ねとらぼ

世界の脅威がポッと出て、ほっとかれる

 それでも、そのテーマが良い物語として昇華されていればまだ良かったのだが、前作よりもさらに世界設定も物語運びも何から何まで雑で、ツッコミどころ、投げっぱなし、ご都合主義のオンパレードである。

 キリがないのでひとつだけあげておくが、「急に町を襲う炎をまとった巨人」の存在が特にひどい。登場時に「あれは“スルト(北欧神話に登場する巨人の名前)”だ」と名前が告げられているが、それ以前に「町が火に襲われたことがある」とわかる程度で、他に説明がないため、意味がわからないのだ。

 少なくとも、このスルトを倒したり、何かの対策をしたりする話にはまったくなっておらず、その後はほったらかしなのである。どうやら西野亮廣にとっては、世界の危機となる事態は「自分の語りたい物語からすればどうでもいい」ということなのだろう。

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セクハラとパワハラで進行するラブロマンス

 では、世界の脅威となる存在をほったらかしにしてまで、何を進めているかといえば、時計師の宗家である「ガス」と、植物の精霊の「ナギ」という男女2人による物語だ。せめて、このラブロマンスが面白く仕上がっていれば良かったのだが、こちらも納得できないことだらけだ。

 例えば、ガスが酔っ払ってナギの肩を組み、さらにはナギがそのガスを殴ってお店が大混乱になることをロマンスの発端としたことから、いかがなものかと思った。ナギと同居している子どもたちから「謝る必要はない」「殴っていい人なんていないよ」などとフォローが入ったりもするが、「セクハラと暴力から始まる恋なんて初めから応援したくない」と思ってしまったのだ。あと、ナギが歌っているのがHYの『366日』であり、異世界で日本のヒット曲を歌うというノイズもかなり大きい。

 それでも、その発端を「まじめに時計師として働くガスというキャラクターのギャップを表現するためのもの」と100歩譲って許容しようとしても、そのガスとナギが互いに謝るかと思いきや、ガスがナギにひどく顔を近づけて「絶対に許さないです!」と「冗談のように恫喝する」様や、宴会の場でナギに踊りを強要するシーンは、はっきり不快だった。どうやら西野亮廣の価値観では、セクハラや暴力、さらにはパワハラさえも「そのくらいは許して恋仲になればいいじゃん」ということなのだろう。

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謎パワーで障害はなかったことにされる

 それでも、そのセクハラと暴力とパワハラを経ての恋を100万歩譲って許そうとしたとしても(許したくはないが)、そのナギは「植物の精霊と人間は結ばれない」とガスに明かすことはせず、スルトが襲ってきた時に発生した火事に乗じて、自らの死を偽装するのだ。それもまた納得し難いが、まあ100億歩譲って許すとしよう。

 しかし、100兆歩譲っても許せなかったのは、そのナギの死の偽装に対して、ガスが「時計師の仕事をほっぽり出して、100年間もずっと引きこもって待ち続けること」だった。さらには、主人公のルビッチが100年間も待たせたナギの元へ行くと、「精霊の植物と人間とは結ばれない」という障害は、なぜかさっぱりと消え失せてハッピーエンドなのである。ガスは年老いている一方で、ナギの方は若い姿のままで結ばれるというのも気持ち悪い!

 そもそもガスは時計師の仕事を100年に渡って放棄しており、さぞ世界に深刻な問題が出ているのだろうと思いきや、「待ち合わせができないし、夕食の時間もわかりゃしない、真夜中に目覚ましが鳴った」と言われたり、大砲と共にニワトリが「たぶん7時」と知らせる大雑把な時報が存在したりする程度だった。冒頭と最後に「時計の長針と秒針」のスピーチをする割には、ずいぶんと時間や時計の重要性がナメられているようだ。

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前作で成長したルビッチをも甘やかす着地に

 そもそも、本作の原案は2019年発売の絵本『チックタック 約束の時計台』であり、そちらの物語を映画の『えんとつ町のプペル』の「続編」として成り立たせるために、前作の主人公・ルビッチを異世界に迷いこませるという発想からして強引である。おかげで、今回は「えんとつ町」も「プペル」もほぼ冒頭とラストにしか登場しない、タイトル詐欺のような状態になっている。

 それだけならまだしも、なんとガスが止めていた時計には「プペルという名前がついている」ことが判明し、その時計が動きだして、元の世界に戻ると、ルビッチの友達である(正体は父親でもある)プペルまでもが蘇ってハッピーエンドなのである。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。一応は「物に霊が宿る」という付喪神(つくもがみ)という概念を当てはめているとはいえ、「そんなことを言い出したらなんでもありじゃん」となる、とてつもないご都合主義だ。

 いや、ご都合主義というだけならまだ良かった。本来は異なる2つの物語を無理矢理にリンクさせたことで、前作でプペルの死に向き合い、先に進もうとしていたルビッチさえも、引きこもってナギを待ち続けるガスに(一度はさすがに怒るも結局は)感化され、そのプペルも蘇らせてあげるという、とことん甘やかす着地になっているのだから。

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