そのままだったら、真っ赤なポルシェ様やフェラーリ様はどうなっていたのでしょうね。
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「赤」のクルマが許可されたのは「本田宗一郎さんのおかげ」

ではなぜ、運輸省が重い腰を上げて「赤いクルマを売ってもOK」になったのでしょうか。その影には、本田技研工業(ホンダ)の創業者、本田宗一郎氏の奮闘がありました。
二輪車メーカーだったホンダは、1962年に同社初の四輪車「SPORTS 360」を発表しました。市販化には至りませんでしたが、翌年の「S500」につながったこのクルマは、当時最先端のメカニズムを詰め込んだオープンスポーツカーでした。
この鮮烈なデビューを果たすために「イメージカラーは赤にする」と決め、そのために運輸省を説得したと伝えられています。そして建設途中の鈴鹿サーキットを「真っ赤なSPORTS 360」が駆け抜けて、同時にホンダ四輪時代の幕も開いたのです。
この活動がなければ、スポーツカーは赤というイメージは定着しなかったかもしれません。真っ赤なポルシェも日本の道路を駆け抜けてはいなかったかもしれません。もしかしてタイプRの赤いロゴ、VTECエンジンヘッドカバーの赤色結晶塗装などもなかったかもしれませんね。
……「本田のおやっさん、ありがとう」。




