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なぜ古典文学では「にほひ」を「ニオイ」と読むのか? 

そういえばなぜ?

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 突然ですが、以下の和歌を音読してみてください。

(A)梅の花 にほふ春べは くらぶ山 闇に越ゆれど しるくぞありける
(『古今和歌集』1-39)

(B)大空は 梅のにほひに かすみつつ くもりもはてぬ 春の夜の月
(『新古今和歌集』1-40)

 どちらも、「梅」に関わる歌です。ところでみなさんは、古典の授業で、以下のようなルールを学んだのではないでしょうか。

(1)語の中(語中)や終わり(語尾)にあるハ行音は「ワイウエヲ(オ)」で発音する

例:わらは→ワラワ

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(2)単語の最初にあるハ行音は「ハヒフヘホ」で発音する

例:はな→ハナ

 そのため、上の歌にある「にほふ」「にほひ」はそれぞれ、「ニオウ(ニオー)」「ニオイ」と発音したはずです。

 しかし、なぜ語中・語尾のハ行音表記はワ行で発音するのか、疑問に思ったことはありませんか? この記事では、なぜ古典文学では「にほひ」を「ニオイ」と発音するのかを解説します。

植田麦

明治大学政治経済学部准教授。研究の専門は古代を中心とした日本文学と日本語学。

「にほふ」は「ニオウ」と発音しなかった

 先ほどみなさんに音読してもらった古今和歌集の歌、

(A)梅の花 にほふ春べは くらぶ山 闇に越ゆれど しるくぞありける

 ですが、じつは古今和歌集ができた当時(10世紀初頭)は、書かれたままに読んでいました。つまり、二句目にある「にほふ」は、「ニオウ」とは発音されていません。しかし、「ニホフ」とも発音されていませんでした。

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 この当時のハ行音は、現在のような[h]の発音ではなく、[Φ]で発音されています。現在のファに近い発音です。ですから、「にほふ」「ニフォフ」のように発音されていました。このようなハ行音の発音は、おおむね江戸時代の前期くらいまで残ります。

「ニフォフ」が「ニオウ」になる

 ためしに、「ファ」と「ワ」の発音を繰り返してみてください。

 「ファ」は唇をかすかにつけるかつけないか、「ワ」は唇をほとんどつけないで発音していることに気付くと思います。また、それ以外は「ファ」と「ワ」の口の動きはほとんど同じであるはずです。平安時代(おおむね西暦1000年ごろ)に起きたのは、「ファ」から「ワ」への変化でした。

 上に述べた通り、江戸時代までハ行音は「ファ」行で発音されます。ただし、単語の中や末尾にあるハ行音は、ワ行音で発音されるようになります。(この現象を「ハ行転呼音」といいます)

 さらに1100年までに、ア行の「イ」「エ」「オ」とワ行の「ヰ」「ヱ」「ヲ」が同じ音になります。そのため、新古今和歌集ができたころ(13世紀前半)にはすでに、「にほひ」は「ニオイ」と発音されていました。

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表記の保守性

 このように、「にほひ」と書かれていたものがかつて「ニフォフィ」と発音されていたこと、そしてそれが「ニオイ」という発音に変化したことは分かりました。

 しかし、なぜ発音が変化したあと、「にほひ」を「におい」と書かなかったのでしょうか。

 事実、ハ行転呼音が生じたころの資料をみると、ハ行の表記とワ行の表記が混在しています。例えば、興福寺本『日本霊異記』には、本来「うるはしく」とするべきところを「うるわしく(有留和之久)」と書いた例が見られます。

 にもかかわらず、ハ行転呼音を発音通りに書くことは、一般化しませんでした。つまり書き方は変わっていないのに、発音通りに文字を書く時代から、かつて発音していたように文字を書く時代へと変化してしまったのです。

 発音通りの表記になるのは、終戦後、GHQによる占領を経てのことです。

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参考

今野真二『かなづかいの歴史』(中公新書、2014年)

『ケーススタディ日本語の歴史』(おうふう、2002年)

林史典「「ハ行転呼音」は何故「平安時代」に起こったか」(『国語と国文学』69-11、1992年11月)

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