是枝監督最新作「怪物」レビュー 「万引き家族」に通ずる“傷だらけの怪物”の物語
伏見校長役の田中裕子にMVPを贈りたい。【ネタバレ注意】
劇場公開中の映画「怪物」は、特報では不気味なホラー映画を思わせる映像だったが、実際は、小学校で起きた暴力事件の謎に迫るミステリー映画だった。誰が誰を傷つけたのか、子ども、親、教師らが証言するが、なぜかことごとく食い違う。どの登場人物も他人をあざむく怪物に見えるし、視点が変わればまともな善人にも見える。このひたすら翻弄(ほんろう)され続ける126分が最高に面白い。
※この記事では映画「怪物」のネタバレが含まれますので、ご注意ください。
また、今作はヒューマンドラマとしてもピカイチだ。作中で取り上げられるイジメ、ひとり親家庭の育児、教育現場の隠ぺい体質の問題――。どれも見ていて胸が苦しくなるものばかりだが、心に傷を負った少年はラストで救われるし、子どもの成長を見守る大人たちのまなざしが優しく描かれていた。これは是枝監督の過去作品にも通ずる要素だ。以下、「怪物」の見どころを紹介し、2018年の映画「万引き家族」との共通点を考察する。
息子思いな母か? モンスターペアレントか?
安藤サクラ演じる麦野早織は、最近、11歳の息子・麦野湊(黒川想矢)の様子がおかしいことに気付く。彼の靴が片方しかない。水筒の中が泥だらけ。耳がガーゼで覆われていて血がにじんでいる。親からすれば、どう考えてもいじめだ。一体誰にやられたケガなのか問い詰めたところ、湊が担任の保利先生(永山瑛太)にやられたと証言するところから物語ははじまる。
この映画は3つのパートに分かれている。街で起きたビル火災、校内での暴力と大人たちの対応、そして嵐の朝に湊が失踪するまでの一連の出来事が、(1)母・早織、(2)担任・保利、(3)子・湊の順に、それぞれの視点から描かれる。
しかし、彼らの発言内容にはうそや勘違いが含まれる。だから何が真実なのか、登場人物も、そして観客も混乱する。今作ではいわゆる「羅生門効果」(ある事件について、登場人物がそれぞれ矛盾した証言をするという演出)が使われており、ラストに向かうに従ってやっと事件の全貌が明らかになる構成になっている。
また、視点のスイッチという仕掛けには別の効果もある。シングルマザーの早織は、傷ついた息子を自分ひとりで守らなければと焦っていた。それ故、彼女は息子の証言だけを頼りに学校側の責任を追及しはじめ、最終的には法的手段に出る。しかし、(2)保利のパートや(3)湊のパートになると(つまり視点が変わると)、「モンスターペアレント」の言葉の通り彼女は怪物として行動していたことが分かる。
このように映画の中盤以降は、登場人物たちの二面性がどんどん見えてくる。当初ふてぶてしい態度が目立った保利は、実は生徒のことをよく気に掛ける良い先生だった。そして田中裕子演じる伏見校長も、途中で印象がガラッと変わる。振り幅の大きさでいえば、伏見が一番かもしれない。そこで、脇役ながら強烈な個性を放つ伏見校長を軸にして映画の重要シーンを紹介しよう。
伏見校長 VS 早織 密室の壮絶バトル
映画の序盤、伏見は学校に乗り込んできた早織を校長室へ通す。ところがこの校長、全く意味のない答弁を繰り返す政治家のごとく振る舞うのだった。
伏見は、当事者である保利にいきなり謝罪をさせ、そして教頭たちと一緒にひたすら頭を下げる。早織からすれば、それだけでは一体何に対する謝罪なのか伝わってこない。しかし伏見は早織から何を聞かれても具体的な説明を一切せず、こんな言葉を唱えはじめる。
「ご意見は真摯(しんし)に受け止め、今後適切な指導をしてまいりたいと考えております」
こんな不毛なやりとりのなか、早織の表情と声からうかがえる心情は、イライラから怒りへと変わり、次第にもう何を言っても無駄だという落胆になっていく。そんな早織を見ても、伏見校長は頑として態度を変えない。おまけに、最近亡くなったという孫の写真を校長室にわざわざ飾って、早織の戦意を削ごうなんてこともやる。伏見校長の振る舞いはまさに怪物そのものだった。
筆者としては、是枝監督がこれまで何度も描いたような密室バトルが今作にもあって大満足した。過去作ですごかったのは「万引き家族」の取調室シーンだ。この作品でも母親役を演じた安藤サクラは児童誘拐の疑いで逮捕され、刑事から容赦ない尋問を受けて涙ぐんでいた。「怪物」で安藤は攻める側に回ったものの、やっぱり泣かされてしまう。毎回強敵が待ち構えていて、「怪物」の校長室シーンもハラハラすること間違いなしだ。
ところが映画のストーリーが進んでいくと、伏見校長は怪物は怪物でも「傷だらけの怪物」であることが分かる。そして意外にも、心に深い傷を負った湊の一番の理解者となる。
伏見校長の罪と湊の罪
実は彼女、「孫殺し」の責任から逃げる日々を送っていた。自宅の駐車場で孫を車で轢(ひ)いてしまったが、校長の職を追われるのを恐れ、夫に罪を被ってもらったのだ。伏見はこのうそのせいで、息子夫婦との関係を悪化させてしまう。そんな折に湊の問題が学校で浮上し、ボロボロの精神状態で対応することになった。
一方、湊も心を病んでいた。彼はずっと、親友の星川依里(柊木陽太)がクラスでいじめられていても助ける勇気を出せずにいた。それどころか、依里と仲良しなのを他人に悟られたくないが故に、取っ組み合いのケンカをして暴力をふるうことさえあった。このときに湊は耳をケガしたのだが、ケガの理由を早織に説明しようにも、依里との関係は決して口にしたくない。だから苦し紛れに保利先生にやられたとうそをついてしまう。
湊は自責の念にさいなまれ、学校のベランダで「ごめんなさい……」とひとりつぶやく。それを偶然、伏見校長が耳にした。
伏見「誰に謝ってるの?」
湊「保利先生は悪くないです。僕、嘘つきました」
伏見「そう、一緒だ……」
伏見校長は湊の一言で事件の真相と彼の苦しい心中を察し、ある励ましの言葉をかける。この湊の立ち直りのきっかけを与えるのが、湊に近しい早織ではなく、少し遠い存在の伏見校長であるところが面白い。
人と人が分かり合うのに大事なのは、親密度ではなく類似性なのかもしれない。それは「万引き家族」でも描かれていたことだ。親のネグレクトを受ける少年・祥太に手を差し伸べたのは、パチンコ屋の駐車場で車上荒らしをしていた柴田治(リリー・フランキー)だった。治は昔殺人を犯し、今は偽名で隠れるようにして生きている。定職につけず、万引きした商品で生活せざるを得ない彼は、言うなれば社会から見捨てられた存在だ。だからこそ、車の中に置き去りにされた祥太を放っておけなかった。
「怪物」の終盤、湊を救ったあとの伏見の目には力が宿っているように見えた。取り返しのつかない罪を犯した「傷だらけの怪物」も他者の傷をいやすことはできるし、それを通じて自分自身が救われることもあるのだ。
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