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え? 京王もそうだったの? 「帝都」が付くちょっと厳めしい旧社名のお話

旧社名に隠れていた歴史も少〜し深堀りしてみると……面白いですよ!

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 普段の生活において、鉄道会社の正式な会社名やその由来を意識することはほとんどないでしょう。ましてや昔の社名ならばなおさらです。

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新宿から八王子、橋本へ向かう京王電鉄。旧社名は……

 しかし、現代の感覚からすると少し意外な名前も。ここを少ーし深堀りしていくと「へぇ〜」と、もっと鉄道会社やその路線に愛着がわくかもしれません。

 今回は初級編、少し厳めしく感じる社名だった鉄道会社の歴史を振り返ってみましょう。

京王電鉄の旧社名は「京王帝都電鉄」だった

 新宿から八王子、高尾、橋本方面、さらに渋谷から吉祥寺方面へ伸びる「京王電鉄」。普段は「京王の〜」「京王線の〜」といった親しんだ呼称を使うと思いますが、平成初期の1998年6月まで「京王帝都電鉄」という少し厳めしい会社名でした。

 京王帝都電鉄という社名になったのは東京急行電鉄(大東急)から分離した1948年のことです。「京王」は笹塚〜調布間で開業した旧京王電気軌道、「帝都」は渋谷〜井の頭公園間を開業させた旧帝都電鉄(小田急電鉄系の私鉄)に由来しています。

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渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線は旧帝都電鉄の路線

 昭和の頃は「京王帝都電鉄(Keio Teito Electric Railway)」の略称である「K.T.R」のステッカーが車両に張られていました。

 同社は1998年7月、会社設立50周年を迎えたのを機に社名を「京王電鉄」に変更。平成時代になると「KEIO」のステッカーが張られるようになり、「京王」が完全に定着したようです。

 ちなみに「帝都」とは、帝国(明治憲法時代の日本の呼称・国号、大日本帝国)の首都という意味です。意味としてはそうだよね、ですが、戦争や「帝都物語」などの作品を連想して少し厳めしい、古めかしいと感じるのかもしれません。

東京メトロも“帝都”付き 旧社名は「帝都高速度交通営団」だった

 東京都心部を走る地下鉄線「東京メトロ」の旧社名も“帝都”付きでした。社名は「東京地下鉄」。東京メトロは愛称です。こちらもつい最近、2004年3月まで「帝都高速度交通営団」という社名で、「営団地下鉄」と呼ばれていました。

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営団時代に登場した丸の内線の電車

 東京メトロは民間会社ですが、かつては政府、東京都などが出資する特殊法人でした。「営団」とは経営財団の略語。戦時下の1941年に登場し、国営ではなく民営でもない中間の格で「官民協力」の性格を持っていました。

 営団は、当時の鉄道省が管轄した帝都高速度交通営団の他に、住宅営団、農地開発営団、食料営団などがありました。戦後、GHQの方針で帝都高速度交通営団以外は廃止され、その後行政機関の一部として設立された「公団」に引き継がれました。

 帝都高速度交通営団は、戦後も唯一法人名として残った営団。戦争目的ではなく、東京の地下鉄建設を推進するため存続されたのでした。

 ちなみに「高速度」は、「当時の路面電車に対して、地下を走るため高速である」を意味していました。

 帝都高速度交通営団のシンボルは「Sマーク」です。「S」は地下鉄のSubwayのほかに、安全(Safety)、正確(Security)、迅速(Speed)、サービス(Service)の意味が込められていました。

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(参考)営団地下鉄時代の「Sマーク」(写真:東京メトロ)
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現在は青地の「Mマーク」(有楽町線・副都心線の新型車両「17000系」/写真:大泉勝彦)

 2021年現在は東京メトロの「Mマーク」の車両にほとんどが入れ替わりましたが、まだ「Sマーク」の車両もどこかで見られるかもしれません。

 時代の流れを感じるとともに、この「帝都付き時代」の名残を探してみるのも楽しいと思います。皆さんもいつも使う身近な鉄道会社の歴史や由来、楽しく調べてみてはいかがでしょうか。

新田浩之(にったひろし)

1987年神戸市生まれ。関西大学文学部卒、神戸大学大学院国際文化学研究科修了。主に鉄道と中欧、東欧、ロシアの旅行に関する記事を執筆。2018年からチェコ政府観光局公認の「チェコ親善アンバサダー2018」を務める




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