連載

「世界を肯定してあげてほしいんです」 講談社ラノベ文庫編集長・猪熊泰則<後編>東大ラノベ作家の悲劇――鏡征爾(3/3 ページ)

小説が求める“次の器”とは――。

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6 人間になりたい

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の本予告映像をみたとき、なぜか、涙が止まらなかった。その涙の理由を、自分でもまだわからないでいる。

 宇多田ヒカルさんの歌声は、残酷なこの世界を、かろやかに肯定しているかのようだった。

 日々、使い尽くされ続けるわれわれの肉体と、魂。

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 出会った瞬間から、失うことが義務づけられた魂の絆。

 そんな不協和音じみた絆さえも、美しいものだと肯定しているかのように見えた。くしくも、十年ぶりの新作となった、『雪の名前はカレンシリーズ』の主題とも一致していた。だからだろうか?

 超越的な何かを求め続けて、その果てにたどり着いた作品と同種の魂のようなものを、感じたのは。

 『世界は美しい。戦う価値がある』


新作のメッセージ(『雪の名前はカレンシリーズ』より)

 そんな冒頭から始まる小説を書き上げることができたのは、自分にチャンスを与えてくれた、猪熊編集長とラノベ王子の存在が大きい。

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 そして、ずっと言えなかったけれど、ここまでくる原動力をくれたのは、こんな人間の底辺のような場所にいた僕に賞をくれた太田克史氏、そして、氏の最初につくられた本である、肉体の失われてしまった、ゲーム・クリエイターの存在が大きい。


飯野さんの著作『ゲーム』(1997年版)の書影

 薄暗い室内で、すべてを書き終えた今、
 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の映像を眺めながら、考える。

 意味不明だし、畸形的な想像力だ。
 だが、完璧に胸をとらえて放さない。

 自由でいい。

 難解でも、わかりにくくても、意志を感じるものに惹かれる。

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 それは、僕に、かつて、飯野賢治が伝えてくれた言葉だった。

 だが、その彼も、もういない。肉体は滅んだ。

 だが、その魂は、まだ僕のなかで生きている。


『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋

 失われていくものがある。

 だが、それを忘れたくないという気持ちがある。

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 忘れたくないと思うものはいつだって美しく焦がれた記憶で、それは信じ続けた果てにようやく得られる、一瞬の幻影のような出来事だ。

 それでもその幻影は、影ではなく光なのだ。きっと。

 「世界を肯定してあげてほしいんです」

 猪熊泰則氏の言葉は、そうした経験の上に成り立っているのだろう。「光を描くためには、影の部分がなくてはならない」そう言った編集長は、そのことを誰よりも知っているのだろう。

 私たちの肉体は、いつか跡形もなく消えてなくなる。
 では、私たちは何のために出会い、別れ、失い続けるのだろう。

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 「自由でいい」

 その言葉は、飯野賢治の――そしてそれを伝えてくれた太田克史という編集者の、言葉でもある。

 飯野賢治。

 42歳の若さで夭折した、天才のゲーム・クリエイター。

 十年前。彼から送られたメッセージを、思い出したのである。


『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋

『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋

『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋

 『いつまでも新人であり続けてくれ』
 『匂うような個性と可能性を感じた』
 『太田克史、或いは一部の小説界が、必死の思いで創り上げた、ある種の領域、枠組みみたいなものを一瞬にしてぶち破って飛び出した、その異形さを保ち続けてほしいと心から思う』
 『集団下校なんて必要ない。あなたはあなたであってほしい』
 『次回作では、可能な限り、あなたで埋め尽くしてほしい』

 何度も、これまで思い出してきたのである。

 そのたびに、理想と現実のはざまの深さに、絶望してきたのだ。――強まり始めた雨のなか、傘も差さずに護国寺から池袋まで歩きながら、考える。

 (自分は、一体何をやっているんだろう?)

 包み隠さずにいえば、そんな風に、思っていた時期があった。死んでしまえたらどんなにラクかと、思った時期もあった。

 十年前。初の大賞を受賞し、期待されてデビューした。だが、僕は結果を出せなかった。結果を出せないどころか、理性と精神のバランスを崩し、書けなくなってしまった。

 情けない。
 合わせる顔がない。
 そう思っているうちに、大切な人はいなくなってしまった。

 雨音が、大きくなった。
 履き潰した革靴の隙間から、水が入ってくる。
 シャリ。パシャリ。と、思考の後を追うように、遅れて自分の足音がついてくる。

 ――そして雨音の向こうに、神社が見えた。

 護国寺から歩いて、当時住んでいた自宅の近くにある、雑司ヶ谷の鬼子母神だ。

 都会の喧噪を離れて、孤独にならぶ赤い鳥居が気に入っていた。

 そこに、一人の少女が倒れていた。

 無論、幻覚である。

 だが、僕には、たしかにそれが、はっきりと見えた。

 「人間に……なりたイ」

 少女は、声を発しているように、思えた。
 自分のなかの壊れかけた何かが、そうさせているのだ。

 それは、自分の青春の死骸だった。

 まだ少女は生きているようにも、死んでいるようにも見えた。

 毎日、毎日、やりたくもない奴隷労働で「使い捨て」にされる。
 それは、本当に「人間」といえるのだろうか?

 無論、すべては心象風景の出来事である。

 だが、その時、僕にははっきりと見えたのだ。

 巨大なガラクタのように年月を積み重ねて、それでも圧倒的な物量をともなって迫ってくる、まるで自分の創作人生のような、人々から忘れ去られた神社と、その中心。雨の向こうに、かすかにみえる祭殿。


壊れたカレンが雨の中「人間になりたイ」といいながら天を見上げているシーン

 「人間になりたい」と、新作のなかで少女は言う。
 少女整備士の少年は、その願いとは反対に、どんどん人間らしさを失っていく少女を、間近で手記に書き留めながら、彼女の最後を見届ける。

 そして、自分の役割を――大切なものに終止符を撃つ。そんな、決断をする。

 「人間になりたい」

 それは、作者自身の願いでもあった。

 そしてそれは、あなたの願いでもあるのではないかと思う。

7 「世界を肯定してあげてほしいんです」

 やりたくもない仕事で大切な時間と魂を切り売りして、私たちは働き続ける。そうして、ボロボロにされた挙げ句に、「廃棄」される。利用されて、利用されて、利用され続けて、その果てに「ポイ捨て」される。そんな仕事を、これまで、生きるために行い続けてきた。だがそれでも、と思う。

 「すべては意志の力なんだ」

 作中で、主人公の少年は、何度も、何度もその台詞を繰り返し続ける。 

 奴隷同然の存在。世界の最底辺にいた人間が、それでも光を見たいと信じ続けた姿に、自分を重ねたのだろうと思う。

 「知ることは変わる力を獲得することです」

 ココロを犠牲に戦う少女兵器のヒロインのは、自分の未知の感情に、名前を与えようとする。

 人間らしい感情。「初恋」を、知ろうとする。

 知ろうとすること、それによって変わりたいと願い、戦い続けること。

 それが、「人間」の条件なのではないだろうか。

 そんなメッセージは、しかし、届いていないのかもしれない。

 自分は、時代に必要とされていないのかもしれない。

 暗闇の室内で、冷たいカベに背をつけ、考える。

 階下を通り過ぎるヘッドライトの光が、幾何学的な模様を描いて流れては消えていく。

 そんな次々にあらわれる光の断片と、暗闇に残る光の残像を眺めながら、思う。

 私たちは、本当に生きているといえるのだろうか。

 自分が描いたものは、伝わっているのだろうか。

 ――ココロを犠牲に戦う人工天使とは、あなたのことだ。

 

 「人間になりたい」と口癖のように、少女は言う。人間らしさとは、何だろうか。果たして、大切な時間をやりたくもない仕事で「使い捨て」にされることなのだろうか?


編集長・猪熊泰則氏と副編集長・庄司智氏とつくった新作『雪の名前はカレンシリーズ』の書影

 これは、それでも変わることを信じ続けた少女の物語であり、同時に、それを間近で見ることによって、変わりたいと願った少年の物語だ。

 それが、あなたにとっての物語でもあると、嬉しい。

 飯野賢治氏に出会ってからの二十年間。

 初の大賞を受賞してからの十年間。

 僕は、「人間」に、なりたかった。

 壊れた心を修理してでも、もう一度、自分の顔を、鏡ごしに見つめたかった。

 自分の部屋には鏡がない。古いCDを裏返して、鏡がわりに使っていた。薄い膜で覆われたそれは、醜く劣化した肌を、隠してくれる。色あせた現実を、覆い隠してくれる。

 そうなのだ。
 僕は、ずっと、鏡すら見れなくなっていたのだ。

 『世界は美しい。戦う価値がある』

 すべてを書き終えた後、僕は、ようやく、鏡を買うためにAmazonの画面をクリックすることができた――『とらドラ!』と一緒に。

 ――十年前、あなたは何をしていましたか?

 夢は、叶いましたか?

 幼い頃に夢見た世界を、あなたは手にしましたか?
 それとも夢に見たものを掴んで、逆に失望しましたか?
 あるいは夢も希望もない、ただ死ぬだけだと、割り切っていましたか?

 それでも割り切れないものを、見つけることができましたか?

 憧れていた世界に失望してからが、本当の人生の始まりです。

 ――失われていくものがある。

 だが、それを忘れたくないという気持ちがある。

 忘れたくないと思うものはいつだって美しく焦がれた記憶で、それは信じ続けた果てにようやく得られる、一瞬の幻のような出来事だ。

 それでもその幻の光の強さを、あなたの魂は知っている。

作者プロフィール

鏡征爾:小説家。第5回講談社BOX新人賞(『メフィスト』姉妹誌『ファウスト』後継)で大賞を受賞。10度目にして初の受賞として話題になる。それから10年。輝かしい青春のすべてを投げ捨て、壊れる寸前でギリギリ新作を完成させる。

Twitter:@kaga_misa

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