「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」
――『新世紀エヴァンゲリオン』
「ええ、逃亡中」
――『プロジェクト・ヘイル・メアリー』
人気映画『オデッセイ』の原作でも知られるアンディ・ウィアーの最新作『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が、このたび映画化され日本でも公開された。
たったいま観てきたばかりなのだけれど、ほぼ原作に忠実な筋書きで文句なしの傑作。
いやまあ、700ページを超える大部の原作を映画の尺に合わせて科学描写を大幅にカットした結果、SF的な説得力がいくらか下がった点などは賛否があるところではあるだろうが、メディアの違いを考えれば、いたしかたないかと思う。
ことにクライマックスのドラマティックな展開は、ある意味で原作以上に「エモい」仕上がりで、とびきり美しい映像が見る者を圧倒する。紛れもなく今年のベストを争う作品だ。
本記事は映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のネタバレを含みます。
ライター:海燕

ジャンル横断エンタメライター。主にマンガ・アニメ・ゲーム・映画を題材に、読者が感じる違和感や評価の分かれ目を言葉にする記事を執筆。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』CLAMP特集、マルハン東日本「ヲトナ基地」連載など。
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気弱な科学者と星から来た相棒
物語の始まりは「ペトロヴァ・ライン」と呼ばれる謎めいた現象によって太陽の光度が下がりつづけている時代。ライアン・ゴズリング演じる主人公グレースは、世界でたったひとり「ペトロヴァ・ライン」について存在可能性を示唆する論文を書いていたため、この現象の専門家として世界的な機関に招聘される。
そしてかれは「ペトロヴァ・ライン」の正体が一種の生物であることを解明、人類の命運を賭けた大作戦「プロジェクト・ヘイル・メアリー」に参加することとなるのだった。
と、こう書くといかにも天才科学者の成功譚のようだが、じつのところ、グレースは学会で舌禍事件を起こして、いまは中学校の教師をやっているという、いささか性格的な問題を抱えた人物。
頭が良いことは間違いないのだが、科学に夢中で浮世離れしているため、恋人とも別れている。さらにはヒロイックな意味で勇敢というわけでもなく、その聡明な頭脳を除けばごくふつうの人間だ。
映画は、そのかれがいずことも知れぬ宇宙空間をさまよう船のなかでめざめるところから始まる。記憶もまったくさだかならず、いったい何がどうしてそこにいるのかすらわからない状態で、グレースは探り探りあたりを探索し、少しずつ事態を把握してゆく。
上ではわかりやすいように過去のことから記したが、じっさいの映画では観客は何もわからない状態のグレースとともに、以前に何が起こってかれがそこにいるのか知らされていくことになる。
ほんとうはいっさい何も知らずに観ることがいちばんなのだと思うものの、すでに予告編その他でネタバレされているため、そこまでは書いても問題ないだろう。物語の中盤では、そんなかれのまえにさらなる驚異的な存在があらわれることになる。
と、ここは原作小説では最大のサプライズポイントなのだが、これも予告編でネタバレされてしまっているので書いてしまおう。グレースはかれと同じく宇宙のかなたからやってきた岩の塊のような姿の知的生命体「ロッキー」と知り合うのである。
ともに高度な科学知識を持ち、「ペトロヴァ・ライン」の秘密を解き明かす方法を探るふたりは意気投合、たがいに「相棒」となって問題解決に挑む!
一か八か、人類の命運を賭けたスーパーパス!
この映画のタイトル「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は、アメリカンフットボールでいう一か八か運まかせの遠投「ヘイル・メリー・パス」から採られていて、つまり、なかば神頼み的な起死回生の計画を意味している。
グレースはその「ヘイル・メアリー計画」を成功に導き、存亡の危機に立たされた人類を救済するべく、たったひとり活躍するわけだが、面白いのはその性格が決してマッチョで自己犠牲的ではないということ。
むしろ、先述したように、グレースには弱々しいところがあり、むりやり責任を押しつけられると何とか逃げ出そうとする。そこら辺の展開は日本人の目から見るとちょっと『エヴァンゲリオン』っぽくて面白い。
が、このヘタレっぽさこそがグレースというキャラクターの魅力だろう。
決して超人的な勇敢さのもち主ではないあたりまえの人間が、巨大な責任を押しつけられて悪戦苦闘する。かれの武器となるものはたったひとつ、人類が数千年にわたって築き上げてきた「科学」あるのみ。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はそんなお話だ。
きびしい環境に置かれながらつねに減らず口を叩き、期せずしてバディとなって何かと「質問?」と繰り返すロッキーとともに人類史上最大のプロジェクトを少しずつ遂行してゆくグレースの物語には、アイザック・アジモフやアーサー・C・クラークといった「黄金時代」の伝説的なSF作家たちの作品を連想させる陽性の雰囲気がある。
危機にあたってどうやら各国が団結して事実上の世界政府を作り、空前の大問題を解決しようとしているらしいことも、大昔のSF小説を連想させるポジティヴさ。
現実の世界情勢はどんどん暗さを増しているわけで、この展開は時代錯誤的にすら感じられるわけだが、しかし、どうにもダークだったり難解だったりする現代SFの主流とは、またひと味違う強烈にわかりやすい魅力があることもたしかである。
ミクロとマクロの高度な両立
いま、イーロン・マスクなど「テクノ封建制」の王侯ともいうべき大富豪たちがSF小説のファンであることを公言し、ある意味では「SFの時代」が訪れている。
また、「メタヴァース」や「シンギュラリティ」といった、あまりにもSF的な言葉が日常的に使用されてもいて、往年のSF小説のファンとしてはただただ唖然とするばかりだ。サイエンス・フィクションはいまやフィクションであることを超えて、現実の一部なのだとすらいっても良いかもしれない。
しかし、グレースはイーロン・マスク的にマッチョなキャラクターではなく、あくまで科学オタクの気弱な中学教師であるに過ぎない。そのかれがときに運命と責任から逃亡しようと試みたりしつつ、何とか重責を果たしてゆくところにこの映画の面白さがあるだろう。
どうにも激しいおしゃべりで、いつも思いついたアイディアを早口でしゃべっているグレースは、良い意味でも悪い意味でもオタク/ナード的な人物。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にはある意味でオタク賛歌といったところがある。
もちろん、グレースはただの限界オタクではなくきわめて優秀な人物であり、ロッキーと出逢ったあとは、あっという間ににかれらの特性と言語を解明、一致協力することとなる。
その後のSF的なクオリティとインパクトは、いわゆるファーストコンタクトSFとして、中国で3000万部オーバーのベストセラーとなり世界中で注目されている『三体』に匹敵するだろう。
ただ、『三体』が暗鬱といっても良いヴィジョンを描いているのに対し、こちらはひたすら明るいわけで、絶妙無比なテンポの良さも相まって、観ていてまったく疲れない。
また、しばしばスーパーマクロの壮大なできごとを描くことに腐心するあまり、人間ドラマが弱くなるふつうのSF作品と違って、この映画は等身大のミクロなエピソードからスタートしているため、非常に感情移入しやすい。
ミクロとマクロの描写のハイレベルな両立。これも『三体』や『エヴァ』との共通点といって良く、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が高度なハードSFであるにもかかわらず大人気を博している秘密にして、マニア受けに留まることも多い「ただの傑作SF」との最大の相違点だと思われる。
ようはまあ、とにかく、ただただめちゃくちゃ面白いのである。
現代SFの最高傑作のひとつにして、ハリウッド映画の頂点を形づくるマスターピース。良い、良い、良い。あなたはこの映画を観に行くか、質問?



