フランスで、約80万人いる18歳の若者の文化芸術活動を資金的にサポートする“文化パス(pass Culture)”の無料配布が5月に本始動しました。300ユーロ(約4万円)のクーポン発行により、日本の漫画の売れ行きが急速に伸びたと仏各紙で報道され話題になっています。
エマニュエル・マクロン仏大統領は文化パスの配布開始に合わせ、多くの若者にアプローチできるようTwitterやInstagram、TikTokなどのSNSを通じ利用を促進。もともとマクロン大統領の2017年大統領選での公約だった文化パスは、多様な文化へのアクセスが難しいフランスの14地域で約2年間テストされてきたものです。19歳の誕生日前日まで申請可能で、専用アプリにアカウントを作ると300ユーロが自動的にクレジットされ有効期限は24カ月。同国に1年以上住んでいれば、外国籍の若者でも受け取ることができます。
また、2022年1月からは年少の若者にも拡大され、中学校から高校までの間に合計200ユーロ(約2万6000円)を受け取ることができます。公約では500ユーロとされていた文化パスは、18歳で受け取ることができる300ユーロと合わせて満たされることになる予定です。
文化パスが利用可能な対象は多岐にわたり、書籍や映画、演劇、コンサート、音楽のサブスクリプションの他、写真や絵画のレッスンなども。ただし「多様な文化活動に触れ、発見があるように」と電子書籍、定額制動画配信、ビデオゲームなどデジタル商品については100ユーロまでに制限されています。
なお、「文化パスは文化に関与する人と利用者の出会いを促進することを目的とするため」と前置きされ、本やCD、DVDなどはオンラインで予約し商品は実店舗へ引き取りに行くよう決められています。つまり今回売り上げを伸ばした漫画は配達不可で、アプリで予約し必ず書店などに足を運ぶ必要があります。
フランスの文化/芸術支援
フランスはかねて世界最大の観光立国といわれ、文化/芸術に対する支援が手厚い国。夏至の日に街中で音楽が演奏される「Fete de la Musique」や、10月の第1土曜日に街中でアートが楽しめる「Nuit Blanche」など、全てのフランス人が文化/芸術に無料でアクセスできることが大切にされています。文化を継承する若者が文化/芸術に親しむことも重要視されており、EU在住で26歳以下の若者はルーブル美術館などほとんどの国立博物館は無料で入場できます。
また、芸術をクリエイトする側への支援も多く、「Intermittents du Spectacle(エンターテインメント領域の不定期労働者)」という、会社などに属さないエンターテインメントビジネス従事者への社会保障制度が存在していますが、2020年からのCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)による制限で仕事を失った人のために失業保険受給の条件が緩和され、受給期間も延長されていました。
こうした支援の1つとして、若者に文化活動を習慣づけることを主な目的にさまざまなオファーが提示される文化パスですが、多くの若者が選んだのは日本の漫画。ある人はシニカルな視点で、若者にとっては「漫画がいっぱい買えてラッキー」といったニュアンスで“文化パス”を“漫画パス”と呼ぶ声も目立ちました。
彼らは主に漫画を購入している
6月11日に仏ニュース放送局LCIに出演したロズリーヌ・バシュロ文化大臣は、「文化パスによって80%が書籍を購入しており、これは文化的な場所が再開された直後として理解できる」と前置きした上で、「彼らは主に漫画を購入している」と認めました。
しかしバシュロ文化大臣はこの結果に「漫画は若者にとってとても心惹かれるもの。おかげで彼らは本屋に入店するし、他の本も買う。エントリーキーなのです」と語っており、ネガティブな見方はしていないもよう。「若者の好みはもしかするとあなたとも私とも違うかもしれない。ただいずれにせよ(漫画は)大変な人気がある。本屋は別の本も漫画の隣に置くようにしています。そして37%の若者は漫画と一緒に小説など別の本も購入しているというのです」と強調しました。必ず店頭で受け取る必要があるシステムが功を奏したということのようです。
ジュンク堂パリ支店やフランスでの『進撃の巨人』発行元に聞く文化パス
本件について、パリで日本の漫画のオリジナルと仏語翻訳版の両方が豊富にそろう書店の1つであるジュンク堂パリ支店に、文化パス配布後のインパクトについて取材してみました。
同店のサミュエル・リシャルドいわく、文化パスは「対象商品を指定・登録する必要があり、弊社では日本語を学ぶ語学書に限って登録」しているとのこと。こうした状況のため、今回話題になっている漫画の売れ行きについては言及できないとしたものの、「漫画はフランス全土で、もともと伸びている分野で、若者を書店に呼び込むには良い商品であったと思います」と書店への呼び水として有効だったとする見解を述べました。
今回、文化パスで大きく売上を伸ばした作品の1つが、フランスでは2021年4月7日にコミックス33巻が発売された『進撃の巨人』。フランスでの発行元であるPika Editionのクラリス・ラングレに、文化パスによって実際に売上がどのくらい増加したのか尋ねたところ、「文化パスが一般化された5月21日の前週から翌週までにメインシリーズの売上は30%伸びました」という回答が得られました。
続けて、「ただ、進撃の巨人は今とても人気のあるシリーズで、文化パスの導入前から売上が増加していた。2020年と比較すると、2021年1月以降から1巻の売上は12倍に増加しています」と同作については以前から売上の増加が見られていたことを付け加えています。
ラングレは今回の若者たちの選択について、「フランスの漫画市場は大変ダイナミックで、長年にわたり存在している。Actualitte(※フランスの書籍専門メディア)の記事に書かれているように、この現象は2020年から明らかに加速しています。若者が文化パスで漫画を買うという選択は、(漫画の)書籍部門におけるダイナミズム、読者の好みを反映しています。私たちはよく、“フランスは第2の漫画国”と言うんですよ」とコメントしました。
ラングレの示した記事は「2020年はフランスにとってバンドデシネ売上の記録的な年」というタイトルで、2020年のフランスではパンデミックの中、漫画が18%の成長率を記録したと記されています。『ONE PIECE』のように象徴的シリーズの最新巻発売、『NARUTO』などすでに連載が完了しているシリーズの第1巻が売上を伸ばし、成長率を押し上げたとのこと。両作品とも2020年フランスでの漫画売上TOP10に入っており、特に2016年にフランスでも最終巻が発売された『NARUTO』の第1巻は2020年フランスで最も売れた漫画となり、2番目に売れたのが第2巻でした。
1巻が売れるということは作品が新しい読者を獲得しているということ。さらに今回、文化パスを使ってシリーズを全巻“大人買い”する若者も多かったようです。例えばフランスで進撃の巨人は6.95ユーロ(約910円)で販売されており、最新の33巻まで購買すると229.35ユーロ(約3万円)。文化パスを使って一気に読み進めることが可能です。
文化パスの普及は、数年前からのフランス漫画市場をますます拡大する“ブースト”となったのかもしれません。こうした支援を政府から受けてきたフランスの若者が将来、文化の担い手としてどのような活躍をするのか興味深くもあります。
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