人間VSコンピュータオセロ 衝撃の6戦全敗から20年、元世界チャンピオン村上健さんに聞いた「負けた後に見えてきたもの」(2/3 ページ)
「もはや人間が及ぶレベルではない」
――正直なところ、勝算はありましたか?
当時、中島哲也八段が出版していた発行物の中にコンピュータ同士の棋譜(対局の記録)があったのですが、それを見たらもはや人間が及ぶレベルではありませんでした。そこから、目標は「一勝できれば良い」になっていました。
――ロジステロと戦う3カ月前に、カスパロフ氏がディープ・ブルーと戦って敗れました。あの姿は脳裏にあったのではないですか?
あのカスパロフ氏の憔悴しきった姿は、今も印象に残るほどです。「人間の尊厳をかけて戦う」と宣言していたカスパロフ氏は、「コンピュータに勝つことが人間の、チェスプレイヤーの尊厳を保つ」という風に考えていたと思います。ですから負けたときの衝撃が大きかったのでは。
さらにカスパロフ氏は前年の1996年にもディープ・ブルーと対戦していて、そのときは勝ち越しており実力が拮抗していました(カスパロフ氏の3勝1敗2引き分け)。だから、翌年に負けたときは衝撃が大きかったのだと思います。
――人間を代表するプレッシャーがあったのではないですか?
ディープ・ブルーよりもロジステロのほうが、人間の域を超えていました。負けると思っていました。なので、ある程度は気楽でした。ただ私は、これはオセロの戦いではなく、哲学の戦いだと考えていました。
多くのオセラーが思っていた「コンピュータに負ける=オセロが終わった」というのは違うということを示したかったのです。確かに人間は他のどんな生物よりも高い知能を持っていますが、他の分野で見れば、人間より優れている生物はいっぱいいるわけですから。知能の優位性にそこまでこだわることもないでしょう。私は逃げることなく正々堂々と戦いたかった。
ロジステロの革新性
――ロジステロはなぜそれほど強くなれたのでしょうか?
それまでのオセロソフトは、人間が作る評価値から形勢判断をしていました。しかしロジステロは24時間対局を繰り返して自己学習し、評価値を自動更新します。これによってより正確な形勢判断ができるようになりました。
そのため、開発者自身が形勢を判断できる強い人でなくても、強いソフトができるようになりました。ちなみに、6番勝負の前日にお好み対戦(エキシビション)で開発者のブロさんとオセロをして、パーフェクト勝ちをしました。ブロさんの腕前は初心者レベルでしたよ。
――ソフトが自分で評価値を作って形勢判断するというのは、コンピュータ将棋に革命を起こしたソフト「Bonanza」(ボナンザ)と同じですね(Bonanza開発者の保木邦仁氏も、将棋初心者だったことで知られている)。
ロジステロの形勢判断の仕方は、人間とは大きく異なっていました。人間の高段者の場合、重視するのは「手数」(てかず)です。自分が打てる場所の数のことで、それを増やすほど有利。逆に相手が打てる場所を減らすほど有利になるので、常にそれを考えながら打ちます。
しかし、コンピュータオセロは「手数」での評価は、あまり重視していないと思われます。ロジステロの場合、例えば盤上に4カ所ある隅の2×2を見て、確定石(絶対取られない石)がどれだけあるか、返されやすい石がどれだけあるか……などで、評価が決まります。自分同士で何十万局とやった結果をデータベース化して、この形だったら、プラスだ、マイナスだ、という数字を全部出し、このような評価を盤の全面で行います。
ロジステロの形勢判断方法
例えば1図。この4石は白がもう決して返すことのできない黒の確定石であるため、このパターンの黒の評価値は高い。しかし2図のように隅が1つ空きマスになると評価は激変。右下隅を白が取った場合に黒の3石は一気に白に返されてしまう可能性が高いので、このパターンの黒の評価値は低くなる。
あるマスは「黒」「白」「空きマス」の3つの場合があるため、このような隅の4マスのパターンは全部で3の4乗(81)個。ロジステロは24時間自己対戦を繰り返しながらこの81パターンの評価値を常に自動更新する。また中央の4×4の部分、辺(盤面の一番外側で隅を除いた部分)、対角線(右上隅から左下隅に至る斜めの部分、あるいは右下隅から左上隅に至る斜めの部分)、などさまざまな部分についても同様の評価を行い、その総合値で局面全体の評価を行う。
ロジステロに「勝ちようがない」理由
――では、ロジステロの強さを具体的に言うと?
オセロは最初の10手だけでも500万通り以上の変化があります。その中で人間は経験による先入観からまず打たない手がありますが、ロジステロには先入観がなく、全ての変化を自分同士で24時間試し、何十万局というデータベースを作っています。人間の世界では全く知られていなかったような手なども駆使して序盤から人間をリードするので、序盤で差をつけるのは相当難しいです。
さらに中盤でロジステロに読み勝つのは非常に困難。私は囲碁を二段程度打ちますが、囲碁は1手で新しい石が1つ加わるだけなので、10手先の局面を頭に浮かべるのは比較的容易です。
しかしオセロは1手で複数の方向に複数の石がひっくり返る(最大8方向、最大18石)。そのため10手先すら高段者でも正確に読むのは難しいです。かなり読めて10手先、多くの場合はせいぜい5手先ぐらい。それに対して、ロジステロは中盤になったら14手先までの全ての変化手順を見ます。さらに有力な手は22手先までチェックします。
そして試合が34手目まで進んだ後、ロジステロは残りの26手を最後まで完全に読み切ります。なので34手目までに人間がリードしていないと、絶対に勝てない。
それに加えて、人間は必ず間違えます。高段者ですら、最後の10個空きで手を間違えるのは普通のこと。ですから+10石ぐらいのリードを持って(残り)26個空きを迎えたとしても、2石損を5回続けたら、もう引き分けの計算です。高段者でも10石損の手をけっこう打ってしまうくらいなのに。
つまり序盤から終盤まで、「全然勝ち目がない」のです。勝ちようがない。
途中で負けが確定したことを一人だけ知らず打ち続けた
――そして1997年8月。ついにロジステロとの6番勝負を迎えた村上さんですが、まるで勝ちへの糸口が見えない中、連戦連敗を重ねます。
――ロジステロとの対戦中「中盤半ば過ぎ」で最後まで読み切られて負けが確定。現地の観客やインターネット中継の視聴者はそれを知っているのに、村上さんだけそれを知らずに打ち続ける、という形だったそうですが…………どんな気持ちでしたか?
自分にとって形勢がかんばしくないことは分かっていました。逆転の望みがないことも。それはしんどいというか……しんどかったです。しかしオセロは投了というものがなく、最後まで全力を尽くして戦うというゲームですから、それは仕方がありません。
おっしゃる通り、スクリーンにはロジステロが「プラスいくつ」と出ているので、ホールにいる観戦客や記者の皆さんはもう勝ち目がないことが分かっていたはずです。
そこには、日本の主要テレビ6局全てから取材陣が来ていました。まだ商標名を言うことが難しかった当時のNHKですら、はっきり「オセロ」と言って報道していたと思います(※)。
※商標名:「オセロ」はメガハウス社の登録商標。オンラインゲームなどでは「リバーシ」の名称が使われることも多い
ある意味でオセロ史上最高に注目された一戦だったかも知れません。悲しいことですが。そこにはオセロファンの方もいました。多くはアメリカの方でしたが、日本から来た人もいて、当時新婚だった妻もついてきてくれました。
妻は私が勝てる見込みが薄いことも分かっていたんですが、励ましてくれました。以前から大きな大会のときには激励のメモを書いて渡してくれて、ロジステロとの対決のときもくれました。やっぱり、妻の応援はすごく力になりましたよ。
接戦を“演出”するための「ブック進行」をなぞらなかった
――ロジステロに負けて、ショックは受けましたか?
負けると思っていたのでショックではなかったですが、消耗しました。勝ちが全然見えてこなくて。その状態でずっと4時間近く集中していて、しかも1日2試合もあったので……。
――将棋の電王戦などでは、対コンピュータに特化した(=人間相手には通用しない)「アンチコンピュータ戦略」というものがありましたが、そのような手は考えませんでしたか。
「人間がまだコンピュータと良い勝負だということを示す」ための“ちょっとゴマかせる戦法”として「ブック進行」というものがあります。
それは、強いコンピュータ同士が打った、決まった進行です。人間がマネしても「引き分けに持ち込める」「2石だけの負けに留められる」棋譜が数百通りあって、それをなぞっていけば、接戦に持ち込めます。しかし、ただただ暗記した進行をなぞっていくだけでは「良い勝負を演出する」だけなので、自分ではしたくありませんでした。
自分がチャンピオンになったときの自然な打ち方を駆使して戦いたかったのです。「ブック進行」は無意味なことで、もしコンピュータに変更を加えられて、2石損とか4石損のちょっとだけ損なほかの手順に変えるだけで、人間は勝てなくなってしまう。
なぜかというと、コンピュータがわざと損な手を打って人間側の+2とか+4の局面になったとしても、+4などという小さなリードを保ったまま、終局できるはずがない。人間は必ずミスをする。だからブック進行をなぞっても意味はないし、そんな小細工をするのはイヤだったのです。
――敗戦して帰国後、周りはどんな反応でしたか?
正々堂々と戦って、コンピュータに負けても悔いはないと思いました。自分より優れたものから学んで、自分のプレーを向上させていけば良いと思ったのです。
しかし、日本ではその考えは共感されませんでした。「なんてことをしてくれたんだ!」と批判的な人が多かったのです。
オセロ界隈の人間は「リアルな危機感」を感じており、コンピュータが上だと明確に示す機会を避けて、オセロの価値を延命させるという考え方が当時根強くありました。
ただ、私は謝りませんでした。「コンピュータに負けて、オセロのチャンピオンの権威をおとしめて、申し訳なかった」と言うのが多分正解だったのでしょうが、謝る必要はないと思っていたので、それはできませんでした。それが、日本人のメンタリティとして周囲の人は不満だったのかも知れません。
その一方で、「頑張った」と評価してくれた人もいっぱいいましたよ。
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