「人を創り出す行為」は何を生むのか 村田和也が明かす「A.I.C.O. Incarnation」への思い
「翠星のガルガンティア」とセットで思いついたというバイオSFに込めた思いとは?
「交響詩篇エウレカセブン」「血界戦線」などで知られるボンズ制作のNetflixオリジナルアニメ「A.I.C.O. Incarnation」(全12話)が3月9日に全世界独占配信されました。
アニメ「翠星のガルガンティア」(2013年)や「正解するカド」(2017年)なども手掛けた村田和也監督が新たに世に送り出した同作は、「人工生体」の研究中に起きた大事故(バースト)で家族を失った橘アイコが、謎の転校生・神崎雄哉と護衛部隊の“ダイバー”たちとともに、既に封鎖されたバーストの中心地“プライマリーポイント”への侵入を決意するというストーリー。
3月2日から配信が始まったProduction I.G制作の「B: The Beginning」に次ぐボンズのビッグタイトル。村田監督に今作の見どころを聞きました。
「翠星のガルガンティア」とセットで思いついたバイオ系SFが映像化されるまで
―― 「A.I.C.O. Incarnation」の企画はどのようにして生み出されていったのですか?
村田 「翠星のガルガンティア」の最終話辺りをProduction I.Gさんで作っていたころ、ボンズの天野直樹プロデューサーから「一緒にオリジナル作品を作りませんか」と声をかけて頂いたのが最初です。企画当初はテレビシリーズとしてスタートしました。
プロデューサーから提示された企画のコンセプトは「チームによるアクションもの」。いろいろ考えていく中で、近未来の日本を舞台に、ある生物的災害により閉鎖された地域に特殊任務を負ったチームが潜入してミッションを達成する、という話を物語の骨格にしようということになっていきました。
―― アイコや神崎、ダイバーたちが向かうバーストの中心地“プライマリーポイント”は、黒部峡谷を舞台にしているのが新鮮でした。
村田 最初は山手線の内側など都市部を舞台にすることも考えましたが、それだと首都圏エリア全部が舞台となり、政府の対策だったり大民族移動のような避難の様子など拾うべき局面が多々出てくるんですよね。そうしたものを描き始めると、群衆パニックものになってしまう。
“チームもののアクション”にするには個々のキャラクターの活躍がはっきり際立たなければならない。であれば群衆はむしろ必要なく、本当に限定されたところを舞台にした方がいいなと思って、僕自身が昔から好きだった黒部峡谷がそれにふさわしいと考えました。
黒部峡谷、昔から大好きなんです。巨大なダムももちろんですが、いまだに日本で最後の秘境と呼ばれるくらい人が立ち入りにくい黒部峡谷がバイオ研究都市として整備され、科学の最先端の中枢として世界からも注目される存在となっている世界観は魅力があるなと。
―― そうだったんですね。冒頭の展開には混乱しました。
村田 冒頭、ダイバーたちがミッションをこなす状況を描くことで、彼らが何をする存在なのか、さらに潜入した先にはマターと呼ばれる得体のしれないものがいて命の危険に関わる過酷な仕事であり、特殊で危険なものがつきまとう表現がある作品であることを最初に印象付けたかったんです。あれがないと学園もの風に始まってしまい、作品の趣旨を勘違いされてしまう恐れがあったので。
「主人公を極限状態に追い込んだ物語を作りたいと思っていた」
―― なるほど。バイオSFの作品を作ろうというモチベーションはどこからきたのですか?
村田 「自分の体を奪われてしまった少女が謎の少年の導きで自分の体を取り戻す旅に出る」というバイオ系SF作品の企画は以前から考えていたものです。
もともと人体や脳に興味があったこともありますが、それと並行して、主人公を極限状態に追い込んだ物語を作りたいと思っていました。極限状態の1つとして、自分の体を失ってしまった状態をシミュレーションしてみたいなと。人工物として人体を作り出す技術があり、その体と入れ替えられてしまった少女が一体何を感じ体験するのか。その企画がそのまま取り込めるのではないかと思い立ったんです。
―― 「翠星のガルガンティア」も以前からお持ちだった構想を映像化したものだと聞いたことがあります。
村田 はい。実は、「プラネテス」(2003年)という作品に参加していた時期に、ガルガンティアとセットで思い付いたものです。(ガルガンティアに登場する)船団のような人間社会を入れる“器”、逆に個体レベルまで焦点を絞り自分の体がなくなってしまうという2つのモチーフを思いついてそれぞれ温めてきました。
―― 作品のカラーは全然違いますが、結果的にどちらもハードなSFですよね。
村田 未来のシミュレーションが好きなんです。「こういう技術があればどんなことが起こるだろうか」と思い巡らせるのが好きで、仮想の技術を基にして話を作ると必然的にSFになる。
―― 村田さんが総監督を務めた「正解するカド」(2017年)もある意味SFでした。
村田 「正解するカド」は、脚本を手掛けた野崎まど(『崎』はたつさき)さんのかなりぶっ飛んだアプローチですね。僕は今の人類が手が届きそうなところから発想をスタートするのが好きです。生命工学の技術が今よりも格段に進歩したとき、実際に起こるかもしれない出来事として、視聴者に生々しい体験として感じ取って頂けたらと思っています。
―― そうして世界が生み出されていく過程で、キーワードといえるようなものはありますか?
村田 僕の中では「こんなのがあったら便利」というのが1つのキーワードかなと思います。
再生医療の研究が進み、ES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)、さらにはクローニングなどが実現化していくと、医療行為もですが人生体験がどんどん変わっていくだろうなと。
今は現実に存在する細胞を改変することで何かをしようとしていますが、DNAと全く関係ないところからスタートして人体そっくりなものがもし作れるようになったなら、生命体ベースのさまざまな工業製品が生み出せる時代になるわけで、自分が思うところの「あったら便利」からスタートしています。自分が思いついたときの驚きを作品を見る人にも味わってもらいたいですね。
―― 主人公の橘アイコは皮膚に発生するカーボンナノストラクチャーの反応を始め、目の前の事象に驚きっぱなしですね。
村田 ことあるごとにびっくりしていますね(笑)。特別な知識を何も持たず事態について何も知らない女の子の目線で、さまざまな事実が徐々に明らかになっていくスリリングさ。そして、大規模生物災害という状況に対し、それを解決する糸口になる存在が普通の女子高生であるというコントラスト。そういったものが、視聴者を引き込む面白さにつながるのではないかと思います。彼女が一番知らない人なので、いろいろなことにビックリしながら視聴者と同時に発見し体験していくみたいなところはありますね。
―― タイトルにはどんな意味を込めたのですか?
村田 「橘アイコ」という少女の名は僕が昔考えてたときに既にあって、その名になぞらえたベストなキーワードがないかを模索して最終的にこの形になりました。
Incarnationは“観念的なものに肉体を与える”という意味合いです。人工生体によって人を創り出す行為そのものを象徴する言葉として。主人公の女の子の名前でもあり、人工生体をそのまま表現した言葉です。
―― 橘アイコを演じた白石晴香さんにはどんなオーダーを?
村田 実を言うとほぼしていません。オーディションのとき、本編の台本から主要なセリフを参加者に読んでもらってオーディションテープを収録したんですが、白石さんはこちらが想定した以上にアイコに近いというかそのままズバリな芝居で。声質、感情の入り方、表現の仕方がバッチリだったので、本番収録時に「アイコはオーディションでできあがっているからあのままで」と話した覚えがあります。
村田監督にとって“生きる”とは? 死とは?
―― 「翠星のガルガンティア」のとき、村田さんが考えを整理するのにマインドマップを用いているのを見たことがあります。「利己」「利他」「利知」という三欲求を定義して、それを直行する3次元ベクトルでとらえるなど、強度のある理論を独自に構築されてそれをアニメーションの制作につなげているのも印象的でしたが、ああしたアプローチは今作でも?
村田 はい。作品の基本テーマだったり、人工生体、キャラクターの相関関係だったりをそれぞれマインドマップ化しているので、それはもうたくさん。膨大なマップの量で、もはや何がどうということは言えないほどにあります。
三欲求ベクトルに関しては、自分の中でもはや基準になっているので、あらためてこの作品だからこうですというのはないです。人類の存続を考えたときに、それに貢献するであろう技術がベースになっているので、この作品がこの作品たる根拠となっている部分に利他的要素は大きくは出ているとは思いますが、利己(自分を守ろうとする欲求)や利知(探究心)の要素も当然あります。あえて言葉としてあらためてテーマ分けして説明はしていませんが、ガルガンティアのときに提唱した概念はこの作品にも引き継がれていますね。
―― 村田さんは“生”に強い関心をお持ちだと思いましたが、村田さんにとって“生きる”とはどんな意味を持つものでしょうか。
村田 まず、人が生きるということは、この宇宙における現象の1つでしかないと考えています。地球という惑星があって、生命が誕生しここまで進化してきたのは物理現象の必然の結果で、そこに意識的/意味的なものが込められているわけではないと僕は思っているんです。
今のところ、太陽系で地球以外の惑星に生命はいないだろうと推定されていて、生命がいることの方が希少なわけですが、仮に地球の生命が全て滅んだとしても宇宙は何も困らないし、宇宙そのものもいつかは終わりを迎えると言われています。そこに特別な意味を与えること自体に僕は全く価値を見いだせないでいます。
しかし一方で、自分自身の主観に立ち返ってみると、自分が生まれてこの歳まで生きてきた中でさまざまな経験や楽しい出来事、つらかったり悲しい出来事があって、その中で何かを感じ、それそのものは自分の固有の体験として動かし難く存在しています。
つまり、自分や人類が消えても宇宙は困らないという事実と同時に、自分自身がここまで生きていろいろなことを体験している事実が等価で存在している気がして、ならば今生きていることをどう自分が体験しこれから人として考え行なっていくかを自分が満喫した方が得なんじゃないかと。
それは人に対しても同じで、もちろん失われて悲しい人もいれば、悲しいと思わない赤の他人もいる中で、それぞれの人の体験があってその中でその人がうれしかったり悲しかったりするのは事実で、より多くの人間がより多くいいことを体験できる世の中であった方が僕的にも人類的にも得なんじゃないかと思いますね。
―― 人工生体技術は人類や生に対する希望といえますが、一方で、私には死に対する概念が薄らいでいくようにも感じられました。止められない時間の流れの中で、死に向かって生きるものであるからこそ死ぬまでにどう生きるかを選択していくのが人生だと思っていましたが、生命工学が発展していく中で“死”の定義も含めこの辺りの価値観が変わってきそうです。
村田 興味深いところですね。作品の中では直接語っていませんが、人工生体は特に指定しなければ寿命がないという設定です。つまり、何年生きるかが意識的に決められる、逆に言えば指定しない限りは永遠に生きられてしまう。それをどう考えるのかというところまで大きく踏み込みたい気持ちはありましたが、アクションをベースに謎を解いていく今作ではそこまで踏み込むだけの容量がなかったです。
―― 人工生体の体に寿命がないという話は大きなテーマ性がありますね。自分の寿命を自分で選べるようになったとき、人はいつまで生きたいと思うのか、人間はいつ死ぬ(心づもりになる)のか。
村田 はい。寿命が幾らでも伸ばせるようになったとき、本当に伸ばすことがよいことなのか、そもそも自分の意思で決定できるものなのかどうかはすごく考えなくちゃいけない。例えば今作の100年後くらいには、A.I.C.O.の技術をベースに、死ぬことを想定しなくていい世代が存在していても不思議ではない。“時間”の概念も変わっているのでしょうね。
「いつまでに何々をしなくてはならない」という思考は、人生が有限で、その中でどう有効に生きるかというところから来ている部分が大きい。その制約がなくなったとき、何かを慌ててする必要がなくなるわけで。さらに言えば、歳を取らなくなるとなったら「永遠の17歳」が実現するわけですが、その人は何を考えるのか。興味深いですね。
―― 思考が具体的に広がっていくのをうかがっていると、映像のイメージがあるような気になります。もし「A.I.C.O. Incarnation」のシーズン2があるのなら、それにふさわしそうなテーマですね。
村田 ガチでそれをメインテーマにするか一要素とするかは作品次第ですが、そうした考えは作品のどこかに仕込みたいなと思っています。A.I.C.O.が配信されたばかりですが「戦いはこれからだ!」という感じで、本当の戦いはこの物語を終えてから始まる感じがしています。
アニメーションというジャンルそのものが模索していく必要がある問題
―― 少し話を変えます。企画当初はテレビシリーズを想定していたということで、つまりNetflixでの配信は制作途中で決まったわけですよね。Netflixから追加のオーダーなどはありましたか?
村田 全然ありませんでした。制作途中でNetflixさんでの展開が決まりましたが、Netflixさんからはテレビシリーズのフォーマット構成のまま配信したいという意向を受けたので、配信だからといって特に変わった部分はありません。
開発スタートの時点から配信の作品と決まっていれば、1話の尺や話数構成の仕方に違いがあったかもしれませんが。スケジュール面で融通して頂けたのが現場的には大変ありがたかったです。
―― というのは?
村田 もともとテレビシリーズとして、もう少し早いタイミングでの放送が想定されていたので、それに合わせるならスケジュールはキツかったですし、内容的にもかなり譲歩する必要もあったでしょう。
脚本が最終話まで完成していても、全ての絵情報がクリエイトされているわけではなく、コンテを切りながら考えなくちゃいけないところが山ほどあります。結果的に僕が絵コンテを一人で描くことになったので時間が掛かって、さらにそれを映像にする上でも、全てのセクションで通常のテレビシリーズ以上の負荷となりました。
それにも増して驚いたのは、Netflixさんが今作の内容に強い興味を持ってくださったことでした。ハードなSFで、制服を着た高校生が主人公というところに新鮮味を感じていただいたのかもしれません。
―― 今作を作り終えて、自身にとってよかったことや悪かったことは?
村田 一番良かったことは、このややこしい題材を作品化できるチャンスを得られたことです。単純に企画だけを聞くと大変だとか分かりにくい、あるいは地味という感想があるでしょうが、プロデューサーから提示されたテーマにそれを取り込むことで実現できたのは自分にとってありがたいチャンスでしたし、実際形にできたのですごく良かったです。
ビジネスレベルで考えれば、内容情報量が大きかったり、アクションなどで作画負荷が高いものを商業ベースでコンスタントに生み出すにはそれなりに工夫が必要です。3Dが発達し、それをベースにした作品もたくさん生み出されていますが、人の手作業に依存している部分がまだ大半を占めている中、質の高いものをどうコンスタントに量産していけるかは業界全体、アニメーションというジャンルそのものが模索していく必要があると感じます。僕個人でどうにかなるレベルでもないですが、僕の立場からできることは工夫していかなくてはという思いがあります。
―― 監督とお話していると、アニメーション業界のビジネス感覚もバランスよくお持ちな印象を受けます。近年で業界のエポックメイキングな出来事は?
村田 仕上げ/撮影の工程がデジタル化されたのは商業アニメーションの歴史で非常に大きな出来事です。セルとフィルムがなくなったのは作品の量産化、さらに多く早く作れるようになった革新的な出来事の1つでした。しかしこれももはや最近の話とは言い難いくらいには前の話ですね。
後は出口としての「配信」という形態。アニメーション作品の発表の場が生まれたということで、アニメーションがメディアとしてあるいはコンテンツとして新たな可能性を手に入れたと思います。
―― アニメの未来は明るいですか?
村田 明るい暗いではなく今後も確実に存続していくでしょう。見たいというニーズはなくならないでしょうし、作りたいという作り手側の人材の面でも今後確実にまだ出てくると思います。
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