『同級生』『海辺のエトランゼ』『ポルノグラファー』―― 商業BLオタクが「読んでよォ!」と願う傑作レビュー【前編10作】
商業BL、読んでますか?
じっとりと暑い日が続く中、空いた時間をどのように過ごしていますか? 家から出たくないけど、何をしたらいいかも分からない……そんな日は「BL作品」に触れてみるのはいかがでしょうか。
今、「急に舵を切ったな!?」と思いました? その通りです。今回は、特に季節に関係なく、常に「商業BL」を読んでほしいライターが太鼓判を押す、珠玉の10作品を紹介します。
商業BL、読んでますか?
「商業BL、読まないんだよね」――いったい何人の口からこの言葉を聞いたことだろう。商業BLとはオリジナルのBL作品を指すが、筆者の周囲では思いのほか二次創作しか読まないBLファンが多く、商業BLオタクである筆者は幾度となく「商業BL読んでよォ!」と懇願してきた。
この記事もまた、一種の懇願である。私が好きな商業BLを、ぜひあなたにも読んでもらいたい。そしてあわよくば、商業BL沼に足を踏み入れてほしい。そのために今回は、筆者の独断に基づいて選んだマスターピース20作品(一作家一作品縛り)の紹介文を執筆した。今回はその前編として、10作品を紹介する。商業BLにこれから入門する方も、すでに商業BLを楽しんでいる方も、ぜひ興味を持った作品からお手にとっていただければ幸いである。
高島鈴:1995年生まれ。ライター、編集、アナーカ・フェミニスト。人生で初めて読んだBLは橘紅緒・室井理人『セブンデイズ』(大洋図書)、初めて買った商業BLは古街キッカ『オルタナ』(大洋図書)。BLで最も好きな概念は「元彼」です。
※今回紹介している作品の多くには、性描写が含まれます。『同級生』『10DANCE』『あちらこちらぼくら』には性描写がありませんが、『同級生』『あちらこちらぼくら』は続編に性描写が入りますし、『10DANCE』は特装版の別冊コミックに性描写があります。もちろん、すべてのBLに性描写が入るわけではありませんが、BLと性描写が密接な関係にあることは事実です。性描写が苦手な方は、注意して作品を選んでみてください。
新井煮干し子『渾名をくれ』(祥伝社)
二者関係のアンバランスを描くことにおいて比類ない筆力を発揮する新井煮干し子作品を、筆者は「全部読むべきだ」と断言する。そこからさらに1作品を選ぶならば、間違いなく『渾名をくれ』だ。
イラストレーター・天羽崇彦には秘密がある――それは自身の部屋に、同居する恋人にして「ポッと出のスーパースター」、ジョゼを描いた大量の絵を隠していることだ。同じ家に住んでいてもジョゼだけには見せないと誓ったそれらの絵は、天羽の目に映る全てに偏在する概念としてのジョゼを映しとるための必死の実践であった。
天羽にとってジョゼは世界そのものであり、自分がジョゼに介在できるとははなから思っていない。一方でジョゼは天羽の視線を素直に受けて素直に返したいと考え、現状に不満を抱く……。
愛と一口に呼べども、その内実が誰かと一致する瞬間など、たとえ思い合っていても永遠に来ないだろう。新井煮干し子の筆致はその困難と美しさを世界から削り出し、われらの前に提示する。煮詰まりきった二者関係に風を吹かせるのは何なのか? 他者がいる恐怖と喜びを同時に噛んで味わい、苦味とともに飲み下す傑作である。
中村明日美子『同級生』シリーズ(茜新社)
初めて読んだBL漫画が『同級生』だった、という人も少なくないはずだ。同じクラスの子をふとした瞬間に好きになり、告白し、付き合い始めて……というラブストーリーの「定番」を地に足をつけて一歩ずつ丁寧に描き抜いた、青春BLの金字塔だ。主人公は勉強一筋で引っ込み思案な優等生・佐条と、ノリは軽いが情に厚いバンドマン・草壁。グループの違う1人は合唱コンクールの練習をきっかけに、互いにゆっくりと手を伸ばし始める。
中村明日美子作品を説明する際、絵柄の美しさについて言及しないわけにはいかないだろう。毛先の1本1本にまで意識の行き届いた繊細な線と計算された余白が、2人の距離が縮まっていく過程を空気の震えまで写しとっていく。本作は長編アニメが製作されているが、こちらも原作の繊細なタッチと落ち着いたテンポを正しく受け継いでおり、必見である。
なお、もっと血生臭い「同級生」の物語がお好みの方には、同じ作者による『ダブルミンツ』もおすすめだ。こちらは同じ名前を偶然背負った男たちの、後ろ暗い業の物語である。
梶本レイカ『コオリオニ』(ふゅーじょんぷろだくと)
全てが規格外、圧巻の犯罪エンターテイメントである。実際に起きた拳銃摘発をめぐる北海道警と暴力団の癒着事件「稲葉事件」を題材にとり、いわゆる「特区」差別(タコ部屋労働者とその子孫に対する差別)、「内地」出身者との確執を絡めつつ、危険な男たちの破滅と蜜月を描いた怪作。画面全体から血の匂い、硝煙の匂い、残酷なほど寒い潮の匂い、北の地を這い回る男たちの汗の匂いが立ちのぼる。
あとのあらすじは多くを語るまい。ただ、BLというジャンルは必ずしも常に愉快な磁場ではないが、『コオリオニ』のような作品に出会ってしまうと、やはり自分はここから離れられない、という確信に近い気持ちが生じてくるのである。この言葉を信じて、どうか手に取ってみてほしい。
のばらあいこ『寄越す犬、めくる夜』(祥伝社)
こんな地獄があってたまるか、と叫び出したくなるような泥沼三角関係BL。かわいそうな人間に興奮する男・新谷が、行き場のないチンピラ・菊池、薬物依存のヤクザの愛人・須藤の間を揺れ動き、その振動がそのまま血みどろの騒擾(そうじょう)を巻き起こす。
のばらあいこ作品の魅力は、たんたんと挿入される印象的な画面である。性行為中の口に不意に突っ込まれる勃たない老ヤクザの拳銃、母が殺された場所に供えた花束が燃えるのを放尿で消す人の錯乱――こんな行動を起こす人間に、一体何が起きているのか? セリフは全てを語らない。ただその画面に描き起こされる切羽詰まった人間の行動すべてが、心底恐ろしく、そして愛おしいのである。
展開は過酷である一方、ラストシーンの開放感は思わず涙するほど爽やかだ。この世の暗がりをとことん描いているからこそ、物語は「生きる」ことに肉薄していく。
なお、のばらあいこ作品は気になるけれどノワールものは苦手だという人には、『秋山くん』シリーズもお勧めしたい。こちらは高校生の甘酸っぱい恋愛もので、ちょっとはちゃめちゃでかわいいラブストーリーが読みたいときにはうってつけである。
井上佐藤『10DANCE』(講談社)
徹底的に〈美しく〉馴致(じゅんち)された身体で、〈男と女〉のストーリーを演じ切る。それがソシアル・ダンスの世界だ。そしてタイトルにある「10DANCE」とは、通常分離しているスタンダード・ダンス5種、ラテン・ダンス5種を合計した10種目を踊り切る過酷な競技を指している。
本作の主人公は、スタンダード・ダンス世界2位の選手・杉木と、ラテン・ダンス日本1位の選手・鈴木。10DANCE出場のため、お互いをコーチングすることになった2人は、毎夜踊るうちに次第に惹かれあっていく。
本作の一筋縄ではいかないところは、支配欲によって杉木と鈴木が衝突する点にある。ダンスという役割の世界に生きているからこそ、2人は互いを支配したいと願い、互いの支配欲を受け入れきれずに苦悩するのだ。「この男を慰めてかわいがってやりたい」という慈愛の心と、「この男を完膚なきまでに叩きのめしてやりたい」という闘争心が〈性欲〉の地点で火花を散らすシークエンスの快感と残酷さには、唸らざるを得ない。
徹底して舞踏に仲立ちされたこの恋は、ダンサーたちをどこへ連れていくのか? 杉木と鈴木はもちろん、2人のダンスパートナーやライバルなど、周囲を固めるキャラクターの立体的な造形&人間模様も魅力的なシリーズだ。
丸木戸マキ『ポルノグラファー』シリーズ(祥伝社)
嘘つきで無神経、逃げ癖があり、怠け者だがプライドは高い……ほころびだらけで面倒くさい、いわゆる「ダメな大人」にして異才のポルノ小説家・木島を取り巻く人間関係を描く人気シリーズ。ドラマ化、映画化もされている。
木島とその若きパートナー・春彦の出会いを描く第1作『ポルノグラファー』も名作だが、出色なのは2巻に当たる『インディゴの気分』であろう。〈男たちが愛の力で結ばれる流れ〉を筆者は個人的に「BL的腕力」と呼んでいるのだが、『インディゴの気分』はそれを丁寧に放棄したことでかえって完璧な作品になった。第3作目『プレイバック』の前に『インディゴの気分』が置かれていることの美しさを、ぜひ通しで読んで実感してほしい。
同じ作者の作品として、世界最後の日を目前にして元彼に出会ってしまう『僕らのミクロな終末』(祥伝社)もおすすめだ(この記事を書いている人間は元彼という概念が大好きなので……)。なお青年誌作品になるが、古典的なお家騒動のモチーフをオメガバースで読み替えた『オメガ・メガエラ』(講談社)は、オメガバースを批評的に捉えた作品であり、こちらも推薦しておきたい。
虫歯『神様はたぶん左利き』(集英社)
虫歯作品は『不死身の命日』『天国 in the HELL』(いずれも集英社)も必読だが、筆者の一押しは本作だ。物語の舞台となるのは、ヤクザに脅されて偽札印刷をさせられている広島の小さな印刷工場である。まずこの設定から滲み出る寂寥感に惚れ惚れさせられるが、さらに2人の主人公、偽札作り――本人は頑なに「擬札」と呼ぶ――になけなしのプライドを懸ける印刷工・夜野と、水害の経験を経てあらゆる感情を押し流されてしまった模写の天才・真倉が、乏しい選択肢の中から2人で尊厳を取り戻そうとする過程に胸が締め付けられる。印刷された紙を食べるとプリンターとインクの品番がわかる謎のおじさん(!?)など、脇を固めるキャラクターも妙な現実感があって愛おしい。
そして『神様はたぶん左利き』の特異性は、セックスシーンがゲームブック形式になっていること(!)だ。2人のキャラクターのセックス・ポジションがどうなるのか、あるいはどうにもならないのかは、読者が決めて読むことができる。この形式は、管見の限り他作品では一切見られないもので、BL史上にも位置付けられて然るべきであろう。
阿仁谷ユイジ『刺青の男』(茜新社)
阿仁谷ユイジによる傑作ヤクザBL。暴力団員を追う警察官・久保田、久保田と愛し合ってしまったヤクザ・潟木、組の跡取りであるがゆえにヤクザ稼業から逃れられない「坊」こと有馬、有馬のお目付役・武藤――刺青を負った男たちの群像劇を、阿仁谷ユイジならではの肉感的な筆致が美しく描き出す。誰もが逃れられないものに絡め取られながら、それでも生きて罪と罰を背負おうとする業の物語には、誰もが圧倒されることだろう。単行本一冊弱と短い作品ながら、濃厚な悲恋が楽しめる。
また、本作はエイズの問題が出てくる点で貴重な作品だと言えるだろう。BLはもっとキャリアの人たちの恋愛を当たり前に描くべきであると思う。今作は悲恋だが、今後はキャリアの人たちの明るいラブストーリーも見てみたい。
同じく阿仁谷ユイジ作品として、記憶喪失もの『もういちど、なんどでも。』(祥伝社)や、地方のコンビニを舞台にした『ミスターコンビニエンス』(東京漫画社)もおすすめだ。
紀伊カンナ『海辺のエトランゼ』シリーズ(祥伝社)
紀伊カンナ作品の魅力は非常に多い。やわらかく緻密なタッチの絵柄、印象的な風景の連続、不思議なテンポで展開される会話……。しかしその真髄は、物語のなかで焦点が当たる瞬間の選択と、そこにカメラを向ける視座の冷静さにあるのではないか、という気がする。
『海辺のエトランゼ』シリーズの主人公は、石垣島の親戚のもとで下宿をしながら小説家を目指しているゲイの青年・駿と、親を亡くして所在なく暮らしている少年・実央である。ふたりはあるきっかけから恋人になり、やがて石垣島から駿の故郷である北海道へ居を移し、生活を共にする。
働き、遊び、悩み、笑い、その繰り返しで季節が過ぎ、暮らしが積み重なってゆく。当たり前かもしれないが、それが人間を作るのだと、本作を読むと改めて思わされるのである。
なお本作はアニメ版が制作されており、2022年5月Amazonプライムビデオ、Netflixなどで見放題配信されている。こちらも原作の絵が動いているかのような美麗な画面が味わえるので、漫画と併せておすすめしておきたい。
吾妻香夜『ラムスプリンガの情景』シリーズ(心交社)
舞台はベトナム戦争後、1980年代のシカゴ。何かを失った人ばかりがすれ違う街の片隅で、夢破れた元バレエダンサー・オズワルドと、移民直後の生活を今も保つ宗教コミュニティ「アーミッシュ」を飛び出してきたばかりの青年・テオドールが決定的な出会いを果たす、ドラマティックなラブストーリー。
とにかく感情の盛り上がりを描くのがうますぎる、というのが初読の印象であった。目の前にいる相手にいかに情が湧き、性欲が迫り上がってくるのか、いかに挫折が苦しいのか、なぜ故郷が離れがたいのかを、豊かな表情と展開の緩急が情熱的に伝えてくれる。そしてそれらに説得的な肉付けを行うのが骨太な舞台設定だ。アーミッシュが外界で受ける差別、ベトナム戦争という巨大な加害と疵(きず)、ブロードウェイの手が届きそうで届かない夢。誰もが郷愁から逃れられなかった時代に生まれた愛を、ぜひとも見届けてほしい。時代の前後するシリーズ作『親愛なるジーンへ』も併読を推奨する。
また、同じく吾妻作品から、『桜田先輩改造計画』シリーズもおすすめしておきたい。こちらはコメディを絶対におろそかにしないラブコメであり、「アホエロ」の最高峰が味わえる。
※書影は版元ドットコム、Amazonより引用
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