寄らない(時に規範から外れた)発想こそが、エッジの効いた素晴らしい作品を生み出す源泉となるのも確かです。しかし、今回明らかになったおぞましい事件は、その発想を現実社会に現出させてしまったが故の、決して許されない過ちです。

 本来、ビジネスサイドの人間である編集者は、客観的で冷静なフィルターとしての機能を持たねばならず、作家の狂気や逸脱に完全に呑み込まれてはなりません。しかし、過剰な同調(オーバーラポール)によって作家と個人的に深く結びつきすぎた結果、担当編集者はその機能を見失い、被害者への独断での示談介入や拙速な別名義での再起用という企業倫理を逸脱した行動へ繋がってしまったと推測されます。

 では、出版社は今後どのような体制を構築すべきでしょうか。作家をコンプライアンスでがんじがらめにし、編集者の行動を徹底的に管理すればよいのでしょうか。

クリエイティブの「裁量」と「危機管理」を分離するシステムへ

 今回の事態を受け、小学館は外部有識者による「第三者委員会」の設置を発表しています。

【ITmedia NEWS】小学館、第三者委員会設置へ 「マンガワン」での原作者起用問題を調査
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2603/02/news120.html

 『セクシー田中さん』の際は社内委員を中心とした「特別調査委員会」でしたが、今回はより客観性の高い第三者委員会が組まれたことからも、事態の深刻さが窺えます。なぜ、編集者と編集部は今回のような間違いを犯してしまったのか、詳細はこの調査結果を待つ必要があります。

 近年、マンガ等における「非実在青少年」を巡る表現に対し、2016年に国連の特別報告者から規制勧告が出されるなど、グローバルでは厳しい目が向けられています。架空の表現上の問題ですら議論の的になる中、現実の児童・未成年に対する加害・搾取事件や隠蔽が明るみに出れば、日本のマンガ出版社が推し進めるグローバルなIP展開に多大な悪影響を及ぼす懸念もあります。

 ただここで強く警戒すべきは、過剰な管理体制を敷くあまり、日本のクリエイティブ最大の強みである「個人の裁量」や「エッジの効いた面白さ」という、本来の生命線まで絶ってしまう本末転倒な事態です。大前提として、電子化に伴う異業種からの転籍という文化のインストールもあり、多くのマンガ編集者たちは、大変なプレッシャーの中でも真摯に、高い倫理観を持って作家や作品と向き合っています。事件の再発防止を求めるあまり、作家や編集者が作品を作る上での「個人の裁量」を奪うような空気が強まりすぎれば、日本のマンガは活力を失ってしまいます。

 雑誌というメディアパッケージが解体され、デジタル空間に偏在するレーベルと作品のコントロールという難易度の高い取り組みと並行して、日本のマンガやアニメが世界規模のビジネスへと成長していく中、クリエイターの才能と作品作りの土壌を守りながらも、犯罪やその隠蔽などを起こさないバランスの取れた、しかし断固たるガバナンスの再構築が、いま急務になっているのです。

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