「世界を肯定してあげてほしいんです」 講談社ラノベ文庫編集長・猪熊泰則<後編>東大ラノベ作家の悲劇――鏡征爾(3/3 ページ)

» 2020年12月30日 20時00分 公開
[鏡征爾ねとらぼ]
前のページへ 1|2|3       
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

6 人間になりたい

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の本予告映像をみたとき、なぜか、涙が止まらなかった。その涙の理由を、自分でもまだわからないでいる。

 宇多田ヒカルさんの歌声は、残酷なこの世界を、かろやかに肯定しているかのようだった。

 日々、使い尽くされ続けるわれわれの肉体と、魂。

 出会った瞬間から、失うことが義務づけられた魂の絆。

 そんな不協和音じみた絆さえも、美しいものだと肯定しているかのように見えた。くしくも、十年ぶりの新作となった、『雪の名前はカレンシリーズ』の主題とも一致していた。だからだろうか?

 超越的な何かを求め続けて、その果てにたどり着いた作品と同種の魂のようなものを、感じたのは。

 『世界は美しい。戦う価値がある』

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 新作のメッセージ(『雪の名前はカレンシリーズ』より)

 そんな冒頭から始まる小説を書き上げることができたのは、自分にチャンスを与えてくれた、猪熊編集長とラノベ王子の存在が大きい。

 そして、ずっと言えなかったけれど、ここまでくる原動力をくれたのは、こんな人間の底辺のような場所にいた僕に賞をくれた太田克史氏、そして、氏の最初につくられた本である、肉体の失われてしまった、ゲーム・クリエイターの存在が大きい。

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 飯野さんの著作『ゲーム』(1997年版)の書影

 薄暗い室内で、すべてを書き終えた今、
 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の映像を眺めながら、考える。

 意味不明だし、畸形的な想像力だ。
 だが、完璧に胸をとらえて放さない。

 自由でいい。

 難解でも、わかりにくくても、意志を感じるものに惹かれる。

 それは、僕に、かつて、飯野賢治が伝えてくれた言葉だった。

 だが、その彼も、もういない。肉体は滅んだ。

 だが、その魂は、まだ僕のなかで生きている。

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋

 失われていくものがある。

 だが、それを忘れたくないという気持ちがある。

 忘れたくないと思うものはいつだって美しく焦がれた記憶で、それは信じ続けた果てにようやく得られる、一瞬の幻影のような出来事だ。

 それでもその幻影は、影ではなく光なのだ。きっと。

 「世界を肯定してあげてほしいんです」

 猪熊泰則氏の言葉は、そうした経験の上に成り立っているのだろう。「光を描くためには、影の部分がなくてはならない」そう言った編集長は、そのことを誰よりも知っているのだろう。

 私たちの肉体は、いつか跡形もなく消えてなくなる。
 では、私たちは何のために出会い、別れ、失い続けるのだろう。

 「自由でいい」

 その言葉は、飯野賢治の――そしてそれを伝えてくれた太田克史という編集者の、言葉でもある。

 飯野賢治。

 42歳の若さで夭折した、天才のゲーム・クリエイター。

 十年前。彼から送られたメッセージを、思い出したのである。

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋
鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋
鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 『飯野賢治さんからの最後の手紙、全てのクリエイターの方へ』より抜粋

 『いつまでも新人であり続けてくれ』
 『匂うような個性と可能性を感じた』
 『太田克史、或いは一部の小説界が、必死の思いで創り上げた、ある種の領域、枠組みみたいなものを一瞬にしてぶち破って飛び出した、その異形さを保ち続けてほしいと心から思う』
 『集団下校なんて必要ない。あなたはあなたであってほしい』
 『次回作では、可能な限り、あなたで埋め尽くしてほしい』

 何度も、これまで思い出してきたのである。

 そのたびに、理想と現実のはざまの深さに、絶望してきたのだ。――強まり始めた雨のなか、傘も差さずに護国寺から池袋まで歩きながら、考える。

 (自分は、一体何をやっているんだろう?)

 包み隠さずにいえば、そんな風に、思っていた時期があった。死んでしまえたらどんなにラクかと、思った時期もあった。

 十年前。初の大賞を受賞し、期待されてデビューした。だが、僕は結果を出せなかった。結果を出せないどころか、理性と精神のバランスを崩し、書けなくなってしまった。

 情けない。
 合わせる顔がない。
 そう思っているうちに、大切な人はいなくなってしまった。

 雨音が、大きくなった。
 履き潰した革靴の隙間から、水が入ってくる。
 シャリ。パシャリ。と、思考の後を追うように、遅れて自分の足音がついてくる。

 ――そして雨音の向こうに、神社が見えた。

 護国寺から歩いて、当時住んでいた自宅の近くにある、雑司ヶ谷の鬼子母神だ。

 都会の喧噪を離れて、孤独にならぶ赤い鳥居が気に入っていた。

 そこに、一人の少女が倒れていた。

 無論、幻覚である。

 だが、僕には、たしかにそれが、はっきりと見えた。

 「人間に……なりたイ」

 少女は、声を発しているように、思えた。
 自分のなかの壊れかけた何かが、そうさせているのだ。

 それは、自分の青春の死骸だった。

 まだ少女は生きているようにも、死んでいるようにも見えた。

 毎日、毎日、やりたくもない奴隷労働で「使い捨て」にされる。
 それは、本当に「人間」といえるのだろうか?

 無論、すべては心象風景の出来事である。

 だが、その時、僕にははっきりと見えたのだ。

 巨大なガラクタのように年月を積み重ねて、それでも圧倒的な物量をともなって迫ってくる、まるで自分の創作人生のような、人々から忘れ去られた神社と、その中心。雨の向こうに、かすかにみえる祭殿。

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 壊れたカレンが雨の中「人間になりたイ」といいながら天を見上げているシーン
鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇

 「人間になりたい」と、新作のなかで少女は言う。
 少女整備士の少年は、その願いとは反対に、どんどん人間らしさを失っていく少女を、間近で手記に書き留めながら、彼女の最後を見届ける。

 そして、自分の役割を――大切なものに終止符を撃つ。そんな、決断をする。

 「人間になりたい」

 それは、作者自身の願いでもあった。

 そしてそれは、あなたの願いでもあるのではないかと思う。


7 「世界を肯定してあげてほしいんです」

 やりたくもない仕事で大切な時間と魂を切り売りして、私たちは働き続ける。そうして、ボロボロにされた挙げ句に、「廃棄」される。利用されて、利用されて、利用され続けて、その果てに「ポイ捨て」される。そんな仕事を、これまで、生きるために行い続けてきた。だがそれでも、と思う。

 「すべては意志の力なんだ」

 作中で、主人公の少年は、何度も、何度もその台詞を繰り返し続ける。 

 奴隷同然の存在。世界の最底辺にいた人間が、それでも光を見たいと信じ続けた姿に、自分を重ねたのだろうと思う。

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇

 「知ることは変わる力を獲得することです」

 ココロを犠牲に戦う少女兵器のヒロインのは、自分の未知の感情に、名前を与えようとする。

 人間らしい感情。「初恋」を、知ろうとする。

 知ろうとすること、それによって変わりたいと願い、戦い続けること。

 それが、「人間」の条件なのではないだろうか。

 そんなメッセージは、しかし、届いていないのかもしれない。

 自分は、時代に必要とされていないのかもしれない。

 暗闇の室内で、冷たいカベに背をつけ、考える。

 階下を通り過ぎるヘッドライトの光が、幾何学的な模様を描いて流れては消えていく。

 そんな次々にあらわれる光の断片と、暗闇に残る光の残像を眺めながら、思う。

 私たちは、本当に生きているといえるのだろうか。

 自分が描いたものは、伝わっているのだろうか。

 ――ココロを犠牲に戦う人工天使とは、あなたのことだ。

 

 「人間になりたい」と口癖のように、少女は言う。人間らしさとは、何だろうか。果たして、大切な時間をやりたくもない仕事で「使い捨て」にされることなのだろうか?

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇 編集長・猪熊泰則氏と副編集長・庄司智氏とつくった新作『雪の名前はカレンシリーズ』の書影

 これは、それでも変わることを信じ続けた少女の物語であり、同時に、それを間近で見ることによって、変わりたいと願った少年の物語だ。

 それが、あなたにとっての物語でもあると、嬉しい。

 飯野賢治氏に出会ってからの二十年間。

 初の大賞を受賞してからの十年間。

 僕は、「人間」に、なりたかった。

 壊れた心を修理してでも、もう一度、自分の顔を、鏡ごしに見つめたかった。

 自分の部屋には鏡がない。古いCDを裏返して、鏡がわりに使っていた。薄い膜で覆われたそれは、醜く劣化した肌を、隠してくれる。色あせた現実を、覆い隠してくれる。

 そうなのだ。
 僕は、ずっと、鏡すら見れなくなっていたのだ。

 『世界は美しい。戦う価値がある』

 すべてを書き終えた後、僕は、ようやく、鏡を買うためにAmazonの画面をクリックすることができた――『とらドラ!』と一緒に。

鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇
鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇
鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇
鏡征爾 猪熊泰則 小説 東大ラノベ作家の悲劇

 ――十年前、あなたは何をしていましたか?

 夢は、叶いましたか?

 幼い頃に夢見た世界を、あなたは手にしましたか?
 それとも夢に見たものを掴んで、逆に失望しましたか?
 あるいは夢も希望もない、ただ死ぬだけだと、割り切っていましたか?

 それでも割り切れないものを、見つけることができましたか?

 憧れていた世界に失望してからが、本当の人生の始まりです。

 ――失われていくものがある。

 だが、それを忘れたくないという気持ちがある。

 忘れたくないと思うものはいつだって美しく焦がれた記憶で、それは信じ続けた果てにようやく得られる、一瞬の幻のような出来事だ。

 それでもその幻の光の強さを、あなたの魂は知っている。


作者プロフィール

鏡征爾:小説家。第5回講談社BOX新人賞(『メフィスト』姉妹誌『ファウスト』後継)で大賞を受賞。10度目にして初の受賞として話題になる。それから10年。輝かしい青春のすべてを投げ捨て、壊れる寸前でギリギリ新作を完成させる。

Twitter:@kaga_misa



前のページへ 1|2|3       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

昨日の総合アクセスTOP10
  1. /nl/articles/2411/16/news007.jpg まるで星空……!! ダイソーの糸を組み合わせ、ひたすら編む→完成したウットリするほど美しい模様に「キュンキュンきます」「夜雪にも見える」
  2. /nl/articles/2411/16/news013.jpg 自宅のウッドデッキに住み着いた野良の子猫→小屋&トイレをプレゼントしたら…… ほほ笑ましい光景に「やさしい世界」「泣きそう」の声
  3. /nl/articles/2411/15/news016.jpg 「飼いきれなくなったからタダで持ってきなよ」と言われ飼育放棄された超大型犬を保護→ 1年後の今は…… 飼い主に聞いた
  4. /nl/articles/2411/17/news066.jpg 「ヤバすぎwwww」 ハードオフに1万8700円で売っていた“衝撃の商品”が690万表示 「とんでもねぇもん見つけた」
  5. /nl/articles/2411/16/news014.jpg 330円で買ったジャンクのファミコンをよく見ると……!? まさかのレアものにゲームファン興奮「押すと戻らないやつだ」
  6. /nl/articles/2411/14/news014.jpg ドクダミを手で抜かず、ハサミで切ると…… 目からウロコの検証結果が435万再生「凄い事が起こった」「逆効果だったとは」
  7. /nl/articles/2411/11/news056.jpg 大量のハギレを正方形にカット→つなげていくと…… “ちょっとした工夫”で便利アイテムに大変身! 「どんな小さな布も生き返る」
  8. /nl/articles/2411/17/news038.jpg 58歳でトレーニングを始めたおばあちゃん→10年後…… まさかまさかの現在に「オーマイガー!!!」「これはAIですか?」【海外】
  9. /nl/articles/2411/17/news039.jpg 母犬に捨てられ山から転げ落ちてきた野良子犬、驚異の成長をみせ話題に 保護から6年後の“現在”は……飼い主に話を聞いた
  10. /nl/articles/2411/17/news004.jpg 「水曜どうでしょう」“伝説のシーン”そっくりな光景にネット騒然 「ダメだ笑っちゃう」「なまら怖い」
先週の総合アクセスTOP10
  1. アレン様、バラエティー番組「相席食堂」制作サイドからのメールに苦言 「偉そうな口調で外して等と連絡してきて、」「二度とオファーしてこないで下さぃませ」
  2. 「母はパリコレモデルで妹は……」 “日本一のイケメン高校生”グランプリ獲得者の「家族がすごすぎる」と驚がくの声
  3. 「何言ったんだ」 大谷翔平が妻から受けた“まさかの仕打ち”に「世界中で真美子さんだけ」「可愛すぎて草」
  4. 「真美子さんさすが」 大谷翔平夫妻がバスケ挑戦→元選手妻の“華麗な腕前”が話題 「尊すぎて鼻血」
  5. イモト、突然「今日まさかの納車です」と“圧倒的人気車”を購入 こだわりのオプションも披露し光岡自動車からの乗り換えを明かす
  6. 「この動画お蔵かも」 親子デートの辻希美、“食事中のマナー”に集中砲火で猛省……16歳長女が説教「自分がやられたらどう思うか」
  7. 老けて見える25歳男性を評判の理容師がカットしたら…… 別人級の変身と若返りが3700万再生「ベストオブベストの変貌」「めちゃハンサム」【米】
  8. 「ガチでレア品」 祖父が所持するSuica、ペンギンの向きをよく見ると……? 懐かしくて貴重な1枚に「すげえええ」「鉄道好きなら超欲しい」と興奮の声
  9. 「デコピンの写真ください」→ドジャースが無言の“神対応” 「真美子さんに抱っこされてる」「かわいすぎ」
  10. 「天才」 グレーとホワイトの毛糸をひたすら編んでいくと…… でっかいあのキャラクター完成に「すごい」「編み図をシェアして」【海外】
先月の総合アクセスTOP10
  1. 50年前に撮った祖母の写真を、孫の写真と並べてみたら…… 面影が重なる美ぼうが「やばい」と640万再生 大バズリした投稿者に話を聞いた
  2. 「食中毒出すつもりか」 人気ラーメン店の代表が“スシローコラボ”に激怒 “チャーシュー生焼け疑惑”で苦言 運営元に話を聞いた
  3. フォロワー20万人超の32歳インフルエンサー、逝去数日前に配信番組“急きょ終了” 共演者は「今何も話せないという状態」「苦しい」
  4. 「顔が違う??」 伊藤英明、見た目が激変した近影に「どうした眉毛」「誰かとおもた…眉毛って大事」とネット仰天
  5. 「ごめん母さん。塩20キロ届く」LINEで謝罪 → お母さんからの返信が「最高」「まじで好きw」と話題に
  6. 星型に切った冷えピタを水に漬けたら…… 思ったのと違う“なにこれな物体”に「最初っから最後まで思い通りにならない満足感」「全部グダグダ」
  7. 「泣いても泣いても涙が」 北斗晶、“家族の死”を報告 「別れの日がこんなに急に来るなんて」
  8. ジャングルと化した廃墟を、14日間ひたすら草刈りした結果…… 現した“本当の姿”に「すごすぎてビックリ」「素晴らしい」
  9. 母親は俳優で「朝ドラのヒロイン」 “24歳の息子”がアイドルとして活躍中 「強い遺伝子を受け継いだ……」と注目集める
  10. 「幻の個体」と言われ、1匹1万円で購入した観賞魚が半年後…… 笑っちゃうほどの変化に反響→現在どうなったか飼い主に聞いた