沼津駅「御弁当(幕の内弁当)」(840円)〜戦争と駅弁(1)
誕生から135年を迎えた「駅弁」。駅弁もまた、戦争の時代を潜り抜けてきた生き字引のような存在です。日本鉄道構内営業中央会の沼本事務局長にお話を伺いました。
【ライター望月の駅弁膝栗毛】
東海道新幹線・新丹那トンネルを飛び出してきた、「のぞみ」号。
旧盆期間中、例年なら、ふるさとへの帰省に新幹線を利用する方も多い時期です。
しかし、今年(2020年)は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から帰省を自粛する動きも大きく、お盆期間の指定席予約状況も、空席が目立つ状況となっています。
その分、ほかの利用者の方との間隔も程よく空いて、1度乗ってしまえば快適な時間です。
(参考)JR東海ニュースリリース・2020年7月22日分
この新丹那トンネルの反対側、静岡県函南町(かんなみちょう)には「新幹線」という地区があることで、鉄道ファンにはよく知られています。
東海道新幹線の新丹那トンネルは、戦前の「弾丸列車計画」を活かして作られました。
昭和17(1942)年3月にトンネルの工事は始まりましたが、戦況の悪化で中断。
工事関係者がこの地域に住んでいたことから「新幹線」という地名になったと云われます。
(参考)リニア・鉄道館「第7回企画展 東海道新幹線の誕生」ほか
今年(2020年)で誕生から135年を迎えた「駅弁」。
駅弁もまた、戦争の時代を潜り抜けてきた生き字引のような存在です。
今回は7月に引き続いて、日本鉄道構内営業中央会の沼本忠次(ぬまもと・ただつぐ)事務局長に、戦争と駅弁の関係、さらには駅弁と旧日本軍の関係について、掘り下げて、お話を伺いました。
──終戦から75年、日本の鉄道が生まれてまもなく150年となりますが、じつは「駅弁」と旧日本軍には、深い関係があったそうですね?
明治22(1889)年、“国民皆兵”を理念とした徴兵令の改正が行われました。
これに伴って、軍の師団が置かれた駅では、「駅弁」の需要が大きくなりました。
駅弁と軍の間に深い関係が出来たのは、明治時代の日清戦争がきっかけです。
この時、大本営が広島に置かれました。
鉄道と船舶を合わせて、朝鮮半島への輸送体制が確立されていきます。
──確かに「人が動く」ようになると、駅弁のニーズは高まりますね?
日清戦争後、鉄道の重要性が認識されたことで、軍部から各地の駅弁業者に軍隊弁当、いわゆる「軍弁」の製造が要請されるようになりました。
明治37(1904)年に始まった日露戦争では、日清戦争の約10倍に当たる、100万人の軍人が鉄道を利用して、戦地に向かったといいます。
その都度、軍より大量の軍弁の供食依頼があり、駅弁業者は活況を呈したそうです。
──「軍弁」はどのようにして提供されていたのでしょうか?
駅によって差はありますが、当時1日3〜4本しか列車が停まらない駅でも、軍用列車1本あたり、700食程度の「軍弁」が提供されることもあったといいます。
このような列車が1日に3本も停車することがあると、近所の魚屋さんが焼き魚や天ぷらなどの調理を手伝ってくれたこともあったようです。
運行日は、予め軍部から知らされるので、これに合わせて準備する必要がありました。
──その意味では、駅弁業者も軍隊の移動という機密情報を知る立場にあったんですね。
深夜0時、1時という時間帯でも、軍用列車が毎日のようにやって来ることがありました。
夜、軍弁がしっかりと作られているかどうかを監視するために、軍の食事担当の兵士が、駅弁業者の離れに陣取って、目を光らせていたという話もあります。
この列車がやって来ると、1時間〜1時間半ほどの停車時間があり、その間には、地元の婦人会などが、兵士たちにお茶のサービスなどをして回ったといいます。
──明治のころ、鉄道を利用できる人は限られていたでしょうから、駅弁業者にとっても、「軍弁」の需要は、大きかったでしょうね?
とくに戦時となれば、長期間にわたって師団の大移動が続きましたから、軍の要請を受けた駅弁業者は昼夜弁当を調整し、調理場はまさに戦場のような忙しさだったといいます。
戦前、駅弁業者最大のお客さんは、鉄道旅客ではなく、軍隊でした。
その意味でも、「軍弁」の存在が、今に続く「駅弁」文化の礎を築いたと言っても、過言ではないと思います。
(日本鉄道構内営業中央会・沼本事務局長インタビュー、つづく)
東海道本線・沼津駅、三島駅の駅弁を手掛ける、明治24(1891)年創業の「桃中軒」は、東海道を移動する軍隊に明治・大正・昭和と「軍弁」を作り、国に奉仕してきたといいます。
沼津に海軍技術研究所、三島に陸軍野戦重砲兵連隊が移転してきたこともあり、普通弁当をはじめ各種軍弁の製造に追われ、昭和の戦前は250人の従業員がいたのだそう。
今回は、桃中軒の歴史ある「御弁当(幕の内弁当)」(840円)をご紹介しましょう。
(参考)沼津史談会資料(桃中軒提供)、三島市ホームページほか
【おしながき】
- 白飯 小梅
- 鯖の塩焼き
- 蒲鉾
- 玉子焼き
- 若鶏の唐揚げ
- 白身魚(ホキ)フライ
- あしたか牛の旨煮
- 筍の旨煮
- わさび漬け
- 割り干し漬け
- 桜漬け
先ごろ再放送された人気TVドラマにも登場していた桃中軒の「御弁当(幕の内弁当)」。
「前回」登場したときからは、掛け紙が紙蓋式に変わりましたが、“ゆづりあい旅を楽しく 明るい車内”の標語、弁当の構成はそのままで、昔ながらのレトロな雰囲気は健在です。
かつて、東海道を汽車で行き交った軍人たちも口にしたであろう、沼津の幕の内弁当。
先人に思いを馳せ、平和な世の中に感謝していただくと、より味わい深く感じられそうです。
今年(2020年)は、東海道を移動する人が減っているため、8月12日現在、桃中軒でも、三島駅の南口売店と新幹線改札内待合室売店など、一部店舗の営業となっています。
営業時間も短縮、駅弁も「港あじ鮨」「富嶽あしたか牛すき弁当」と「御弁当」に絞られていますので、「こだま」の停車時間に駅弁購入の方は公式サイトで予め確認をお忘れなく。
「戦争と駅弁」、次回は軍の存在が大きかった駅弁販売駅に注目します。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/
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