まずは先の熊本地震において、お亡くなりになられた方々にお悔やみ申し上げるとともに、甚大な被害に見舞われた熊本県・大分県、その他周辺地域の皆様にお見舞いを申し上げます。
この原稿を書いている時点で震災からすでに2週間近くが経過しており、現場では現在も余震が続き、物資が充分に行き届いていない場所もあっていまだに予断を許さない状況が続いています。さまざまな機関が支援のための窓口を開設し、国内外の人々がさまざまな方法で支援の手を差し伸べている中、ネット上では現在も被災地を支援するための情報が広く共有され、一定の効果を生み出しています。
特に被災の当事者や過去に被災した経験のある方々から発信される、政府や公的機関の目や手が届きづらい部分に関する細やかなSOSによって、必要な物資の配給等が行われているという状況については、情報化社会の強みのようなものを感じずにはいられません。SNSなどが最高の形で適切に運用されている例だと言えます。とはいえ、そういった効果的な事例ばかりではなく、現場に混乱をもたらす誤情報が拡散されたり、悪意に満ちたデマが広がることも珍しくありません。
今回の熊本地震に関しても、特にツイッターなどのSNSを中心に、「ライオンが動物園から逃げ出した」「原発が火事だ」といったような過剰に不安をあおるだけのデマや、知識不足からくる「この支援物資はぜいたく品だ」などといった言いがかりをはじめ、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というヘイトスピーチが拡散されたり、「クロネコヤマト」になりすましたユーザーが現れるなど(関連記事)、どこからどんな形でデマや悪意が生まれるのか予測できず、被災地の泣きっ面に蜂を送り込むような事態も見受けられました。
こういった緊急事態における情報の錯綜(さくそう)は2011年の東日本大震災でも多く見受けられた状況です。あれから5年が経過し、ある程度の正しい認識の普及に加え、情報を収集・精査する機関やシステムなども確立されてきましたが、それでも非常事態におけるネットユーザーの情報の扱い方は、総体的に見て成熟したとは言い難い状況です。
非常事態における情報の扱い方というのは、一種の想像力を要求される状態でもあります。例えば先述の「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマは特定の民族を不当に差別・攻撃するための言説だけに見えますが、万が一その情報が広く拡散され、水の使える井戸が備わっている地域の被災者がうっかりそのデマを信じて水を使わずさらに重大な事態に見舞われたなどといった場合、デマという毒を放り込んで被害を拡大化した側はどのように責任が取れるでしょうか。
デマが拡散されることの恐ろしさは単にだまされちゃったで終わることではなく、被害の拡大や二次被害の発生が起こりうることであり、被害がどのようなステップでどのように深刻化するのかをとらえるのは、われわれ素人の目にはなかなか難しいことです。考えるということは速度とは対極にある行動であり、非常時だからこそ時間をかけて考えるということが重要になってきます。
ネットユーザーにも「おはし」が必要
どうしてこのようなデマや誤った知識の発生や拡散が起こるのかというと、やはり情報の認識や着想から発信、共有までの間に、信ぴょう性の掘り下げや拡散されることによる影響を考えるといったワンクッションを置くという動作が浸透していないことも大きな要因の1つです。「デマは拡散してはいけない」というのは誰もが共有している認識であり、きちんと情報を掘り下げるのは当然の行動だと分かっていても、うっかりそれを怠ったり忘れたりしてしまうということは、誰しもあるあるの出来事です。
そうなると、それらのワンクッションを忘れないための手段が必要とされてきます。例えば、語呂あわせで歴史や数学を覚えたように、分かりやすい言葉にひも付けて頭の片隅に置いておくなど良いでしょう。
小さいころ、避難時の重要な行動として「おはし」の存在を教わった人も多いのではないでしょうか。地域によっては「おかし」「おはしも」「おかしも」とさまざまなラインアップがあるようですが、避難訓練における「おはし」とはもちろん、「押さない」「走らない」「喋らない」の頭文字をとった標語です。とてもシンプルですが実践的で子どもにも覚えやすく、行うにも難しくない、一生使える避難対策なのですが、このようにワンフレーズの中にいくつもの重要度が高い意味合いを込めて、いつでも簡単に頭の引き出しからパッと取り出せるようにするというのは、あらゆる局面で有効な手段だと言えます。
ネット上における情報との付き合い方に関しても、身の安全を守り被害の拡大を防ぐこの「おはし」を適用すれば、デマや被害の拡大化を抑えることができるかもしれません。ここでは大変勝手ながら、ネット上における緊急時の「おはし」を提唱させていただきたく思います。
「押さない」
ここでいうところの「押さない」とは誰かの身体のことではなく、マウスの左クリック(スマホなら決定ボタンなど)のことです。これは一切の共有や拡散に手を貸すな、アウトプットをやめろということではもちろんありません。
クリックの前に一度考えを巡らせ、「押す」という行動にあらためて価値や責任を伴わせることが求められます。マウスクリック一発であらゆる情報を容易に拡散できる状況だからこそ、緊急時においてはネット通販でマンガを買ったりお気に入りのサイトをリンクに入れたりするような軽さではなく、「そのワンクリックが他人の命を左右するかもしれない」というレベルの重さをもってマウスを握りたいものです。
「早まらない」
緊急時だと気持ちが逸(はや)るのは誰でも同じことであり、それは事態の当事者のみならず遠くから状況を観察する側にとっても同様です。ですが相手をおもんぱかるあまりに「早く手を差し伸べなければ……」と思う気持ちが、確実さよりも速度を要求してしまうこともあります。また、自分の中にある知識や認識を絶対視するあまりに、情報を精査する手間を省いてしまうケースも見受けられます。
また一部ネットユーザーの中には「他のみんなよりいち早く情報を共有すること」に優越感にも似た感情を抱く層も見受けられますが、不確定な情報、断片的な情報を先取りすることは何一つ誇れることではありません。真に誇らしきは情報をしっかり見定め、掘り下げられる人間の姿です。「急がば回れ」とはよく言ったもので、ものすごい速さでたくさんの使えないデマを発信するよりも、多少時間をかけてでも裏付けが取れていて信ぴょう性の高く、有益な情報を共有するように心掛けたいところです。
「調べる」
情報と付き合ううえでの基本行動の1つです。単に目の前に差し出された情報の真偽を掘り下げるだけではなく、自分がとりたい行動にとって真に必要なもの、必要とされていないものは何かを知り、具体性や適切さを向上させることにもつながります。とはいえ、調査力や信頼を寄せているソースに関してはだいぶ個人差があるのですが……。
また、自粛ムードや何かにつけ不謹慎だという突き放す言説も、極端な配慮やゆがんだ義憤が何より先走るあまりに、調べるという行動が不足した結果だと言えます。被災者に配慮して娯楽の供給を自粛しても、当の被災者が苦しい避難生活の中でわずかでも娯楽を求めている状況は確かに存在します。
また、支援を行動で表明した著名人に対しなぜか「不謹慎だ」と攻撃する向きもありますが、その著名人の表明をきっかけに支援を心掛ける人が新しく現れることも珍しくなく、支援を表明することもまた、支援のためのコンテンツの一種なのです。
当然、考えもなしにあらゆるコンテンツを解放しろ、一切束縛するなというわけではないのですが、緊急時において必要な物を判断する際、「何を求められているか/求められていないか」を調べることは重要です。しかし、「なぜ求められているか/求められていないか」を当事者の声に耳を傾けるなどして深く掘り下げるというのもまた必要なことでしょう。
実践することが大事
「おかし」の地域に住んでいた人用にも「早まらない」を「書かない」と変えて覚えることができます。自分が今から行おうとしているその書き込みは、本当に適切なソースに基いているのか、自分の勘違いや過度な思い込みが働いていないか、非常事態に見舞われている人たちを蔑ろにしてしまうような、自分にとってのみ都合の良い意図が込められていないか(もっともこの辺の行動原理に対しては意識改革を促したところで、さほど意味が無いのですが)、一度考えてから発信するというのも肝心です。
基本的に情報との適切な付き合いとは、時間や精神面などの「余裕」を持っているということです。被災者の方々はそういった余裕を奪われており、だからこそ支援に回っている側、被災者を応援できる側が襟を正して被災者の方々を正しい情報へ導くのだという意識が求められているのだと思います。
ここで提唱させていただいた「おはし」はもちろん非常時のみならず、普段のインターネットライフにおいても使えそうなパターンを考えてみました。最も覚えて思い出すだけではなく行動に移すことが大事であり、筆者もまた十分に実践できているとはとても言いがたいのですが、ゆくゆくはデマの根絶がかなっているようなネットにしたいものです。この原稿が掲載されるころには、被災地の状況が大きく改善されていることを望みます。
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