「いじめ」と「イジり」の境界線は“イジる側の責任感” いじめられっこが漫才師になることを決意するまで
※この記事は漫才師として成功することを諦めた芸人が、漫才師を辞めるまでを振り返る連載の第3回です。
第1回
第2回
中学に入り、僕はすぐにいじめられた。
受験をして私立の学校に入り、小学校までの友達が誰一人いない環境でも僕はきっと一番面白くて人気者になれると思っていたが、そんな夢ははかなく散った。
野球が大好きで野球部に入ったが、そもそも私立中学の野球部ともなると小学校時代に少年野球を経験していた子ばかりで、僕のようなド素人はほぼいなかった。
初めて受けるノックも難しかったし、バッティングもさっぱり当たらなかった。
そんな僕は野球経験者からすると格好の「イジり」の餌食だった。また、私立で全員初対面の中でなるべく早く「上のカースト」に行きたいという僕の意識が連中のイジりを加速させた。
その時、僕が「うるせえな」とか「いいだろ別に、教えてよじゃあ」などと返せていたら何か変わったのかもしれない。
しかし僕は、これまでの人生でいじられてこなかったために「受け身」をとれなかった。「なんだよその投げ方」「スイングぐちゃぐちゃだなあ」と言われるとムキになってしまって、うまく返せなかったし、ウジウジしてしまった。
著者:ヤマグチクエスト(Twitter)
笑いを忘れたゲーム好き芸人。中でもRPGやシナリオの思い入れが強く、「伏線」「考察」と聞いただけでよだれが出る。あと野球も死ぬほど好き。一番好きなゲームは「ポケットモンスター」シリーズ。
いじめとイジりの違い
よく“イジり”と“いじめ”の違いを議論されることがあるが、僕が思うにその違いは最終的に“イジられる側”が楽しめているか、そして“イジる側”が「笑いに変える責任を持っているか」の2つにある。
学校などのコミュニティで行われるイジりは、大抵いじっている側に「自分のほうが上」という意識があり、バカにしたり、何かを強制させたりしておきながら、いざ相手に上回られたり期待にそぐわないと「つまらない」などと言いだしたりする。
しかし、それをつまらなくしたのは”イジる側”の腕のなさが原因であり、面白くできないのならそれはイジメだ。その責任を持てない人間は絶対に”イジる側”にいってはいけないと僕は心から思う。
しかし、いじられている側はそんなことは言えない。当時の僕は奥歯をかみしめて耐えるしかなかった。
それはきっと「人にバカにされたくない」「自分は才能がある」という謎の自信とプライドが邪魔をしたんだろう。しかし、当時思春期真っ盛りの僕がそんな思考に至れるわけがなく、入学直後に「いじめられっこキャラ」になってしまったせいで僕は人気者とは程遠い学校生活を送ることになった。
それでも学校に通えたのは、部活の一部の部員以外は普通に話してくれたし、なによりクラスの何人かは僕と友達として接してくれていたからに他ならない。もしクラスでも同じような扱いだったら苦しかったろうと思う。
そんな中学生活を送っていた僕の転機は中2のクラス替えで、後の相方であるシンカワと同じクラスになったことだ。
相方シンカワとの出会い
彼はバスケ部で1年生の頃は全く接点がなかったが、プロ野球が好きだという共通点があったこともあり、すぐに打ち解けた。
シンカワと話していると、自分では思いつかない、テレビでも聞いたこともない言葉・発想をいくつも聞くことができた。
そしてそんな聞いたこともない言葉や発想で笑いを取りまくっていた。
クラスで唯一尿検査に引っかかってしまったときに「あーじゃあ次はおばあちゃんのヤツだそ」とつぶやいたり、先生が「みんなが静かになるまで5分かかりました」と言ったら気の抜けた声で「だからなんなんだー」と言ったり、当時の僕にはあまりにも衝撃的だった。
そんなシンカワはクラスの中心人物だったかというと全くそんなことはなく、誰かに偉そうにしたり、人をいじって笑いを取ったりということはせず、目立とうともしなかった。
そんなところも当時の僕にはカッコよく見えた。人生で初めて「自分より面白い人間だ」と思わされた。
それから僕は毎日のようにシンカワと過ごした。
クラスの中心人物とはかけ離れた教室の隅っこでシンカワを含む3人の友人と固まって、プロ野球選手モノマネをしたり、シンカワがたびたび考案する変なゲーム(「人間の部位に関連する歌詞をすべて『鼻毛』に変えて歌うゲーム」など)をして遊んでゲラゲラ笑っていた。シンカワはお笑いが好きなこともあったがとても笑い上戸で、僕の言うことやツッコミに対して手をたたいて笑ってくれていた。
そしてシンカワは常々、「お前のツッコミは面白い」と言い続けてくれた。
その言葉のおかげで僕はどんなに部活が楽しくなくても学校に行けたし、「部活を辞めて逃げたと思われたくない」というクソみたいなプライドでやめられない僕に「部活で人間の上下が決まるわけねえだろバカかよ」と笑ってくれた。
僕にとってのヒーローだったシンカワと一緒に過ごしているうちに、いつしか「こいつと漫才がしたい」と思うようになっていた。
これだけ人を惹きつける力があり、優しくて、面白く、そしてよく笑う男とコンビを組めば絶対に売れると中学生ながらに確信していた。
だが、今思えばシンカワの魅力はとてもクローズドなものだったのかもしれない。
深い関係性があるからこそ分かってもらえるタイプのもので、初見の人には細くシュッとした見た目でボソッとボケるシンカワの芸風は「スカしている」と判断され、「若手に求められるステレオタイプ」ではなかったため、ボケ芸人としての立ち回りに疲れてしまったのだろうと思う。少なくとも表舞台に立ってチヤホヤされるタイプではなかった。
そんなことにはまだ全く気付いていない当時の僕は、M-1グランプリで見た「笑い飯さんのすごさ」についてシンカワに話すと、彼も同じように衝撃を受けていたようで目をキラキラさせながら「声がまず面白い。顔も面白いし、何言ってもウケる感じがあった。面白かったなあ。カッコよかったなあ。あんな見た目きもいのに」と語っていた。
そこで僕は「よかった。シンカワも漫才が好きなんだ」と安心し、中学・高校生活の間、毎日のようにお笑いの話をし、M-1で誰が面白かったかということを語り合った。
部活にぶつけられない熱い思いはお笑いの研究にぶつけていた。
M-1で優勝したコンビ、お笑いネタ番組で自分が面白いと思ったコンビのネタをノートにまとめ、ストップウォッチで時間を計り、1分でどれくらいボケたのか、どのボケが一番ウケていたか、一番最初の笑いまで何秒かかったか、など誰かに見られたら死ぬほど恥ずかしいことをバカ真面目にまとめて、漫才の知識を自分なりに深め続けた。
卒業式の帰り道で「漫才をやろう」
そして高校の卒業式の帰り道、シンカワに「漫才をやろう」と打ち明けた。
中2のころからずっと心に決めていたが口にしたのは初めてだった。
女の子に告白するよりもずっとずっと緊張したが、シンカワは「そんなの当たり前じゃん。キモ」と即答だった。
解散した今、僕がお笑いやろうと誘ったことをシンカワはどう思っているのだろうか、いまだに聞けていない。
恨んでいるかもしれないし、そんなこと忘れてしまっているのかもしれない。
聞けたとしても気を使われた答えしかくれないだろうし、なによりどんな答えをくれてもそこに意味がないことは誰よりも分かっている。結局僕たちは売れずに辞めた名もない芸人たちの一組だという事実は変わらない。
当時の僕らは、そんな「売れずに辞めた名もない芸人」になる未来が待っているとも知らず、大学を卒業した2012年、M-1チャンピオンを夢見て人力舎の養成所に入ることとなった。(続く)