写真は筆者撮影

 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』が、2026年8月28日についに公開された。

 何しろ前作『[新編]叛逆の物語』(以下、『叛逆の物語』)の公開は2013年。それから外伝作品やコラボの展開があったとはいえ、3度に渡る公開延期を経ての13年ぶりの劇場アニメかつ「続きの物語」となるため、午前0時からの最速上映には「覚悟」を決めた者たちがたくさん集まっていた印象だ。

 ここでは、なるべくネタバレのない範囲で、本作を見る前の「心構え」も含めて、まとめていこう。

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ライター:ヒナタカ

アニメとインディーゲームが好きで映画ならなんでも観る雑食系ライター。「All About ニュース」「マグミクス」「NiEW」のほか、新たに「ダ・ヴィンチWeb」でも連載を開始。オールタイムベスト映画は『アイの歌声を聴かせて』
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近年まれにみる一見さんお断りの内容

 はっきり先に言っておくと、本作は前作『叛逆の物語』にも増して、恐ろしいほどに「一見さんお断り」の内容だ。昨今では『チェンソーマン レゼ篇』『ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス』『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』など、「テレビシリーズを観ていなくても楽しめる」ハードルが低めの劇場アニメがあったが、それと相反するようなストロングスタイルである。

 本作の前に『まどマギ』のテレビシリーズ(または劇場版の前後編)と『叛逆の物語』を事前に観ておくのはもはや「必須」と断言できるし、内容を忘れているのであれば見直しておくほうがベターだ(筆者も大部分を忘れていたので数日前に改めて観て新鮮な気分で楽しめた)。

 また、本予告でも表示されている「円環の理(ことわり)」「ワルプルギスの夜」というおなじみワードの意味を公式サイトの「STORY」などから軽くおさらいしておくといいだろう。さらに、「すべての魔女の始まりの場所」である「名塚底根(なづかそこつね)」という新たなワードも登場するので、その漢字表記も含めて頭に入れておくといいかもしれない。

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映画館で観る価値しかない映像と情報の圧力

 その上で、本作は間違いなく映画館の大スクリーンで観る価値がありまくる。異空間設計を担当した(今回は後述するように物語の根幹に関わる)劇団イヌカレー(泥犬)の禍々しくも美しいビジュアルは、今回で1つの到達点を迎えており、超良い意味で狂気的なまでの光景が広がっていた。

 梶浦由記の音楽も、映画館ならではの「音圧」のおかげでさらに荘厳に感じられるし、ダイナミックなアクションやスペクタクルの連続は「アニメでこれ以上の表現ができるのか」と思うほど。「このアニメにかけられた労力を思えば、3度も公開延期するわな」と納得できる人もいるだろう。

 一方で、その「映像と音の圧力」および、セリフによる膨大な情報量は、一般的な脳のキャパシティーをはるかに超えている。「集中して観ても拾いきれない」ほどの内容であることも、「映画を観ることしかできない」場所でこそ堪能してほしい理由だ。実際、筆者は観終わった直後に(深夜の最速上映で観たことも大いに関係するが)猛烈な睡魔に襲われたので、体調がなるべく良い時に見たほうがいいのも言うまでもない。

 そのほかの注意点としては、先着来場者特典の「Magica Quartet特製色紙」が242×273mmという「ガチの色紙」サイズなので、入れられるカバンやリュックを持って行ったほうがいいことと、わかりやすい例(テレビシリーズのネタバレ注意)も示されている9/12(土)0:00までの「ネタバレ防止のお願い」を目に通しておくこと、エンドロール後にもおまけがあるので最後まで席に座っておくことがあるだろう。

 さてさて、前置きがすっかり長くなったが、ここからは内容に触れつつ個人的な印象を記していこう。ややネガティブ寄りな評となっているので、ご留意のもとで読んでほしい。

※以下からは『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』の決定的なネタバレを避けつつ、作品全体の印象や一部の展開に触れているのでご注意ください。また、『魔法少女まどか☆マギカ』のテレビシリーズおよび『叛逆の物語』、さらに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のネタバレに触れています。

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わけがわからないよ(再び)

 筆者個人の『ワルプルギスの廻天』の感想を端的に記しておくと、「『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の後に、また『ヱヴァQ』を観たみたい」だった。

 前作『叛逆の物語』も、存分に『ヱヴァQ』に通ずる「これまでの流れをひっくり返す」ような始まり方と、「わけがわからないよ」となる難解さがある作品だったが、今回はさらに「理解不能! 理解不能!」と心が叫んでいたのだから。

 それでも『叛逆の物語』は、序盤に「これまでの殺伐とした雰囲気から一転して、魔法少女たちがストレートに共闘し活躍する」というファンサービスがあり、同時に作品内世界に漂う「いい意味での違和感」がエンタメになっていた。そこは新規の人も楽しめたと思うし、難解になるのは観念的な設定やセリフが連続する後半からだった。

 しかしながら、今回の『ワルプルギスの廻天』は、とにかく設定や展開やセリフやキャラクターが盛り盛り、もっといえば詰め込みすぎで、「『叛逆の物語』の後半部分が全編で展開している」ような印象さえある

 例えば、今回の物語の発端は「願いを叶えてくれる“トカゲさん電話”を利用した“ソウルジェムを持たない少女”が魔獣狩りを行う異常事態が連続する」ことであり、みんなでその解決に挑むというわかりやすい物語の軸がありそうなものだが、それよりも「紫丁香(し ちょうか)とセルマ・テレーゼという2人の新たな魔法少女」や「悪魔になった暁美ほむら」の描写が優先されている印象で、情報がかなり錯綜している印象があるのだ。

 それでも、映像の圧力やキャラの魅力のおかげで楽しめることは楽しめるのだが、やはり「置いてけぼりになる」「ついていけない」という気持ちもつきまとってしまったし、そうした観客の気持ちを代弁するかのような終盤のセリフには思わず笑ってしまった。ここで『ヱヴァQ』の「カヲル君が何を言ってるのか分からないよ!」という、観客の気持ちとシンクロ率が120%のセリフを思い出したのは言うまでもない。

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『まどマギ』の面白さはどこにあったのか

 それらの「わけがわからないよ」まで含めて、今回の『ワルプルギスの廻天』の大きな魅力と言えるし、今どきの「考察」で観た後も盛り上がれる楽しみもあるし、何より「『まどマギ』らしい」と思う人も当然いるだろう。しかし個人的には、その逆に、どうしても思ってしまったのだった。

 ――「『まどマギ』の面白さって、そういうのだっけ?」と。

 『まどマギ』のテレビシリーズは、最終話の第12話を除いて観念的だったり難解だったりする部分は多くはなく、それよりも「魔法少女ものの定型をなぞっているようで、それらをひっくり返すショッキングでダークな展開が待ち受ける」「残酷な運命に翻弄されながらも立ち向かっていく」といった、わかりやすいエンタメ性が目立っていたと思うのだ。

 狩野英孝が本編映像とともに解説をする、というよりも、ビビッドなリアクションを届けたコメンタリーが大好評だったのもそれが理由だったのだろうし、個人的には『叛逆の物語』を超えるほどの難解さを今回の『ワルプルギスの廻天』には求めていなかったのだ。

 前述したように、「置いてけぼりになる」「ついていけない」観客の心理を代弁したようなセリフ自体は面白かったものの、そこで「それって、この作品を楽しめていると言えるのだろうか?」と、悪い意味で気付かされてしまったところもある。

 ただ、何度も難解と書き連ねたが、『叛逆の物語』でもそうだったように、「設定やセリフはややこしいが、キャラクターの感情や行動原理は声優陣の熱演もあってわかりやすい」とも思う。それはテレビシリーズから魅力的だったキャラクターの心理や性格を知っていたからこそであるし、鹿目まどか、暁美ほむら、美樹さやか、佐倉杏子、巴マミそれぞれの「らしい」言動にグッとくる人は多いはずだ。

 ただ、相対的に、『叛逆の物語』から登場する百江なぎさや、紫丁香とセルマ・テレーゼという2人の新キャラについては、活躍の場が設けられ、心理がセリフで語られたとしても、やや共感がしにくくなってしまったとも思うのだが……彼女たちに思い入れができるようなテレビシリーズを先に展開しておくと、より良かったのかもしれない。

観客もまた「円環構造」にとらわれているのかもしれない

 そんなわけで、今回の『ワルプルギスの廻天』の個人的な総括としては、「約2時間の尺の中にあらゆる要素が詰め込まれていて、これまで以上に映像にも圧倒されるが、度を超えた難解さに困惑してしまった」となる。

 それでも『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のように、中盤までのわかりやすい物語の軸や、もしくは「これで終わり」と思えるカタルシスと納得感があれば良かったのだが、今回も『叛逆の物語』と同等か、それ以上に「ついていけない」ことに加えて、「またも話が完結していないのでは?」という印象がある。それこそが「『ヱヴァQ』の後に、また『ヱヴァQ』を観たみたい」と感じる最大の理由だったのだ

 実際、『ワルプルギスの廻天』は公式に「完結編」などとは銘打たれておらず、むしろ「『叛逆の物語』の正統なる続編――そして、新たな始まり」という文言もあるため、おそらく物語は続くのだろう。おかげで、劇中のキャラクター同様に、『まどマギ』を楽しむ観客もまた「終わりのない円環構造」にとらわれているような、メタフィクション的な構造すら感じるほどだった。

アイデアは全部、劇団イヌカレーからの“もらい物”だった

 どうして『ワルプルギスの廻天』がこのような内容になったのか。一概にはいえないが、その1つには、異空間設計を担当した劇団イヌカレーのアイデアが“大元”になっていたことも理由にあるのではないか。

 何しろ、劇場パンフレットで脚本家の虚淵玄は、「僕は毎回の脚本で、全部を出し尽くしちゃうので、『叛逆の物語』の次をどうしようってことになっても、それ以上に僕の中から出てくるものはなかった。しかし、劇団イヌカレーさんが膨大なアイデアのスケッチを溜めていてくれたんですよね」とぶっちゃけている。

 しかも「作品内の世界がどうなっていったか」「ワルプルギスの夜のこと」といったことも、「劇団イヌカレーのメモに揃っていた」のだそうだ。それらを踏まえて虚淵玄は、「今回の『ワルプルギスの廻天』に関しては、やはりアイデアそのものも、全部イヌカレーさんからの、もらい物ですよね。いわば『最初に中華料理のお店を始めましょうと言い出したのは僕かもしれないが、今回のメニューに関しては、既に食材選びが済んでいた』みたいな感じですかね」とまで語っている。

 加えて、虚淵玄は、情報量が多く時間内に語り切ることに苦心して「前後編にしてはどうか」というプランが一時期あったことも明かしているし、それ以外でも『仮面ライダー鎧武/ガイム』の脚本がすべて脱稿した後の「10年前の俺」から「芸風が変わった」ことへの自己分析もとても興味深いので、ぜひ劇場パンフレットを読んでいただきたいのだが……そうした脚本執筆のスタイルこそが、やはり「詰め込みすぎ」「わけがわからないよ」という印象、もっといえば「要素を断片的に繋ぎ合わせたような」ツギハギ感につながっていたとは思うのだ。

 それも含めて、『ワルプルギスの廻天』が、唯一無二のとんでもない作品になったことは事実であるし、「知りたかった」「観たかった」ものも確かにあったし、リピート鑑賞することで感想も変わってくるかもしれない。だが、「13年も辛抱強く待ち続けたけど、期待とはやっぱり違う……!」と初見で思ったのも事実だ。

 そうした感情も含めて本作を楽しめていると言えるかもしれないが……これ以上『ヱヴァQ』が続いてしまうと、“冷めて”しまう理由になってしまうのかもしれない。次回作があるとすれば、たとえばテレビシリーズから15年にも渡って観客からの憎しみを溜め続けていたキュゥべえを、今度こそ完膚なきまでにぶちのめすようなカタルシスを期待したい。