鳥インフルが発生したとき獣医師はどう対応するのか 同人誌『鶏殺処分日記』が伝える、現場のリアル:司書みさきの同人誌レビューノート
過酷な現場をかわいらしい絵で表現。
目玉焼き、オムライス、プリンにふわふわシフォンケーキ……鶏の卵を思い浮かべてみるだけで、おいしそうな料理が次々に思い浮かびます。鶏肉だってレシピがあれこれ出てきます。卵もお肉も、おいしい食べ物には私はもっぱらスーパーの売り場で出会いますが、今回のご本はその生産の現場、しかも突発事態に見舞われた現場からの同人誌です。
今回紹介する同人誌
『鶏殺処分日記』A5 28P 表紙・本文モノクロ
著者:鸚哥二万頭
鳥インフルエンザの現場から
この同人誌には、家畜の保健所、家保で働く獣医師さんが、鳥インフルエンザの対応を行った体験をもとにしたマンガが描かれています。まず、このご本は発生の原因追究や、予防策、具体的な地名や名称は出てきません。鳥インフルエンザが起こったとき、家保の獣医師さんとしてどのような対応に追われるのか、発生から処分が終わるまでの流れが、体験談として順を追ってレポートされています。
おそらく現場は厳しい状況であることは門外漢の私にも想像できます。けれど、様子を伝えるマンガは意外にもさっぱりとした、かわいらしくさえある雰囲気です。ニュースではたった一言、“殺処分”と流れるその先へと、親しみやすく導きます。
“いつもの顔”に責任と覚悟が見える
最初のページの1コマ目は次の言葉ではじまります。「まず殺処分なんてしないに越したことはないんだけど」と。そうです、普段、運ばれてきた品々をおいしく食べるだけの末端の私ですら、どきっとする出来事です。その大変さを踏まえながら、けれど読み進めるうちに、ちょっとしたギャップにとらわれました。農家さんのそばにいて、家畜を守る最前線の方の様子が、驚くほど日常的に描かれるんです。
事態に関係するみなさんがぱたぱたと走り回るさまは、とにかく多忙で、時間との戦いでもあることがよく伝わってきます。それなのに描かれる口元が“いつもと同じ”なんです。緊迫した状況なのに笑顔にも見えてくる口元。その表現から、コミカルに読み手の気持ちを解きほぐす効果と同時に、非日常を日常のまま切り盛りするプロの矜持(きょうじ)を感じました。突発的な出来事に揺らがず手順の通りにこなす姿を、シンプルに日常の続きとして描き出すことに、農家さんへの敬意と、公衆衛生を保つ責任と覚悟が見えるように思います。
イレギュラーと向き合う時間
思いがけなくうれしいサプライズなら歓迎ですが、突発的な事態は往々にして混乱を連れてきます。しかも目には見えないものが原因ならなおさら不安も一緒にやってきたり。心労になるくらいならそこからいったん目を外すのも有効ですよね。ただ、自分が落ち着いたとき、あらためて衝撃的な出来事と向き合えるようになったら……この同人誌で、その機会がやってきたような気がしました。高度に専門的に書かれていると、難解そうでしり込みしたかもしれません。ふと目に入らなかったら、もしかしたらひとごととして忘れていったかもしれません。同人誌として、知を得る楽しさをまとって目の前に表されたことで、イレギュラーな出来事と向き合う時間を持つことができました。
ご本のあとがきには「所感までは書けなかった」とありました。かわいそう、つらい、そんな感情が目を覆い隠してしまいそうな状況をこんなにフラットに表現できる作者さんが、現場でどう感じていたのか、描かれたその奥を知りたくなりました。続刊が待たれます。
今週の余談
今回のご本の表紙、現物はやわらかな黄色なんです。そのくすみのない色味が、今作のさっぱりさ、明るさに通じているように思いました。
みさき紹介文
図書館司書。公共図書館などを経て、現在は専門図書館に勤務。自身でも同人誌を作り、サークル活動歴は「人生の半分を越えたあたりで数えるのをやめました」と語る。
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