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利用客激減、大赤字、そして廃線へ? 「地方ローカル鉄道の役目」はもう終わったのか月刊乗り鉄話題(2022年5月版)(3/4 ページ)

いま、鉄道業界では「赤字路線をこのまま維持していくべきか」が深刻な問題です。「え? あの路線、廃線になってしまうの?」「そもそもなくす必要あるの?」──。そんな素朴な疑問を冷静にひもといて解説します。

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Q:なぜ「バス」ではだめなのでしょうか?

A:「バスで鉄道の代わりにならない」と思われているからです。


 地方のほとんどのバスは「初めて訪れた人」にとって使いにくいです。

 私の体験でも例えば……バスターミナルはともかく、中間のバス停は情報不足でバス乗り場も分かりにくい。目的地へ行くバスが道路のこっち側かあっち側かなのかも分からない。通りすがりの地元の人に聞いても分からない。恐らく地元の人も乗らないのでしょう。仕方なく歩き回ってやっとバス停の看板を見つけます。これも整備されていないのか看板の向きが道路と並行してしまっていて、遠くから見れば細いポールに見えるだけ。……これではやっぱり初めて訪れた人は詰んでしまいます。

 しかし、JR東日本が三陸地域で導入している「BRT(バス高速輸送システム)」(関連記事)は、停留所が分かりやすく、情報も多く、とても使いやすい乗り物でした。

 バスがもっと便利になれば、安心して鉄道の役目を任せられるでしょう。

 輸送量の課題もあります。鉄道の輸送密度は、全ての利用者が全区間乗車したと仮定したときの1日の利用者数とも言えます。しかし、これは平均ですから、1日の時間帯を細分化した状況は分かりません。日中は1人か2人しか乗っていなくても、朝と夕方は通学に使う学生でギュウギュウ詰めということも考えられます。その人数をバスで代替できるのか。ここは現地をちゃんと見ないといけません。輸送密度だけで鉄道廃止を決めてはいけません。

JR西日本の線区別利用状況
線区の「営業係数」に注目。この数値は「100円稼ぐためにかかる費用」を示す。芸備線の東城〜備後落合間は、100円稼ぐために2万5416円もかかっている。そう考えるとどれだけ厳しいのかも分かりやすい(出典:JR西日本「ローカル線に関する課題認識と情報開示について」
ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅
ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅(2017年12月撮影)。地方ローカル線の特徴は、通学時間帯に利用者が集中すること。バスの代替は簡単ではない。ひたちなか海浜鉄道は通学生向け1年定期券の発売や通学時間帯の増発などで利用者を増やした。ひたちなか市も積極的に支援している。ちなみに、ひたちなか海浜鉄道の2016年度の輸送密度は1606人/日

Q:そもそも、なぜ乗客の少ないところに鉄道があるの?

A:鉄道は、道路とクルマが発達する前の主要交通手段だったからです。


 150年前、新橋〜横浜間で初の鉄道が開業。とてももうかりました。高額な運賃だったにもかかわらず、時間を大きく節約できたからです。

 それまでの輸送手段は船、馬、牛車でした。鉄道の輸送力と速度は圧倒的で、民間企業も鉄道に参入しようとします。明治政府は鉄道事業を独占したかったけれども、資金が足りないため、将来は国が買い取ることを条件に民間に免許を与えました。結果的に鉄道は地域独占事業となっていきます。明治時代に作られた「鉄道敷設法」によって、全国の鉄道網が計画され、鉄道が敷設されていきました。

 鉄道の普及によって船舶輸送が停滞します。鉄道は内陸部で河川沿いに敷設されて、川船が衰退していきました。便利な道具はもっと便利な道具に交代していきます。船から鉄道へ、馬や牛車から鉄道へ。鉄道を補う輸送で馬車や乗合馬車も登場しました。

 これと同じ「便利な道具の交代」が、鉄道から自動車への交代といえます。

 かつて鉄道が船や馬、牛車の仕事を奪ったように、今度は道路とクルマが鉄道の仕事を奪っていきました。国鉄時代には赤字ローカル線の整理が行われましたが、当時は道路が未整備という理由で存続した路線もたくさんありました。しかし今や高速道路や高規格道路網は普及しています。役目を終えた鉄道路線が廃止されず残っていることになります。

 鉄道はもう、もうからない事業になっています。利用者の多い大都市通勤路線、特急列車や新幹線があるじゃないかと思ってしまいますが、それらが「例外的に」利益を出しているというイメージです。

Q:民間企業となったJRが「赤字路線を残し続けた理由」とは?

A:国鉄から引き継いだ責任があったからです。


 全国組織だった日本国有鉄道は、赤字ローカル線維持と都市部の輸送強化の投資によって赤字がかさみ、経営が破綻しました。最終的な長期債務は37兆1000億円でした。国鉄経営改革のため、83線区の廃止、バス転換、第三セクター化(関連記事)を進めました。廃止対象は営業密度4000人/日、2000人/日、500人/日に満たないそれぞれの線区でした。

 これとは別の「抜本的な施策」として、国鉄の累積債務を精算するため、1987年に分割民営化して「JRグループが誕生」しました。国鉄時代に決めた廃止およびバス転換の作業日程は、国鉄分割民営化までに間に合わず、一部はJRグループの発足後となりました。

 JRグループとしては、厄介な赤字路線を継承しないで済んだわけです。

 その一方で、「残された路線を維持していく」という責任も生まれました。当時の政府は「継承した鉄道路線は維持します」と国民に説明していました。

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