長いゴールデンウィークも終わり、また日常が戻ってきますね。特に受験生などはここでしっかり気持ちを切り替えなければなりません。
さて、受験というと、日本ではやはり「塾や予備校に通って猛勉強!」というイメージがありますよね。各予備校が実績向上に心血を注ぐさまは、もはやおなじみの光景です。
一方、米国ではあまり塾産業が発展していません。世界最高峰の大学を数多く抱える国の実情としては、少し意外にも思えますよね。
なぜ米国には塾が少ないのか。答えは入試のシステムにあります。
「学校の成績」や「課外活動」を重視する入試制度
<日本の入試制度>
日本の難関大学の入試では、高度な能力を必要とする個別試験に、一律の共通試験(センター試験※)を一部加算するという形式がとられています。※2019年現在
この場合かなりの量の暗記・演習が求められるため、受験のノウハウを知り尽くした塾での勉強が有効になるのもうなずける話です。
<米国の入試制度>
一方で、米国の大学入試はというと、(トップレベルの大学を目指す学生からすれば易しい)共通試験が課される以外では、いわゆる詰め込み型の勉強が役立つ場面はほとんどありません。
- エッセイ
- 学校の成績
- 課外活動の記録
- 受賞歴
- 推薦状
等の項目がバランスよく評価され、総合的に学生の能力を見極めるシステムが採用されているのです。
そのため、多くの学生は高校での学習・活動に重きを置くことになります。塾に勉強の全てを頼る、というような風土が根付かないのも当然というべきかもしれません。
「抑圧型」の教育への不信感
American Journal of Education誌による記事では、米国における塾での教育が取り上げられています。記事によれば、米国でも日本人移民の多い地域を中心に塾の数は増えつつあるそうです。
共通試験(SATなど)の難易度は高くなく、全体評価に占める割合も低いといえど、1点でも成績を上げるために塾を利用したいと考える家庭があってもおかしくありません。
それでも米国で塾の文化が浸透しないのは、“banking model”―「教育の銀行モデル」(※)への不信感が根強く残るからだといいます。
※ブラジルの教育家パウロ・フレイレの造語。学生を「貯金箱のごとく知識で埋められる容器」にたとえ、抑圧的な教育に警鐘を鳴らした。
目の前には自由に学べる機会があるわけで、わざわざ抑圧的な環境に身を置く必要性は低いように感じられます。「銀行モデル」の最前線ともいえる塾が敬遠されるのは、十分に理解できる話です。
おわりに
詰め込み型勉強の問題は、日本でもしばしば指摘されています。2020年度から思考力・判断力を問う「大学入学共通テスト」が導入されるなど、さまざまな改革案が打ち出されています。
隣国に目を向けると、中国や韓国も塾産業の活発な国です。あまりにも過酷な「受験戦争」は、しばしば社会問題としてクローズアップされます。
塾の文化が定着した東アジアでも、やがては米国のように比較的自由な入試制度が主流になっていくのでしょうか。
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