美しいだけの国、美しいままの君、美しくなれない私、最期の言葉は「ありがとう」 Lv.近衛りこ:美しいだけの国 ――東京レッドライン(1/2 ページ)
アレキサンドライト――#6。
冬。春。夏。秋。冬。
春。夏。秋。冬。春。
夏。秋。冬。春。夏。
秋。冬。春。夏。秋。
朽ちかけた記憶は遙か遠く、
それでいてすぐ近くで響いてる。
失われた四季が五言絶句のように、
心の内部を回遊する。
私は此処にいる。
電子人形の内部にいる。
この人工天使のコックピットの中にいる。
光り輝く鉱石の中心から降り続ける雪を見ている。
15機目のラヴクラフト。
宝石から造りだされた電子人形、アレキサンドライト。
その頭蓋に転写された高性能の私は、崩壊し始めたその肉体を見下ろしている。
「忘れていなければ、5年後に」
約束を思い出す。どうして今思い出すのか。今更手遅れだ。
季節は廻り、5度目の冬がきた。
15歳だった私は15歳のままだ。何も変わらない。擬態にされたことをあなたは知らない。そしてあなたは戦渦に巻き込まれた。音信不通のままだ。手紙は行き場のない感情のように自分のもとに返ってくる。いや、その言葉は嘘だ。
本当は知っている。
最後に瞳に刻まれた景色は、色鮮やかな血の色だ。
夕景のように溶けて、見えなくなる。
あの日も雪が降っていた。
そこで記憶は途切れている。
最後の冬の記憶は途絶えている。
此処で時間は止まっている。
此処では時間は動かない。数値はアナログの記憶の時計の針を刻まない。
私は人形だ。
ペーパークラフトの紙切れのように、
愛の模造されたラヴクラフトは夢を見ない。
だが夢のような悪夢の一瞬に、その幻影を夢見る。
失われたはずの姿を見る。
『 』
声が出ない。
当然だ。私には発すべき声などないのだから。
大切な人に伝える言葉など、もう失われてしまったのだから。
アレキサンドライト。6月の誕生石。石言葉は秘めた想い。
だがその想いが何だったのか。
いまではもう思い出せない。
■ 2019 東京
タイプRは見事に石化した。
白い雪化粧を施された石畳のように石灰化した。
生命を失ったその姿を眺めて、何も心が動かない自分に気付く。
「結局、何も得られなかったな」
自分に言い聞かせるように、呟く。鉱石から誕生したアンドロイドは、ただ美しく輝き、ただ壊れただけだ。何も得られなかった。何も思いだすことはなかった。だがその方がリアルではないかと感じている。
2019年。東京。この世界は美しい。だが美しいだけだ。
美しいだけの国は、即物的な快楽以上の何かを与えてはくれない。
失われた愛は、永遠に取り戻すことはできない。
だとすればそれはどこで失われるか。
そして今、ハイパーインダストリアル社会では、個人とは何より消費者である ということが明らかになってきます。ところが消費活動というものは、「私」と「われわれ」の違いを失わせていく傾向であるように見えます。
――『象徴の貧困』B.スティグレール
「私」が「われわれ」と区別のつかなくなる時代に、私たちは生きている。
そんな現代の状況を、フランスの哲学者B.スティグレールは、『ハイパーインダストリアル時代』と呼んだ。
さまざまなメディアマーケティングによって購買行動から個人の嗜好が収集され、蓄積され、また広告によって欲望が刺激される。
「痩せなければならない」
「綺麗にならなければならない」
「やりたいことを見つけなければならない」
「仕事で成功しなければ認められない」と劣等感を触発する。
劣等感は幻想に過ぎない。
自分が欠落した存在だと感じることを劣等感:Complexと呼ぶのなら、われわれはコンプレックスの複合体だ。何処まで行っても自由にはなれない。テクノロジーと合体した資本主義が見逃してくれない。地の果てまで追いかけてくる。
そんな幻想に基づいた世界を、いまの私たちは生きている。
2046年。
計測され、監視され、管理された私ときみは、さらにテクノロジーの進化によって数値化され、データ化され、可視化される。
近未来小説で書いたような、愛の喪失は加速する。
それを「データ主義」が後押しする。
ユヴァル・ノア・ハラリは『ホモ・デウス』の中で、「データ化された人間は神になる」と述べている。人間=神。それがホモ=デウスと彼が呼ぶ、愚かな思想の内実なのだ。
新世界の神になるのは、コミックの中だけでいい。
「ありがとう」
画面を眺めながら、タイプRはそう呟いた■
■ 2046 東京
「ありがとう」
画面を眺めながら、タイプRはそう呟いた。
其処には完全には視認することのできない、何かが映っていた。
石屑だろうか。鉱石の成れの果てだろうか。御影石だろうか、だとすればレッドラインで命を落とした戦没者に違いない。
タイプRには愛していた存在がいた。その頭蓋に埋め込まれた存在には、生前、結ばれることを誓った相手がいた。いや、それは正確な記述ではない。
ホログラム状に可視化された記憶の映写機からおぼろげに読み取れる、不確かな記録に過ぎない。
人間は無機物から生まれ無機物に戻る。
数十億年スケールでみればそうだろう。
だが人類はテクノロジーによって、その進化と退化の道程を、飛躍的に圧縮させた。石は意思の力を持っている。鍵盤が奏でる音が非言語的なメッセージを放つように、その宝石の輝きには魂が宿る。
アレキサンドライトに籠められた願いは何だろうか。
記憶を取り戻したアンドロイドは砕け散る。
その頸椎に格納された器官:オルガンを展開するまでの間、私は何もできない自分に苛立っていた。無力さを感じていた。足に疲労を感じた。
15機目のラヴクラフト。
加速するテクノ人間主義者の暗黒啓蒙が生みだした感情のない容れ物。
メルクリウス社の婚約者の死体が、足下に転がっている。これは偽物だ。と、精巧な人工筋肉と皮膚で覆われたその肉の質感を確かめながら思う。
金属バットで砕け散ったアンドロイドの群れが足下に大量に広がっている。
邸宅に設けられた名前もない警護用の人形だ。
私は其処に自分を見る。
私とわれわれの間に、人を模してつくられたアンドロイドは存在している。その石の欠片を手に取る。この塵芥のように光輝くそれにも、意思の力はあるのだろうか?
私はきみが死んでも何も感じない。
きみは私が死んでも何も感じない。
われわれは誰が死んでも感じない。
ハイパーインダストリアルな世界が加速されたこの未来では、共感さえ溶けあっている。人を信じる力さえ持つことができなくなっている。感情をもつことが許されなくなりつつある。そうなるように自然と仕向けられている。正義はAIが決める。善悪はAIが決める。行動はAIにナビゲートされる。身体性に根付いた感情さえAIに致命的に侵食され始めている。
意志を失った亡霊のような人々の群れが街を跋扈する。人形病は進んでいる。人形化になぞらえて名付けられた、感情をなくしたかにみえる人間に対する蔑称だ。
『……自壊まで数百秒……数十秒……』
カウントダウンの始まったアレキサンドライトを眺めながら、私は不思議な感情にとらわれ始めていた。
まるで自分を見ているような。
■ 2019 東京
美しいだけの国。東京。
私はこの巨大都市の書斎の一角で、近未来小説を書いている。
最近、燃え尽きた肉体があった。その存在には焦がれた存在があった。彼女の願いをせめて物語の中だけでも成就させたい。
だが、成就させることは叶わなかった。私は対象を物語の射程に収めることができるまで、深く知らない。知ることができない。できなかった。
そのことが少しだけ悲しい。
なぜなら燃え尽きたその存在を、その存在によって提起された構築物を、少なくとも私は愛していたのだから。
それでも遠く離れた西の都(みやこ)の、奪われた存在の事件に対して、完全には心を動かすことができない。涙が流れない。ただ息が詰まる。
東京の空気は息苦しい。
「どうしてそこで終わらせようとするの?」
その一行でラップトップを閉じようとした時、声がした。
振り返ると、妹が立っていた。ハイパーインダストリアルな妹だ。血のつながりはない。
「全然話の種明かしがされてないじゃない」
不満げに呟く。
「ミステリじゃないからいいんだよ」
「そういう問題じゃないよ」
ベッドで足をバタつかせる。
「どうして婚約者の男は殺されたの? どうしてアンドロイドは石化したの?」
「紙面の都合上、できれば省略したい」
「どうしてサイボーグ化された父親は婚約者を探せなんて依頼してきたの? そもそも未来転生保険は何だったの?」
「面倒だな」
やれやれ、と溜め息を吐く。そしてもう一度アーロンチェアに腰掛けながら、言葉を紡ぐ。
「未来転生保険はテクノ人間主義の極致だったんだ」
■ 2046 東京
未来転生保険は「未来に望み通りの人生に転生できる」ことを謳った、究極の装置である。ある種のコールドスリープ状態に陥り、眠りについたまま、何の苦痛もなく極上の未来を夢見ることができる――それがメルクリウス社の説明だが、実態は著しく異なっている。
「どこにでもいける未来があると思うか?」秘書役の黒猫に向かって、そんな風に問いかける。
「パラレルワールドを移行する力を手に入れることができる――そんな風に、大袈裟に喧伝する転生保険レディもいる。だが、それは間違っている」
「ニャーオ」
「完璧に成功したとされるその装置は、実験段階に過ぎないんだ。実際、大量の死者を出している」
「ニャーオ……っと」猫には人格が搭載されていて、言語を介することができる。人間の知性と同等、とまではいかないが、口蓋の形に特有の、華奢な声を発することくらいは可能だ。
「完全なる肉体と頭蓋の分離。人間が、脳だけの存在になること」
「じゃあなぜ婚約者は殺されたの?」
「組織の末端が殺されるときの理由は決まってる」
「秘密を知ったから?」
「その通り」
賢いな、とご褒美に上質なキャットフードを追加する。近頃はグルメになっていて、安物には口もつけない。生意気な猫だ。
「婚約者の恋人は、メルクリウス社の秘密を知ったんだ。大量の死体が出ていることを。だから口封じのために殺された」
「じゃあタイプRの、いえ、タイプRの人格のもとになる少女の父親が、犯人を見つけてきてくれといったのはなぜ?」
僕は黙る。黒猫が見つめる。その瞳に、自分の姿が大きく、魚眼レンズのように映っている。
「実は父親が犯人だったからだ」
■ 2019 東京
依頼者が黒幕であることは、探偵小説の基本である。
だが、妹は、その事実に驚いたようだった。
「簡単なロジックだよ」そう言って、タイプしながら僕は続ける。
「父親がなぜ恋人を殺したか? メルクリウス社製の義手に――そこに搭載されたAIに操られていたからだ。心と身体は別物ではない。あらかじめコードが仕込まれていた機械に乗っ取られたんだ。テクノ化され、腕をサイボーグ化されたことによって、心を乗っ取られ、そして主人公である語り部の<私>に依頼してきたんだ」
「ではなぜ主人公に依頼してきたの?」
雨の音が消えた。黒い影がちらつき始めていた。雪だ。僕は少女の顔の前を流れる黒い雪の花びらを眺めながら、打ち明けたくなかった台詞を最後に言った。
「恋人の人格を転写されたのが主人公だったからだ」
人間の主人公が実はアンドロイドだったなんて、あまりに陳腐だろう?
だが――真相を話したからには、物語の続きを打ち明けなければならない。
■ 2046 東京
崩壊が始まっていく。
夏の初めの蛍火のように、電子人形のからだから、アレキサンドライトの光の粒子が立ち上っていく。
タイプRが記憶を取り戻したのは、恋人の死骸だけが原因じゃない。
おそらくそのずっと前から、その兆候は見て取れたのだ。
感情のない存在はパンを美味しそうに食べたりしない。
感情のない存在は友人の猫を気遣ったりしない。
<私は、人間じゃない>
――記憶を取り戻し、砕け散る。
それがアレキサンドライトから生みだされた電子人形の運命だとしたら、そのカウントダウンは人形整備士の人形の自分、感情の希薄な自分に出会った瞬間から、始まっていたのだ。そしてそのことに私はずっと気付かないふりをしていた。
最初から、私は気付いていた。それでいて、真実を伝える勇気がなかった。
終わらせる勇気が、なかった。
タイプRは、最後に一度だけ私を見た。
その瞳から、崩壊の鉱石がこぼれ落ちた。指が落ちた。粉が落ちた。ボロボロと肉体がすさまじい勢いで足下から石化していく。
人間は無機物から生まれ無機物に戻る。
遙か昔に息絶えた、学者の言葉を思い出す。それは死そのものだ。何も目新しいことじゃない。
出会いがあれば、別れがある。
「さよならだ」
私は役目を終えたアンドロイドに、そう告げた。そして崩壊していくその美しい肢体を眺めながら、無意識のうちに手をのばした。
その石灰化し始めた手に触れると、意識が雪崩れ込んできた。
存在が消える刹那、朽ちかけた季節の記憶が流れ込む。
冬。春。夏。秋。冬。
春。夏。秋。冬。春。
夏。秋。冬。春。夏。
秋。冬。春。夏。秋。
失われた四季が五言絶句のように、
記憶の内部を回遊する。
「忘れていなければ、5年後に」
その約束を思い出す。
だがそこで記憶は途切れている。
最後の冬の記憶は途絶えている。
此処で時間は止まっている。
この世界では時間は動かない。数値は記憶の時計の針を刻まない。
だがそれでいい。
『 』
声が出ない。
当然だ。私には発すべき声などない。
私は人形だ。
ペーパークラフトの紙切れのように、
愛の模造されたラヴクラフトは夢を見ない。
だが夢のような悪夢の一瞬に、その幻影を夢見る。
失われたはずの想いを見る。
『 』『 』『 』
その記憶の空白を魔弾のような光が射抜く。
白。
橙。
緑。
黄。
赤。
紫。
藍。
灰。
白。
光の信号が点滅する。
信号が音のパターンに変換される。
パターンが記憶の洪水の中で爆発する。
きみは歌おうとしている。
その意思の光を、きみの魂は知っている。
END
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