放送中のテレビアニメ「勇気爆発バーンブレイバーン」が話題沸騰だ。タイトルやビジュアルのパッと見では少年向けの熱血ロボットアニメに思えるかもしれないが、実際の内容はかなり大人向けで、SNSで取り沙汰される理由の筆頭は「気持ち悪い」ことである。
作品の魅力や“気持ち悪さ”については「見ればわかる」ことを前提として、ここではその理由を記すと共に、「笑ってすませていいのか」という、表現上の危うさについても立ち止まって考えてみたい。
※以下、「勇気爆発バーンブレイバーン」の4話までの内容に触れています。
「バトルシップ」からストーカーもののホラーアニメに
あらすじは「軍人たちが宇宙から飛来した侵略者と戦う」という、日本でカルト的な人気を得ているハリウッド映画「バトルシップ」を思わせるもの。そして、大ピンチに突如として現れた巨大ロボットのブレイバーンがいろいろな意味で規格外だった。初対面(?)のはずの主人公・イサミに執着する様が、端的に言ってストーカー的でキモいし怖いのである。
いきなり登場して「私の中に早く乗るんだ!」と叫ぶ様からイヤな予感がするが、熱血主題歌「ババーンと推参!バーンブレイバーン」に合わせ戦闘が繰り広げられる中で、イサミが「さっきからなんなんだこの歌は!」とツッコミを入れる様に戦慄した。アニメによくある「戦闘シーンで主題歌が流れる」アツい演出かと思いきや、劇中でブレイバーンがアツく(暑苦しく)歌う様をマジで流しているのだ。
そして、決定的な恐怖を覚えたのは、第1話ラストの会話。イサミは「どうして、俺の名前を知って……?」と当然の疑問をぶつけるのだが、その返答は「ああ! そうか、まだ私の名前を言っていなかったな!」「私の名前はブレイバーンだ!」なのである。「相手の質問にまったく答えずに自分の言いたいことだけを言う」会話のドッジボールぶりは下手なホラーより怖い。
それでいて、相手の会話を全く認識していないわけではなく、お偉いさんたちの会議シーンでも相手の話をさえぎりつつも、しっかり仲裁役をこなす描写もあり、「意図的に都合の悪いところだけ無視している」ように見えるのもタチが悪い。
初戦闘後に「イサミーッ! 来てくれるよなぁああー!」と、イサミの再搭乗を一方的に信じ込んでいるのも恐怖だ。イサミは正体不明の不審なロボットと共謀した疑いをかけられ、味方からひどい拷問を受けるのだが、そこから開放された直後でさえ「イヤだ! もうあいつに乗りたくない!」と告げるのも当然だ。
そのブレイバーンが準主人公のスミスに「君を乗せることは生理的に無理だ」と告げるのも「おまいう」で絶妙に神経を逆なでてくる。ブレイバーン役の鈴村健一の声と演技が素晴らしいだけに、そのキモさも青天井だ(褒めている)。
こうしたこともあって、X(旧:Twitter)では放送後に「イサミかわいそう」がトレンドに。「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジを超えて、ロボットに乗りたくない気持ちにこのうえなく共感できる主人公として不動の地位を築きつつある。
また、大張正己監督は複数の「勇者シリーズ」への参加でも知られており、本作はそのセルフパロディーともいえる。勇者シリーズの巨大ロボットと人間との絆や「あるある」な関係性を“気持ち悪い”方向へとズラし、笑いと恐怖は紙一重……と言うよりも恐怖がやや上回ったホラーコメディーに仕立てたのが、この「勇気爆発バーンブレイバーン」というわけだ。
ホモフォビアにつながるという指摘も
そんなわけでよくも悪くも“気持ち悪い”ことが話題を集めた「勇気爆発バーンブレイバーン」であるが、ホモフォビア(同性愛嫌悪)を助長するのではないか、という指摘もある。ブレイバーン自身が男性の声でしゃべり、男性への熱い思いを“気持ち悪い”ものとして示すことで、差別的ないし差別を助長する描写になっているのでは、という指摘には納得できる。
また、各話のエンディングでは、イサミとスミスが上半身裸になってミュージカル調で歌い出し、手を握る指の動きまで丹念に描いていた。個人的には、このエンディングはかつてニコニコ動画で流行したゲイビデオの動画への揶揄(やゆ)にも近い印象を持った。人によっては、同性愛をちゃかす、はたまた嘲笑をしていると不快に感じられるのではないか。
さらに、ブレイバーンは「イサミが操縦かんを上下に動かすたび、私も上下する!」と、あからさまに性的なニュアンスもあるセリフも放っており、そちらも“気持ち悪い”と話題を集めたのだが、それもまた危うい。
他にも、スミスが謎の少女・ルルに懐かれ、裸のまま抱きつかれたりする様が、ブレイバーンからイサミへの一方的なアプローチと対比(あるいは一致)するように描かれているのも、悪い意味で居心地の悪さを感じる方もいるだろう。これらの描写の賛否は、議論されてしかるべきだろう。
力ある者に一方的に迫られる恐怖を示す意義
こうした危うい描写があることを前提として、筆者個人は「力ある者に一方的に迫られる」「それが性的な意味合いも含む」恐ろしさを、フィクションで示すこと自体には意義があると思っている。
例えば、同性愛を扱った漫画作品「BANANA FISH」の第15巻(テレビアニメ版では第21話)では、ゲイバーに同行した男性が、周りの空気や主人公の言葉を踏まえて「俺も女の気持ちがよくわかった」「セックスの的になるってのはえれぇプレッシャーだ」と口にするシーンがある。
これは、異性愛者の男性こそがハッと気付かされる言葉だ。女性は男性から一方的にアプローチされることが多く、そこには性的な欲求を含んでいることもある。異性愛者か同性愛者に関わらず、それがプレッシャーもしくは恐怖にもつながるというのは、当たり前ともいえるが重要な指摘だ。
加えてブレイバーンは、(たとえ心からの善意で人間たちを助けてくれるのだとしても)強大な戦闘力により現時点で世界の命運を握っており、周りもブレイバーンおよびイサミに頼るしかない状態になっているのもまたタチが悪い。現実でも権力を盾にした性加害の問題が報道される今、ブレイバーンから(性的な意味合いはなかったとしても)一方的に迫られる恐怖を相手の立場になって自覚させてくれる本作は、重要な視点を提供していると思うのだ。
「束縛をしない」ブレイバーンも怖いのかもしれない
いずれにせよブレイバーンが“気持ち悪い”ことには変わりないのだが、第4話では少しモードが変わってくる。何しろ、彼はふさみ込みがちだったイサミに「彼(スミス)も共に戦う仲間だ、多少は興味を持ってもいいのではないか」と促したり、「どうだ、少し気晴らしをしても」と提案をして、イサミが仲間と打ち解ける後押しをしたりもするのだ。
ストーカー的に一方的な思いをイサミにぶつけるブレイバーンだが、「相手を束縛しない」配慮も一部見せており、今後はイサミと本当にいいコンビになっていくのかもしれない(それはそれでサイコパスに言いくるめられているようで怖いけど)。
“気持ち悪さ”を更新し続けるブレイバーンと、ずっとかわいそうなイサミの関係性の変化も含め、今最も続きが気になるアニメだ。
(ヒナタカ)
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- シンガポールの映像作家が11年かけ作り上げた巨大ロボットSF映画 「メカバース:少年とロボット」レビュー
「パシフィック・リム」的ガチなクオリティーの画と「トップをねらえ!」的王道プロットの合わせ技。 - “子ども時代に、大切なものを奪われてはいけない” 「屋根裏のラジャー」西村義明 1万4000字インタビュー
プロデューサー自らが脚本を手掛けた理由と、本編で描ききれなかったキャラクターの背景とは。 - こんな野原ひろしは見たくなかった 「しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE」のあまりに間違った社会的弱者への「がんばれ!」
優れたポイントがたくさんあったのに、あまりにもったいない。 - 「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」は子どもも見られるマッドマックスだった
ピーチ姫が強いことにも必然性がある。