連載
» 2017年08月15日 12時30分 公開

東大ラノベ作家の悲劇――新小岩で笑っている自殺警備員をみたら、十五歳で立ちんぼをしていた首が“自主規制”な新宿の少女を思い出した:<後編> (2/2)

[鏡征爾,ねとらぼ]
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3 オーバードーズした時にだけ鳴る電話


 私は軽度から中程度の、鬱状態にかかっていたのだと思う。
 寝たきりのまま起き上がれない日もあった。
「しばらく切ってないのに」
 自傷の傷痕が理由ではないと思う。と私は言った。
 すると彼女は私の下方に回りこみ、性器をくわえた。
 鈍い鉛のような感触が、下腹部を走った。
 彼女は舌にピアスをしていた。
「絶対外さないよ」
 彼女は言った。
 どういう構造になっているのか分からないが、
 痛みは感じなかった。
 だが、とくだん気持ちいいとも感じなかった。

 現実感がなかった。

 彼女の手には、
 鉈でメッタ打ちにされたようなリストカットの痕がある。
 自分の脳裏には、
 大理石の洗面台に横向きに立つ、下着姿の彼女が浮かんでいる。

 くだんのSが、名古屋のデリヘルで働いていたと知った時のような、
 異様な安心感は、そこにはなかった。
 共感も、拒絶もできなかった。

 潔癖症で、シャワーを浴びなければ嫌だと言った。

 70人以上、男との経験があると豪語していたにもかかわらず、
 下着を脱ぐ瞬間は見せてもらえなかった。恥ずかしがった。
 部屋も暗くされた。商売気はなかった。

 かんかんかんかん、

 踏切の音がする。
 断続的なサイレンの音が聞こえてくる。
 庚申塚駅の近くで、私は意識を取り戻す。
 都電荒川線、巣鴨地蔵通り商店街の先にある部屋に、
 その時私は住んでいた。

 学生寮だ。

 独房のように狭い大学の寮の一室で、
 踏切の音を聞きながら、一心不乱に小説をタイプしていた。
 そんな日々だった。

 忘れた頃に着信が鳴った。
 大量のリストカットの画像が並んでいた。

 ああ、またか。と思った。
 ああ、派手にやってしまったなあ。と思った。

 肌色の岩壁をえぐりとったように、
 なぜかパックリと円形にひらかれた腕が、そこにあった。

 ああ、ああ、ああ……。

 アダルトビデオの音が、その時隣室から聞こえてきた。

 私は息をゆっくりと吐き出し、背もたれに深く腰かけ、
 この世界の音響空間の残酷さを呪った。
 それからケータイを指で操作し、返信した。
「何飲んだの?」
「DXM」
 市販の風邪薬だが、大量に服用すると、
 ドラッグと同等かそれ以上の作用を得られる。
「何錠?」
「……」
 50シートだったか500錠だったか、
 詳しい数量は覚えていない。
(合法と非合法を問わず、そういったものに、
 残念ながら、私は興味を持てなかった)
 よく分からないので、検索した。
 彼女は致死量を飲んでいた。
 何度目だろうか。と思った。

 風邪薬を飲んだ時にだけ、彼女は連絡をくれた。


4 底辺は底辺らしくヤクザと身を沈めるしかないのかな


 この散漫な物語のように、彼女との関係は不定期で、
 連続性がなくとりとめがない。
 連絡は気まぐれで、心の交流は不完全で、
 会話はほとんど成立していない。

 ただ一貫して彼女が言っていたのは、
 親不孝で両親に申し訳ないという謝罪と、
 変わりたい、と強く願うにもかかわらず
 決して変わることができないという、絶望だ。

 彼女は、それまで、何不自由なく暮らしてきた。
 口に出すのがはばかられるくらい、立派な資産家の娘だった。
 実家からの仕送りも、毎月20万ほどもらっていた。

 それに加え、夜の仕事から足を洗い、
 意を決して昼職で働き始めた。

 しかし、それだけでも生活費が足りず、
 愛人契約を結んでいる男からも、
 それなりの金額をもらっていた。
 ラブホテルの備品を器用に片付けながら、
 彼女は言った。

「泣きながらいくんや」
「泣きながら抱かれるの?」
「昼職な」
「そっちかよ」
 彼女にとってはからだを売ることより、普通のバイトをする方が大変らしい。
 そんなにつらいなら辞めたほうがいいのではないか、と私は言った。
「やめられない」
 彼女は繰り返した。
「絶対にやめられないの」

 すべては、新しくできた男のためだという。
 手首を切るのも。首を切ったのも。クスリの服用も。
 必死でまともな人生を歩もうともがいているのも――、
 その組の構成員が、原因だという。
 ある日、ため息交じりに打ち明けてくれたことがある。

「底辺は底辺らしくヤクザと身を沈めるしかないのかなあ」


5 綺麗であることがゴミであることと同じ少女の世界


 くだんの「立ちんぼ通り」について聞いたのは、そんな時である。
 トリップ系の薬は、自白剤と同様の効果がある。

 十五歳で偽造保険証を使って、
 キャバクラで働き始めた時の話を、教えてくれた。
 きっかけは、家出だった。
「そのひぐらしでナンパした男の家に泊まらせて頂いてたわ」
 彼女は感情の薄れた目で、たばこの煙を吐き出しながら言った。
 まわりにもそういう子はたくさんいたのか。と、私は訊いた。
「たくさんいた。みんなスタートは援交。まともになった子もいれば、どん底まで落ちて死んだ子もいれば、捕まった子もいれば、キャバに落ち着いた子もいる」
 どうやって仲間と知り合うのか。
「昔はね、立ちんぼできたんだよ新宿で。今は無理だけど」
 あの病院の裏か、と私は言った。
「よく知ってるね」
「売ってた?」
「うん」
「何人くらい」
「さぁ?」
 立ちんぼしている時に知り合いになったらしい。
「友達に勧められてはじめた」
「やっぱ女子中高生とかいたの」
「いたね」
「気持ち悪い相手でもやった?」
 舌がからからに渇いていた。
「私は選んでた。そして回りでも飛び抜けて可愛かったから小ぎたないのは声かけてこなかった」
 泣いた?
「泣かない。単純作業」
 感じた?
「それはない。ずっと天井を見ながら、ほかの事を考えてたんだ。このカネどうしようかなって。この後何しようかなって。ホスト行こうかなあとか。底辺だね」
 彼女は都内でも有数のお嬢様学校に合格し、
 三日で退学したという伝説をもつ。
 現実にはありそうで、なかなかない。
「絶望してる?」
「してないよ」
「それが私だから。ゴミが私だから」
 なぜそんな風に思う?
「真っ当な普通の一般的な人生歩めないから。パパから金もらわないと生活出来ないし。かといって昼職まともにやれないし」
 精神疾患はその時から?
「はじめてリスカしたのが十四歳。その時にアリピプラゾールのんでたなあ」
「なぜ首を切った」
「ヤクザにふられたから」

 そしてグチャグチャの首の画像が、送られてきた。
 どこをどう切ったらこんな傷になるのか、と私は訊いた。
「ナイフとカミソリ。私には彼しかいなかったから、彼が居なくなったら、死ぬしかなかった」
 何十箇所と切っている……。
「ぐちゃぐちゃですねー、って先生に言われた」
 しかし、死にはいたらなかったという。
「首を深く切るのは簡単じゃない。どうすれば死ねるか、そればかり考えてる。でも、本当は答えは分かってる。刃先を、押し当てて引く。思い切り押し当てる。ただそれだけ。でもそれがなかなかできないの。他に手段もないの」
 肝心の手首は切りすぎたせいで肌が硬くなっていて、刃が強くあたらないのだ、と笑いながら彼女は言った。

「私は綺麗で、だからこそゴミなのよ」

 綺麗であることは、彼女にとって、同時に呪いを意味していた。
 容姿の美しさがあれば、それすら生き延びるための道具として、使ってしまう。だから彼女は、そのきらびやかな容姿を利用して、からだを売って生きる日々を、
 ゴミのようだと、感じていた。
 その後に彼女が言った言葉は、いまでも忘れられない。

「いつまでも綺麗なゴミじゃいられないから、まともにならなければいけないのよ。そろそろ」

 私は笑うことができなかった。


作者プロフィール

鏡征爾:小説家。東京大学大学院博士課程在籍。

『白の断章』講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。

『少女ドグマ』第2回カクヨム小説コンテスト読者投票1位(ジャンル別)。他『ロデオボーイの憂鬱』(『群像』)など。

― 花無心招蝶蝶無心尋花 花開時蝶来蝶来時花開 ―

最新作―― https://kakuyomu.jp/users/kagamisa/works

Twitter:@kagamisa_yousei



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