沈丁花の香りが馥郁と立ち込める三月。「弥生」ってどういう意味?
閏年で一日多かった二月もあっという間に過ぎ去り、今日から早くも三月となりました。暖冬のせいでとっくに冬が終わった気がしなくもありませんが、やはり三月に入ると、日脚もいよいよ長くなり、咲く花の種類が増え、ウグイスの高鳴き練習も漏れ聞こえ、春の訪れを強く実感できるようになりますね。
ちなみに三月はおなじみ「和風月名」では弥生(やよい)。旧暦(太陽太陰暦)の三月は、今の暦では三月末ごろから五月初旬ごろにあたり、たとえば今年2020年は3月24日から4月22日が旧暦三月にあたります。一年のうちでもっとも良い気候と言ってもよい時期の名称「やよい」。言葉の意味・語源を探っていきましょう。
「いよいよ生い栄うからやよひ」ってほんと?「弥生」の語源とは
語源が不明で、諸説飛び交う和風月名。その中で、「弥生」は比較的異論が少なく、語源が確定されていると言われています。『誹諧新式目(青木鷺水 編 1698年刊)』に、「彌生 春は草木いやが上おひ出る故にいよいよおふるといふ心をいやおひといふ」と記されています。
「いやおひ」とは、「いや=いよいよ・ますます/おひ=生う」で「ますます盛んに(生命が)生い出る」という意味。
旧暦二月の如月(きさらぎ)を「衣更着」「気更来」とする解釈と比べると、こじつけ感は薄く、無理のない感じではあります。また、当コラムで先月「如月」についての検証で提示した「きさらぎ=草木の芽が萌(きざ)す月」という解釈と合わせてみると、如月で草木が芽生え、弥生でもりもりと生い茂る、という流れになり、きれいにつながります。
ただし、三月末から五月初旬というのは木の芽時であり、「生い茂る」ほどに緑が濃くなって勢いがつくのはむしろ五月中旬ごろからでは?という小さな違和感があります。
何より、和風月名が古層日本から受け継いだ古代和語の名残だという説が正しいのだとしたら、「弥(や)」という言葉も、さらにその語源をつきつめなければなりません。
古語において一般的に「や(弥 八)」とは、数が多いこと、勢いが盛んなことを意味しますが、より古い文献をさぐると、この「や」の意味は「良い/善い/好い/佳い/美い」、つまり物事が順調に進み、好ましい状態であることを意味していました。ということは、「いよいよ生い茂る」というような絶頂状態の意味よりは、その手前、萌え出た若草や雛や幼虫がすくすくと健やかに育っている成長期のさまを表わしている意味とするほうが、季節的にもよりしっくりきます。
三月の異名には「嘉月」「佳月」といった名称もありますが、これも元をたどれば「や=良い」から来ているかもしれませんし、やよいの「よい」もそのまま「良い」という意味にも取れます。花や新緑が美しく、気持ちのよい晩春に古代人が思わずもらした「ああ心地よい。よい季節だ(やあよい)」と、素朴におおらかに畳み掛けた言葉こそ、「やよい」の大元の意味だったのではないか、と筆者には感じられます。
三月は病の月? それってどういう意味?
「和風月名」を古代和語ではなく、倭国が成立して以降、中国文明との交流・漢籍の影響のもとに成立したものだと考えると、「やよい」という言葉について別の可能性も考慮しなければなりません。
三月の異名は数多く、先述の佳月のほか、花月、喜月、蚕月、花飛、染色月、雛月、桜月、桃月、辰月、桐春、夢見月……などがあげられます。いかにものどかな、のほほんとした月名が多くを占めますが、その中に「病月」「祓月 (はらえづき)」「寎月(へいげつ)」などの違和感を覚える月名が混じっています。「寎」とは、一種の夜驚症、過眠症などの睡眠障害を意味する言葉ですが、「病」と同様「丙」は体を横たえている人の姿の象形文字を有し、どちらも外傷ではなく内科系の熱病を表わした文字です。
中国の語釈辞典『爾雅(じが)』の釋天の項には、「三月為寎」、「三月を寎となす」とあり、ここから日本でも三月を寎月、病月と呼ぶようになりました。「やまひ」あるいは「ゆまひ」は上代から使用されてきた言葉です。
老いにてある 我が身の上に 病(やまひ)をと 加へてあれば 昼はも 歎かひ暮らし 夜はも息衝(いきづ)きあかし (萬葉集 巻五-八九七)
文政時代の浄瑠璃『寎花女雛形(やよいのはな おんなひながた)』など、「寎」を「やよい」と訓(よ)むケースも知られています。
古くから旧暦の三月・弥生の時期にあたる「木の芽時(このめどき)」は、一年のうちでももっともメンタルバランスを崩しやすいことが知られていました。昭和の頃から問題となりだした「五月病」も、まさに木の芽時の心身症の一類型でしょう。「やまい」が変化して「やよい」となった、という仮説も、ありえないことではないように思われます。こんな短歌を想起します。
桜木の満開の下病むわれら 花の舞い散るそのままにして (白木康治)
親しみ深くかわいらしい沈丁花。手まりのような花にはいくつもの謎が
さて、春分が近づく三月ともなると、咲く花の種類もぐんと増えだします。梅や水仙は言わずもがなですが、梅雨時の梔子(クチナシ)、仲秋の金木犀(キンモクセイ)とともに、三大香木のひとつとされる沈丁花(じんちょうげ)の花の強い芳香にお気づきでしょうか。
貝原益軒は『大和本草(1709年)』で「香遠し故に七里香とも云」と、離れた場所にも届く強く甘い芳香について言及しています。クチナシやキンモクセイよりもシトラス系の香りが強く、甘さとともに爽やかさもあわせ持ちます。
沈丁花(Daphne odora)は、ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木で、原産地は中国南部付近と推測され、日本には中世ごろに渡来し、庭木として好んで植えられました。十字型の四弁花に見えますが、花弁に見えるものは花弁状に発達したがく裂片で、花弁はありません。がく裂片の外側が濃い赤紫、内側が白色で、このコントラストが独特の色味と模様を作り出し、20個ほどの花が集まった球状の花房が開くと、まるで小さな鞠のように見えます。
「沈丁花」という変わった和名は、東南アジアに生育する香木「沈香」の香りに似ていること(沈香自体がジンチョウゲ科ですから、当然といえば当然ですが)と、カレースパイスのひとつして有名なクローブ(丁子/ちょうじ)と似た花をつけることから。種名のDaphne(ダフネ)は、ギリシャ神話で、太陽神アポロンに見初められた美しい妖精ダフネに由来します。ダフネはアポロンから逃げるために月桂樹の木に変容したという神話がありますが、なぜかジンチョウゲ科の科名がダフネになっているのは、ちょっとした謎です。
謎といえば、ネットのフリー辞典などでは、沈丁花は雌雄異株(雄花をつける木と雌花をつける木が別であること)で、日本には雄株しかない、といった記述が見られますが、これは間違いで、花には雄しべと雌しべがきちんとそなわっています。沈丁花は両性花です。沈丁花がほとんど結実しないために、このような思い込みがどこかで発生し、検証されないまま広まったのかもしれません。おそらく古い時代に人為的に作出されたため、結実性がほとんど失われたものと思われます。しかも、中国での原産地も不明で、原種となる野生種も見つかっておらず、その栽培の歴史も謎のままです。
ジンチョウゲ科の草木は、樹皮を形成する靭皮(じんぴ)繊維が長く丈夫なため、多くの種が紙の原料となります。和紙の原料となるミツマタ(三椏)やガンピ(雁皮)はその代表ですが、特にミツマタは三月ごろから白とレモン色の変わった花を樹冠いっぱいにつけ、花も大いに楽しめます。
(参考)
- 新訓萬葉集 佐佐木信綱編 岩波書店
- 歌集「錨」 白木康治 行人舎
- 植物の世界 朝日新聞社
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