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91歳で死去したゴダール、スイスで認可の“自殺ほう助”選択 2014年すでに意向ほのめかすが「まだ好意的な返事はない」

多くの著名人らが追悼しています。

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 9月13日(現地時間)に映画「勝手にしやがれ」(1960年)「気狂いピエロ」(1965年)「中国女」(1967年)などで知られる仏映画監督ジャン=リュック・ゴダールが91歳で亡くなりました。スイスとフランスの国籍を持っていたゴダールは、70年代から住んでいたスイスで、同国が認可している「自殺ほう助」により人生を終えたと仏リべラシオン紙が報じています

ジャン=リュック・ゴダール、91歳で自殺ほう助により亡くなる
世界三大映画祭全てで最高賞を受賞した(ヴェネツィア国際映画祭のInstagramから)

 同紙は、妻のアンヌ=マリー・ミエヴィルとプロデューサーらが「スイスのロール、レマン湖のほとりにある自宅で愛する人々に囲まれ安らかに亡くなった」と午前遅くにゴダールの死を確認したこと伝えています。また、家族の友人は「彼は病気ではなくただ疲れ果てていた」と説明したとのこと。さらに別の友人も「彼は全て終わらせることにした。それは彼の決断で、公表することは重要なことだった」と語ったそうです。

2014年にRTSとのインタビューで自殺ほう助について語っていたゴダール

 ゴダールは2014年5月にスイスの公共放送ラジオ・テレビジョン・スイス(RTS)とのインタビューですでに自殺ほう助について語っていました。

 インタビュアーが「あなたが死ぬとき――できるだけ遅くにということですけど……」と言いかけると「必ずしも“できるだけ遅く”ってわけじゃない」と遮ったゴダール。そして、自殺ほう助について考えを聞かれると、「よく主治医や弁護士にこう尋ねる。ペントバルビタール・ナトリウムやモルヒネを頼んだら、くれるのかって。でもまだ好意的な返事はないね」と答え、自身の死について自殺ほう助も考慮に入れていることをほのめかしていました。

 スイスでは消極的安楽死など、さまざまな形で死の援助が認められており、自殺ほう助は最もよく知られているもの。医師が薬品を注入するといったことは認められず、処方された致死量の薬を付添人が運び、自分で服用するという方法で死を迎えます。国内だけでなく国外からの希望者を受け入れる団体もあり、一定の条件下で認められます。また、“利己的な動機で”自殺ほう助した者には5年以下の懲役または罰金が科せられます。

ジャン=リュック・ゴダール、91歳で自殺ほう助により亡くなる
カイエ・デュ・シネマも長文で追悼(カイエ・デュ・シネマのInstagramから)

 ゴダールが若いころ、フランソワ・トリュフォーやエリック・ロメールらと批評を書いていたヌーヴェルヴァーグの象徴的な仏映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』は、「ジャン=リュック・ゴダールが死んだ」という一文から始まる長い追悼文を公式サイトなどで公開しています。

 同誌は彼の作品が「いくつかのものがすでにそうであるように古典になるだろう」と予想し、ピカソやマティス、ジョイスら近代の偉人と同様にゴダールの芸術が「古いものへの膨大な知識に根差したものだった」と分析しています。

 また、映画史にとって重要な人物であるゴダールの死は国内外で大手紙が報じていますが、「彼をパンテオンに埋葬したり彼の偉大さを公にしようだなんて思わないことが大切だ。全ての栄光と評価を慎重に隠してきた人なんだから。芸術以外の全ての文化ルールに逆らった人。墓に“その反対に”と刻んでほしがった人」と近しい友人のように言い表す語り口には同誌からの深い愛がにじんでいるようです。

 ゴダールは2019年にフランス・キュルチュールの番組で、「以前妻が――まあ、墓は作らないと思うが――私の墓には“その反対に”、妻の墓には“疑いを抱いている”と入れたいと言ってた」と冗談めかして語っていました。

ジャン=リュック・ゴダール、91歳で自殺ほう助により亡くなる
カンヌ国際映画祭では21作品が上映された(カンヌ国際映画祭のInstagramから)

 ゴダールは世界三大映画祭全てで最高賞を受賞した映画監督でした。ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭、カンヌ国際映画祭はそれぞれSNSで彼を追悼しています。

 特に1968年にゴダールがトリュフォーやクロード・ルルーシュらと乗り込み各賞の受賞を阻止した因縁あるカンヌ国際映画祭は、意図的にその当時の写真も投稿。2018年にスペシャル・パルムドール賞を受賞し、最新作「イメージの本」で映画人たちへ語りかけた際、審査委員長であったケイト・ブランシェットが同映画祭を代表し「映画を前進させ、限界を押し広げ、映画の定義と再定義を探し続けた芸術家」と賛辞を送ったことを紹介。そして「彼の働きなくして映画に現在の姿はなく、私たち映画祭は深い悲しみと限りない感謝、深い尊敬の念とともに、かの芸術家に最後の敬意を表します」と結んでいます。

 また2001年から2014年まで同映画祭代表を務めたジル・ヤコブもTwitterで「ジャン=リュック・ゴダール、映画界のピカソ。直感と閃光、言葉とイメージ、音と色で遊び時代の先を行った。難解で魅惑的な、道しるべとなるような映画を即興で作った。世界中の映画が孤児になってしまった」とゴダールの死について述べています。

 ゴダールの代表作の1つである「軽蔑」(1963年)の主演俳優ブリジッド・バルドーは同作での画像とともにコメントを投稿。「そしてゴダールは『軽蔑』を作り出し、力尽きて偉大な創作者たちの最後の星として天空に加わった」と「勝手にしやがれ」の原題「A bout de souffle」を引用したツイートをしました。

 エマニュエル・マクロン仏大統領はTwitterで「まるでフランス映画の出現でした」とゴダールの存在を表現。「そして巨匠になった。ヌーヴェルヴァーグのもっとも象徴的な映画作家ジャン=リュック・ゴダールは、断固としてモダンで、強烈に自由な芸術を発明したのです。我々は国宝、天才のまなざしを失ってしまった」とその死を惜しんでいます。

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