それは“愛の敗北”である 映画「キャッツ」を見たら酷評は“不幸な事故”によるものな気がしたので感想などをつづる
われわれ人類は、いまだ「映画化」の最適解を見つけられていない。
映画「キャッツ」が公開され、約1週間が経過しました。国内外でボコボコに評価され玉ねぎを投げつけられまくっている同作ですが(※「1〜5点で採点するなら玉ねぎ」という海外の採点不能レビューがバズった)、どんな玉ねぎが飛び出してきても仏の心でオニオンリングにして食してあげようという確固たる決意で休日に視聴してきた次第です。
そして視聴後。そこには、事前の期待値をマイナス2億点ぐらいに設定しておいたせいか、「あれ、意外とそんなに……?」という気持ちになっていた私がいました。しかし、事前の覚悟なくいきなり見た場合、確かにこれは玉ねぎだな……と思ったのもまた事実ではあります。
現在ネット上では「キャッツ」の酷評レビューが吹き荒れ、猫の尊厳が損なわれ兼ねない危機的な状況となってしまいました。というわけで、今回はそんなにひどいとも思わなかった立場として、そしてまた猫のため、視聴した感想や思いなどを述べていこうと思います。ネコと和解せよ。
「キャッツ」なる玉ねぎの正体
まず、この「キャッツ」なる玉ねぎについて。原作はイギリスの詩人T・S・エリオットによる詩集『キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法』を元にしたミュージカルで、日本でも劇団四季が公演するなど世界的に有名な作品です。映画版はアカデミー賞受賞作品「英国王のスピーチ」や「レ・ミゼラブル」のトム・フーパー監督で制作されました。
製作総指揮にはスティーヴン・スピルバーグ、脚本に「戦火の馬」や「リトル・ダンサー」のリー・ホール。さらに主人公である白猫のヴィクトリアに英国ロイヤルバレエ団でプリンシパルダンサーを務めるフランチェスカ・ヘイワード。他にもジェームズ・コーデン、ジェニファー・ハドソン、テイラー・スウィフトなどが名を連ねています。制作費は1億ドル(約110億円)弱で、ここにマーケティング費用が加わります。
そんな圧倒的な力の入れようながら世界興行収入は現在6600万ドルと、かなり苦しい状況が伝えられてしまいました。1月24日に公開された日本では初週で全国映画動員ランキングで1位になったものの、苦しい状況に変わりはありません。
筆者は視聴するまで製作陣や出演者など含め事前情報をほとんど仕入れておらず、ネット上の評価しか聞いていなかったためすごいB級映画なのかと勝手に思っていました(すみません)。しかし実は全然そんなことはなく、かなり力を入れて作られていることは誰でも見始めてすぐに分かるはず。
問題は、全力で作った結果、全力で“変なもの”が出来上がってしまったこと。これに尽きます。
北米版実写「けものフレンズ」があったら多分こんなCG
特に問題視されているのが、「気持ち悪い」「不気味」「恐ろしい人間もどき」「不浄なポルノ」とかあらん限りの語彙(ごい)力でディスられている、CGについて。っていうか「不浄なポルノ」はさすがにひでぇべよ。
すでにトレーラー映像などを見た方ならご存じでしょうが、「キャッツ」では出演者たちをCGで半人半猫の姿に描き変えています。そしてその姿が、不気味の谷というか、人間の脳の理解の外側というか、絶妙に受け入れがたい姿となっています。一部の方向けにいうと、“ケモ度3”をCGで実写化した感じ。
これが舞台のように衣装として着ているか、もっと人間かネコに寄せるか、はたまた完全にCGにしてしまえば問題なかったはずです。しかし、よりによって人間と猫のちょうど中間あたりの感じで、よりによって超本気のCG技術を駆使して、よりによって名ミュージカル「キャッツ」の映画としてケモナーとは縁のない一般層にぶつけてしまったため、大変な不幸を招いてしまいました。
このCGがツボに特大ヒットしている人たちもいるはずなので、もっと半人半獣に理解ある人たちが集まる作品が題材だったら評価が違ったかもしれません。そう、これは交通事故なのです。超コッテリごつもりラーメンを作って待っていたら、家族連れやご年配の方がたくさん来てしまったような、そんなミスマッチが起こした悲劇といえましょう。
ただ、これは完全な偏見なのですが、アメリカン思考だと「けものフレンズ」を実写化してもこの感じのCGで作り出しそうなので、起こるべくして起こった不幸のような気がしないでもありません。あくまでも完全な偏見の上での見解です。
また、骨格は完全に人間ながら、最初のシーンで猫たちが四足歩行で登場し「人間の体で四足歩行は無理があるな」と開幕数分で雑念が頭をかすめてしまった点もつかみとしてあまりよろしくなかったかなと思います。途中から普通に直立二足歩行するし。まあ、ずっと四足歩行だと出演者たちが全員腰を壊しかねないので仕方ありませんが。
ただ、CGについては見ていればだんだん慣れてくるはずで、序盤で違和感はなくなっていくと思います。一度全編を見れば、CGについてはそこまで批判する気にならなくなるかもしれません。
むしろ、海外レビューにあった「猫がみんな発情しているように見える」などの細かい演出の方が気になる人が多いかなと思いました。この点については制作陣には猫への理解を深めて挑んでほしかったところです。ネコの裁きを受けよ。
もっと歌と踊りを見てくださいお願いします
CGへのショックに対する批判ばかりが先行しすぎて触れる人があまり見受けられないのですが、曲、歌、踊りといった、ミュージカル要素については決して悪くありません。特に後半の大勢のダンスシーンは、出演者一同の本気度が伝わってきます。
舞台では表現しきれなかった場面も、CGやセットをフル活用。映画であることを最大限生かし、キャッツたちが大きな家の中や線路の上などを縦横無尽に駆け巡り、踊る姿をダイナミックに描きます。
問題は本気を出し過ぎでいることで、黒くてガサゴソ動く“G”や路地裏のゴミ箱の中身を食べるシーンまで全力で再現してしまっていること。“G”はキャッツたちと同じく人間をCGで合成しているのですが、困ったことになかなかの再現度となってしまっています。そしてその“G”たちが大群で行進し、飛び回り、最後はキャッツが捕食! 高熱のときに見る夢みたいだぁ……。
また、ミュージカルなのでほとんどが歌で構成されているのですが、歌は猫たちの自己紹介となっており話がなかなか進まないのもつらいところ。間に挟まる普通の会話シーンでちょっと話が進みすぐまた歌い始めるため、だんだん「また歌が始まったー……」という気持ちになってきます。
愛の敗北
しかし、これらの問題は全て、原作たる舞台版を映画という媒体で忠実に再現しようとした結果。映画「キャッツ」は、ある程度映画向けに改変を入れているものの、かなり舞台版にリスペクトの気持ちを込めて作られています。歌で話が進まないのも原作通り。
映画化にあたって、無駄な改変をごっそり入れられ批判される作品は今までに数多くありました。そんな中、「キャッツ」は舞台版の展開や音楽など改変は必要な部分のみにとどめ、豪華な出演者たちと潤沢な予算、そして本気の演技という舞台版ファンの方をしっかりと向いた作品となっています。
問題は、舞台版が「目の前で行われるパフォーマンス」として優れていた作品であったため、映画という映像媒体で再現した結果とんでもないマニア向け映像になってしまったことなのではないかと思います。舞台版愛にあふれているのに受け入れられないのは、まさに悲劇。
原作愛にあふれた映画化や実写化であれば多くの原作ファンには受け入れられると信じている“原作愛信仰者”は筆者を含め多いと思うのですが、映画「キャッツ」はどんなに愛があっても無条件に受け入れられるわけではないことを証明してしまったのかもしれません。そう、これはわれわれ原作愛信仰者に突きつけられた現実、愛の敗北です。
原作愛は万能でなどなかった。人類はいまだ「映画化」の最適解を見つけられずにいたのだな……という思いを胸に、私は劇場を後にするのでした。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 映画「ベスト・キッド」が宮本亞門演出でミュージカル化! 「ブロードウェイに向けてスタート」
きっとワックスがけダンスが……。 - 『DEATH NOTE』12年ぶりの完全新作読み切り完成 小畑健描き下ろし表紙イラストが先行公開
以前ネームが全ページ公開されていたもの。 - ブラッド・ピットとジェニファー・アニストン、SAG賞で待望の2ショット 笑顔で手を取り合う様子に「もう一度カップルに」の声も
一時は険悪な仲と報じられていた2人、15年の時を経て。 - 全員で試行錯誤しながら埋めた「AI崩壊」の“穴” 大沢たかお、オリジナル脚本だからこその“不完全さ”を語る
「22年目の告白 -私が殺人犯です-」などを手掛けた入江悠監督が挑むオリジナル作品。 - 「自分の生活に身近なものとして捉えてくれたら」 入江悠監督、オリジナル脚本で挑んだ“日常の延長線上”にある「AI崩壊」
「2020年に制作するにふさわしい題材だと思いました」と入江監督。