マンガ賞選考委員はつらいよ

第21回手塚治虫文化賞でマンガ大賞に輝いたくらもちふさこ「花に染む」はどんな作品?

» 2017年04月27日 18時00分 公開
[南信長シミルボン]

 4月25日、第21回手塚治虫文化賞の受賞作が発表された。マンガ大賞は、くらもちふさこ『花に染む』。新生賞に『昭和元禄落語心中』の雲田はるこ、短編賞には深谷かほる『夜廻り猫』が選ばれた。

 最終選考会が開かれたのは3月28日。選考委員を務める私は、当然その時点で結果を知っていたわけだが、公式発表の日までは黙っていなければならない。1カ月近くも言いたいことを言えない状況はポイズンなものがある。しかも、ちょうど『文藝別冊くらもちふさこ』という特集本を制作中で、年譜に「手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞」と入れたかったけど、発売日が発表前の4月14日ということで泣く泣く「ノミネート」の記述にとどめた。わかっているのに書けないこんな世の中じゃ、ポイズン! その部分を修正したいので、早く重版がかかってほしい。

 しかし、そんなことよりつらいのは、選考会そのものだ。

 手塚治虫文化賞マンガ大賞の場合、1次選考で各選考委員が持ち点15点を推したい作品に配分する(MAX5点、5点は1作品のみで持ち点は使い切り)。そこで上位に入った作品と、書店員らへのアンケートによる関係者推薦1位の作品が最終候補となる。今回私が推したのは、丹羽庭『トクサツガガガ』、雲田はるこ『昭和元禄落語心中』、入江喜和『たそがれたかこ』、鳥飼茜『先生の白い嘘』、野田サトル『ゴールデンカムイ』の5作。そのなかから、『トクサツガガガ』『昭和元禄落語心中』『ゴールデンカムイ』の3作が最終候補に入った。

トクサツガガガ 丹羽庭『トクサツガガガ』

 ほかには、梅田阿比『クジラの子らは砂上に歌う』、高浜寛『SAD GiRL』、大月悠祐子『ど根性ガエルの娘』、くらもちふさこ『花に染む』、星野之宣『レインマン』が候補入り。合計8作品から合議によって大賞を選ぶわけだが、そう簡単な話じゃない。

 まず選考会までに候補作を(新生賞や短編賞候補も含め)全部読まねばならないのが面倒くさい。既読の作品がほとんどだが、今回でいえば『クジラの子らは砂上に歌う』は未読だったし、既読のものでも結構忘れているところもあるので読み返しておく必要がある。それも仕事のうちとはいえ、巻数の多い作品が挙がってくると正直きつい。

 さらに、選考会での議論も一筋縄ではいかない。最終候補に挙がってくるような作品は、基本的にどれも水準以上のものばかりである。読めば、大体全部面白い。にもかかわらず、自分の推し作品を受賞に導くためには、その作品の美点を説くだけでなく、対抗馬となる作品の欠点をも指摘せざるをえない。逆に、他の委員から自分の推し作品の欠点を突かれることもある。これがメンタル的に非常につらいのだ。

 もちろんみんな大人なのでケンカになったりはしない。が、自分が「これだ!」と思って推した作品を否定されれば、いい気持ちはしない。議論の流れによって3〜4作に絞られ、最後は投票で決まるのが通例だが、そこに自分の推し作品が入らないとガックリくる。気を取り直して、「この中だったらコレだろう!」と投票した作品が敗れれば、徒労感しか残らない。昨年の第20回では、あずまきよひこ『よつばと!』と一ノ関圭『鼻紙写楽』が決選投票で同数となり2作同時受賞となったが、私のイチオシで1次選考での得票もダントツだった『ゴールデンカムイ』が受賞を逃したことは、いまだに釈然としないものがある。

ゴールデンカムイ 野田サトル『ゴールデンカムイ』

 しかし、今年の大賞については納得だ。1次選考では若い描き手を優先したが、これを候補に挙げられたらしょうがない。『トクサツガガガ』や『昭和元禄落語心中』も捨てがたかったが、最終的には『花に染む』に一票を投じずにいられなかった。

 結果だけ見れば、8票中5票を獲得しての圧勝。くらもちふさこデビュー45周年という節目の年に、こうした賞を贈ることができたのは、個人的にもとてもうれしい。多少つらくても、選考委員をやってたかいがあるというものだ。

 さて、その受賞作『花に染む』とは、どんな作品なのか。

花に染む くらもちふさこ『花に染む』

 公式キャッチコピーは<和弓純愛ストーリー>。とある地方都市の神社の跡取り息子の陽向(ひなた)と次男の陽大(はると)は、幼い頃から弓道に親しんでいた。神社の隣の畳屋の娘・花乃(かの)もまた、陽大の流鏑馬(やぶさめ)姿に魅せられ、弓道を始める。3人は同じ中学の弓道部で競い合うが、ある夜、神社の宝物殿から出火。陽大は兄と両親を失ってしまう。

 その後、紆余曲折を経て、陽大は東京の高校で生徒会長兼弓道部のエースとして活躍。スランプで一時は弓を置いていた花乃も東京の女子大で弓道部に入る。そこに陽大の従姉妹で美形の弓道部主将・雛(すう)、陽大に一目ぼれしたお姫様キャラの楼良(ろうら)が絡んできて……。

 弓道というストイックな競技を縦糸に、1人の男と3人の女の恋愛と思慕と尊敬が入り交じった感情を横糸として紡がれる物語は、わかりやすいエンタメとは違う。いろいろハイブロウすぎて、一読しただけではよくわからないところもある。「マンガ解説者」なんて看板を掲げておきながら恐縮だが、私もきちんと読みこなせている自信はない。

 実は選考会でもその点は議論となった。手塚治虫文化賞受賞作ということで手に取った人が、はたして面白いと思ってくれるのか。この作品でくらもちふさこを知った人が、ほかの作品も読んでくれるのか、と。

 確かに、いささか敷居が高い作品には違いない。読む側に相当のリテラシーが要求される。それでも、とにかく読んでみれば「何かすごく美しいものを見た」という充実感は得られるはずだ。そして、読み返すたびに「ああ、これはこういう意味だったのか」と、新たな発見があるだろう。

 ただし、これから読むなら、前作『駅から5分』を先に読んでおいたほうがいい。「花染町」という架空の街を舞台としたオムニバス。切れ味鋭く余韻もたっぷりの短編が有機的に絡み合う。アクロバティックな演出と画面構成、ユニークなキャラクターと複雑な人物相関は圧巻そのもの。映画や小説などを含めても、ここまで高度な表現はなかなかあるまい。『花に染む』は、その続編というかアナザーストーリーとして描かれた。『駅から5分』を読んでおけば、人間関係や世界観が少しはわかりやすくなる。

駅から5分 くらもちふさこ『駅から5分』

 ちなみに『駅から5分』は、第13回手塚治虫文化賞マンガ大賞の候補になっている。そのときは残念ながら受賞は逸したが、『花に染む』でリベンジを果たした格好だ。常に最先端の表現を追い求めるくらもちふさこが、現時点で到達した至高の境地。完結後に『駅から5分』の世界に立ち戻る構成にも意表を突かれる。マンガでここまで表現できるのか――ということを確認する意味でも、読んでおいて損はない。

 もし本稿がきっかけで、くらもち作品を読んでくれる人がいたならば、それこそがマンガ解説者という仕事の本懐である。

南信長

シミルボン

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