最初の記憶を、きみの胸はおぼえてる?
まだ十代だった小さなからだに、重すぎる鞄。
午前8時。眠たい目をこすり、電車をおりる。
通学路の様子を、おぼえている?
誰もいない交差点に、だんだん同じ制服を着た生徒が集まってくる。
きみは、そのなかから必死に、いつも、たったひとりの姿を探す。
横顔だけでも、よかった。
見つけることができれば、胸をおさえて、
鼓動がしずまるのを待っていた。
見つけられなくても、胸をおさえて、
自分の気持ちをしずめていた。
――今日も、会えるかなあ……。
白いシャツにそでを通しながら、くる日も、くる日も、考えた。
鏡に映る自分の姿に、ちょっと憂鬱な気持ちになりながらも、
白い光の射しこむ部屋で、くる日も、くる日も、
髪を念入りにとかしていた。
一瞬だけでも、よかった。
クラスも違う。部活も違う。共通の知りあいもいない。
ケータイの電波(AirDrop)だって届かないくらい遠くにいる人だけど、
それでもときどき、すごく近くで息してる。
一言だけでも、よかった。
購買で。廊下で。図書室で。
すれ違ったときに交わす言葉を、いつも考えていた。
いきなり連絡先をきく勇気はない。
自分の気持ちを伝える勇気なんてもっとない。
そもそも自分の気持ちが何なのかさえ、わからない。
ただ、声を聴いて、心が通じてる瞬間を、感じることができれば十分だった。
だから、この感情を、恋と呼ぶことができなくても十分だった。
憧れだけで、遠くから眺めているだけで、十分だった。
十分すぎるほど十分で、何もかも完璧に、満たされていたよ。
出会えただけで、私の「思春期」は、報われていたよ。
今日も会えるかな。
明日も会えるかな。
明後日も会えるかな。
『だからって何もないけど』
――そんな風に、あきらめていませんか?
きみは、いつもそうだね。
きみは、いつもそうだったね。
そうやって、いつも自分で自分を誤魔化して、あきらめていたね。
十分すぎるほど十分なら、寝る前にむなしさに涙を流すのはなぜ?
完璧に満たされているなら、鏡に映る自分の顔を見て、憂鬱な気分になるのはなぜ?
自分で自分を否定するのはなぜ?
大丈夫。きみは何も足りないところなんかないよ。
二重になれたら。
もう少しだけ痩せたら。
肌が綺麗だったら。
有名になれたら。
そんな風に思ってしまうのも、こんな世界では仕方がないよ。
だけど、二重になれたら、痩せたら、有名人だったら、
その人が振り向いてくれるの?
そんな保証なんて、どこにあるの?
むしろ、相手は一重の方がいいかもしれない。
いまの体型のままの方がいいかもしれない。
有名じゃない方が、いいかもしれない。
確証なんて、何にもない。
だったら、いつまで立ち止まっているの?
心の空白を埋めてくれるのは、何もしないでいることじゃない。
きみは、いつか必ず死ぬ。
きみの初恋はすぐに死ぬ。即座に死ぬ。
思春期はいつか跡形もなく終わってしまう。
ところで明日は、2月14日。
女子なら誰もが知っている、男子なら誰もが意識している。
そんな大切な1日ですね。
そんな大切な1日を前にして、
きみはぐうぜん、これを目にした。
バレンタインデー。
それは大人によって仕組まれたものかもしれないけれど、
いっそ好都合。逆に利用してやろうじゃないか。
"今日も会えるかな――だからって何もないけど"
その通りだね。
きみの言うとおりだね。
会えたところで、何もない。
だけど何もないけど、何かは残る。
その強さを、きみの心は知っている。
この世界には、燃えるゴミと燃えないゴミの2種類ある。
それはきっと、感情に関してもあてはまる。
不完全燃焼の痛みは、燃えないゴミだ。
燃えない痛みはきみを変えてはくれない。
爆発したガラスの破片は、たとえきみの肌を傷つけたとしても、やがて綺麗な瘡蓋でつくり変えてくれる。
大丈夫。きみは汚れない。
大丈夫。きみは汚れてなんかないよ。
僕たちは、変わることができる。
私たちは、変わることができる。
その白い腕はあらゆるものを手にする可能性に満ちている。
――最初に恋をしたときの記憶を、きみの胸はおぼえている?
――何もしなかったときの後悔を、きみの胸はおぼえている?
まだ十代でも、もう二十代でも、
三十代四十代五十代になってたとしても、関係ない。
何もしないでも、想いは朽ちる。
散る花は朽ちる花より美しい。
きみの未来は、それを知っている。
(Illustration by ふせでぃ/Novel by 鏡征爾)
ふせでぃ
イラストレーター・漫画家。
武蔵野美術大学テキスタイルデザイン専攻を卒業。
現代の女の子たちの日常や葛藤を描いた恋愛短編集『君の腕の中は世界一あたたかい場所』(KADOKAWA)は発売即重版が決定。
最新作――『今日が地獄になるかは君次第だけど救ってくれるのも君だから』(KADOKAWA)
東京(3月8日〜13日)、大阪(3月23〜24日)に個展「さよならの言葉が痛くなくなるおまじない」を開催
鏡征爾
小説家。
『白の断章』が講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。イラストも務める。
ほか『群像』や『ユリイカ』など。東京大学大学院博士課程在籍中。魚座の左利き。
最近の好きはまふまふスタンプと独歩。
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