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宇都宮で2000年代まで、駅弁の「立ち売り」が続いた理由宇都宮「復刻版とりめし」(1000円)(1/3 ページ)

開業40年・東北新幹線は駅弁業者にどんな影響を与えたのでしょう。姿を消した「駅弁立ち売り」の熱い歴史を振り返ってみると……。

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ニッポン放送

 「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介。

宇都宮「復刻版とりめし」(1000円)
宇都宮「復刻版とりめし」(1000円)
E2系新幹線電車(200系カラー)「やまびこ」、東北新幹線・那須塩原〜宇都宮 株式会社松廼家・齋藤久美子代表取締役 宇都宮駅の駅弁売店(2002年撮影) 宇都宮駅の立ち売り風景(2002年撮影) いまは鉄道イベントなどで行われる松廼家の立ち売り(2019年、大宮駅にて) 復刻版とりめし 復刻版とりめし 復刻版とりめし E257系電車・修学旅行列車、日光線・今市〜日光間

【ライター望月の駅弁膝栗毛】:宇都宮「復刻版とりめし」

 中高年世代にとって、新幹線とは“青と白の乗り物”という印象が強かったもの。しかし、40年前、新たに“緑と白の乗り物”と共に登場した東北新幹線は、新幹線のイメージを、大きく変えたように感じます。そんな東北新幹線は、沿線の駅弁業者にどのような影響を与えたのか? そして、新幹線の盛況に伴って、姿を消していった「立ち売り」についても、スポットを当ててまいります。

E2系新幹線電車(200系カラー)「やまびこ」、東北新幹線・那須塩原〜宇都宮
E2系新幹線電車(200系カラー)「やまびこ」、東北新幹線・那須塩原〜宇都宮

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第37弾・松廼家編(第3回/全6回)

 今年(2022年)、大宮〜盛岡間の開業から40年を迎えた東北新幹線。最近はJR世代の車両に世代交代が進んでいますが、6月から1編成に、開業当時の緑と白のカラーが施されています。この編成に乗車すると、停車駅ごとに流れる車内放送では、それぞれの駅がある地域ゆかりの民謡などのメロディが聞こえてきます。こちらは、昭和57(1982)年から平成3(1991)年まで使われていた「ふるさとチャイム」と呼ばれるものです。

株式会社松廼家・齋藤久美子代表取締役
株式会社松廼家・齋藤久美子代表取締役

 東北新幹線のふるさとチャイムは「日光和楽踊り」が流れる宇都宮駅。この宇都宮駅で、いまも駅弁を販売するのが、株式会社松廼家です。「駅弁屋さんの厨房ですよ」第37弾松・廼家編、今回は東北特急から新幹線へ移り変わるなかで、どんな変化があったのか。さらに宇都宮駅で長く続けられていた駅弁の「立ち売り」について、松廼家の齋藤久美子代表取締役にお話を伺いました。

宇都宮駅の駅弁売店(2002年撮影)
宇都宮駅の駅弁売店(2002年撮影)

東北新幹線開業、速すぎて駅弁が売れない……

東北新幹線が開業して40年。新幹線の開業に伴って、宇都宮駅では、どんな影響がありましたか?

齋藤:宇都宮は新幹線の影響が大きい駅でした。それまで在来線特急で上野〜宇都宮間は1時間20分かかっていましたが、(乗り換えの)大宮まで30分になってしまい、特に上り列車では駅弁が売れなくなってしまいました。影響は小山駅の方がより大きく、2社の駅弁屋さん(柏屋、鳥又)が両方やめてしまいました。このためJRさんから弊社に打診があって、小山駅に駅弁を置いたのですが、ほとんど売れず、短期間で撤退しました。

宇都宮は、駅弁屋さんが3社あっただけに、競争も激しかったのでしょうか?

齋藤:会社同士で「競争」という意識は、あまりなかったように感じます。昭和の後半、父の時代に宇都宮駅の3社で車内販売の会社を作って、列車の車内販売をやっていたと聞いています。乗っていたのは、新幹線開業前の東北本線の特急・急行ではないかと。黒磯駅弁の高木弁当(当時)などとも交流があって仲良くしてもらっていたそうです。そのご縁で、のちに黒磯の「肉めし」の復刻版を、弊社で手掛けたりすることになりました。

※高木弁当の「高」は「はしごだか」が正式表記

宇都宮駅の立ち売り風景(2002年撮影)
宇都宮駅の立ち売り風景(2002年撮影)

独特の文化が生まれた「駅弁の売り子」!

宇都宮では2000年代に入っても、駅弁の「立ち売り」が行われていましたね。

齋藤:「売り子」の世界は別でした。売り子さん同士で、独自の文化を作っているところがあって、3社の争いは熾烈だったそうです。なのでホームでの立ち売りについては、会社があまり口出ししないで、売り子同士でルールをしっかり決めて、ケンカをしないようにやるという世界になっていました。日ごとに立つ路線を決めて、多いときは、9人まで立ち売りが許されていて、3社で3人ずつ分け合っていたようです。

有名な売り子さんだった坂本秀浩さんが亡くなって8年になりますが、思い出を教えて下さい。

齋藤:坂本さんは最後まで立ち売りを頑張って下さいました。坂本さんは学校を出てすぐ、10代で入社して松廼家ひとすじでした。“いっこくな(頑固な)”おじいちゃんで、制服も自分で折り目をつけてキチッと用意されたり、こうと決めたら動かない意志の強さもあって、続けられたのではないかと思います。駅弁が売れそうな日には、「足のまめが潰れて歩けない」と言いながら、山のように弁当を籠に積んでホームに出ていきました。

いまは鉄道イベントなどで行われる松廼家の立ち売り(2019年、大宮駅にて)
いまは鉄道イベントなどで行われる松廼家の立ち売り(2019年、大宮駅にて)

難しかった立ち売り技術の継承

立ち売りの駅弁文化、守りたかったですね。

齋藤:会社としても、(立ち売りの後継者を育てるため)見習いを付けた時期もありました。しかし、坂本さんのレベルに付いていけずに、みんな辞めてしまいました。後年は、ホームでの立ち売りが厳しくなっていた時期ですが、それでも、昔からのお客さんが声をかけてくれるというので立ち売りを続けていました。会社としても、その宣伝効果は大きかったので大切な存在でした。本人も駅弁の広告塔としての役割を楽しんでいたように感じます。

そんな立ち売りが盛況だった時代から、いまも続く駅弁はありますか?

齋藤:「とりめし」ですね。(栃木周辺は)鶏肉の産地でもありますので、そう云われ続けてきました。宇都宮の駅弁需要は、日光への修学旅行が多いため、団体のお客様に支えられていました。短時間で積み込みしなくてはいけないので、ホームで何人も待機していたと言います。合わせて正月・年始の初詣需要も高く、臨時列車が運行されるとよく売れたと聞いています。そんな時代を体験してみたかったものです。

復刻版とりめし
復刻版とりめし

 鉄道150年に合わせて、日本鉄道構内営業中央会加盟の駅弁業者(駅弁マーク入りの駅弁屋さん)31社では、この10月、「復刻」をテーマにした駅弁を製造・販売しています。宇都宮駅弁・松廼家でも、昭和30(1955)年ごろから販売されていた「とりめし」を、10月1日〜11月30日の期間限定で、国鉄時代の掛け紙を復刻させた「復刻版 とりめし」(1000円)として、宇都宮駅・大宮駅・東京駅などの各売店で販売しています。

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