今度は私が言って、あ・げ・る(はぁと)
重巡洋艦「高雄」は、高雄型一番艦にして、1932年5月31日横須賀海軍工廠(こうしょう)の生まれ。兵装配置はその前の妙高型とほぼ共通なれど、主砲の仰角が75度までそそり立つため対空射撃も可能と判断し、新造当初の搭載高角砲は単装4基と妙高型の半分となった。
高雄型の見た目といえば、なんといっても“大きな艦橋”だ。日本人としては“城郭”のような美しさも外国人が見ると「カバのような姿」となる。妙高型と比べて「容量3倍」となった理由は、砲戦水雷戦各種指揮所を高い位置に集約することと、艦隊旗艦に対応できる規模の司令部付属設備を収容するためとされている……が、そのほかにも艦の重要部分の長さを短くするため、艦橋の下4層分に煙突を組み込んでしまっているのもでかくなった理由の1つだ。
艦橋の中に煙突があるわけで、夏の南方海域における艦橋の暑さは“気が狂いそう”になるほどで、そういう厳しい状況での演習中に、当時高雄が所属していた第4戦隊旗艦「鳥海」に乗っていた参謀長が自ら隊内無線電話を手に「高雄の艦長バカ、高雄の艦長バカ」と発信するやり取りがあったことを、当時鳥海艦橋でこの場面を目撃していた近藤太氏が手記(「海軍特務士官の記録 4等水兵から大尉までの17年間」)で紹介している。艦これの高雄が「(今度は私が)バカめ、と言って差し上げますわ!」というのは、このエピソードがベースになっている可能性が高い。
ちなみに、高雄は、同じ高雄型4姉妹と第4戦隊を編成していたが、行動をともにするのは「愛宕」だけで、たまに摩耶と組むときがあったものの、「鳥海」とはほとんど一緒に行動していない。4姉妹の全員が行動をともにした数少ない機会がレイテ沖海戦だったが、出撃翌日に高雄は愛宕と摩耶とともに潜水艦の雷撃を受けて、愛宕と摩耶は沈没、何とか助かった高雄はその後、行動不能のまま終戦まで生き残る。潜水艦の攻撃を免れた鳥海も翌々日に敵の航空攻撃で沈没してしまう。この4姉妹、実は一緒にしないほうが“なにかと”よかったのかもしれない。
高雄が経験した最も激しい海戦は、やはり愛宕とともに戦った第三次ソロモン海戦第2次戦闘だろう。この戦いで、高雄は愛宕と霧島とともに、敵戦艦「サウスダコタ」「ワシントン」と激しい砲撃戦を繰り広げた。戦闘開始時は右舷反航戦で砲雷撃を行い、霧島が戦闘不能になったあとは、反転して左舷同航戦で、戦艦2隻を撃退した。「右舷の敵艦を叩いて!」の艦これ台詞は、このときの戦闘開始時における右舷反航戦を表しているのかもしれない。
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