全作完結済み! 「このマンガがすごい!」にランクインしなかったけどすごい!2019 (2/3 ページ)
第3位『みんなで辞めれば怖くない』(中憲人)
第3位は中憲人先生のコメディ『みんなで辞めれば怖くない』(全1巻/秋田書店)です。
部署内に響き渡る怒号で理不尽な要求を繰り返すパワハラ上司。早朝出社。終電まで続く残業。飲み会への強制参加。入社3年目のサラリーマン・斎藤は、限界に達しつつありました。
どんな理不尽も、作り笑顔で乗り切ろうと努め、順調に「社畜」への道を歩みつつあった斎藤。しかしある日、解釈の行き違いで上司から容赦ない叱責を浴びせられた彼の心に異変が生じます。
「伝えきれなかった人と理解できなかった人 どちらも役目をはたしていないのに どうして片方だけが怒ってるの?」
そう、本来は双方のミスだったはずなのです。まさにこの上ない正論。しかし、斎藤の口をついて出たこの言葉は、彼の言葉であると同時にまた彼の言葉ではありませんでした。なぜなら、言葉の主は斎藤の中に突如現れた「小学生女子人格・ユイ」のものだったからです。
慌てて失言を謝る斎藤。しかし、意識下で生き続けるユイは、その後も「どうして行きたくない飲み会に行くの?」「始業まで時間があるのに、先輩より早く出社しなければならないルールなんて変だよ」と、子どもならではの率直さで突き刺すように次々と問いかけます。それに対して、斎藤は「そういう風になってるんだからしょうがないよ」として答えるのが精一杯。
ユイがどれほど大人の世界のおかしさを指摘しようと、彼を取りまく現実は変わりません。この日も別の上司から粘着的な説教を受ける斎藤。偽りの笑顔を張り付け、上司のありがたいお言葉を機械的にメモり続ける斎藤でしたが、「人間的成長」というトラウマワードに触れられた瞬間、彼の中に第3の人格「バーサーカー・タダシ」が誕生します。
筋骨隆々のタダシは、上司を縊り殺すことも厭わない、「キレる」の擬人化とも言える危険人格。このままタダシに肉体を乗っ取られてしまえば大変なことになると、精神世界の斎藤とユイが慌てて抑え込んで事なきを得ましたが、その後はタガが外れたように、斎藤の中に別人格が次々と出現することに……! 考古学者、修行僧、野球少年……、職場で困難や理不尽に直面するたび、それを回避しようと、新しい人格が次々と生まれていきます。
しかし、多重人格同士のドタバタ劇じみた物語の色彩は大きな変化を見せます。
回される仕事の量がますます増え、いよいよ精神的に追い詰められる斎藤。その重荷が増すにつれ、別人格たちを表舞台に立たせてしのぐことが増え、主人格であったはずの斎藤自身はどんどん心の舞台裏へと退行していくのです。
「次はどんなオモシロ人格が生まれるんだろう?」という作品への喜劇的期待は、ここに来て自己を守るための防衛機制を生々しく描いた、ある種のサイコホラーという不穏な色彩に覆われ始めます。物語冒頭の純粋な笑いが、次第に引きつり笑いに、そしてとうとう笑えなくなるまでの展開が非常に上手いです。
追い詰められた斎藤が別人格たちとの対話を通じて、最後にたどり着いた結論とは――。
ブラック企業に限らず、人は異常な環境に置かれると、その心のバランスを保とうと、さまざまな自己正当化を行います。本作の場合、それはユイやタダシといった別人格の誕生という形で表れ、また彼らとの掛け合いが面白いおかげで、私たちは本作をコメディとして楽しむことができます。
しかし一方で、一皮むけばその喜劇的シチュエーションの下に潜む人間の異常心理を垣間見せてもいます。フィクションでありながら、決して100%純粋な作り話というわけでもないのが本作の恐ろしいところ。斎藤のように自己欺瞞を強いられる厳しい状況に置かれた、世の少なからぬ人に対して、そこから抜け出す救いの道を示している点も良かったです。
第2位『恋の撮り方』(たなかのか)
第2位は、たなかのか先生の『恋の撮り方』(全2巻/KADOKAWA)。前作『すみっこの空さん』以来、久々の作品です。
写真部部員の高校1年生・河島まもると、部長で3年生の佐々木つぐみ。ある日、まもるは1つ上のライカ先輩から、卒業アルバムの撮影係としてつぐみの笑顔をカメラに収める任務を与えられます。コンクールで受賞するほどの腕前を持つものの、誰一人としてその笑顔を見たことがないため、「凍てつきの女神」の異名を持つつぐみ。その上、いつも自分の表情を覆い隠すかのように、顔の前にカメラを構える彼女の笑顔を捉えることなど果たしてできるのか――。
大きな難題とともに、アルバム撮影用のカメラを手渡されたまもる。試しにファインダーをのぞき込んだところ、何とそこには満面の笑みでこちらに微笑みかけるつぐみの姿が……! 早くもミッション終了?と、慌てて現実の世界に目をやると、そこに微笑む彼女の姿はありません。
「恋をするとね カメラのフレームに つねに 恋してる人の姿が写るんだ」
ライカ先輩の言葉を思い出すまもる。それはまもるがつぐみへの恋心に気付いた瞬間もありました。ここから、つぐみ先輩そっくりだけど、ファインダーの越しの世界にしか現れない「なかみ先輩」との交流が始まります。
「凍てつきの女神」、現実のつぐみ先輩とは違って、まもるに向けて笑顔を投げかけるなど、豊かな感情を見せるなかみ先輩。しかしよく考えてみると、なかみ先輩はまもるのカメラの中にだけ住む存在でもあります。他の人からすると、カメラを構えて見えない相手に一人語り掛けているアレな状況なわけですが、それはさておき、彼自身は一緒にデートするなど、この状況を楽しんでいる様子。なぜなら、ファインダーを覗けば、想い人がいつも自分だけに笑顔を向けてくれるから――。
しかし、この関係が現実では何の進展にもなっていないことも明らかです。現実のつぐみは決して微笑まない。物語は後半、ファインダーの向こうにいるなかみ先輩の本当の気持ちが明かされるのをきっかけに大きく動き出します。
「雨の日 窓はくもって風景は優しく」「ピンボケ写真は輪郭をあいまいにして優しく」「その優しいふたつともは 涙をためて見る世界と似ていた」
「だから思った 涙というのは かわいそうな自分をなぐさめるために 世界をあいまいにする機能かもって」「世界はこんなに優しいんだよって」
真実を知ったまもるの、この独白には心を打たれます。片想いの相手から振られて傷つくことを恐れるのであれば、カメラの中に住む優しい彼女との生活を続けることもできたでしょう。ましてや、相手が自分に決して微笑んでくれない相手であれば、なおさらファインダーの中にある、ぬるま湯の世界に閉じこもり続けた方が心地良いはずです。
しかし、まもるはそれを選ばず現実に向き合いました。そしてつぐみもまた、まもると同じように現実に向き合うことを選びました。なぜ彼女はカメラに魅力を感じたのか。それは笑うことのできない彼女にとって必然的な選択でもあったのです。
本当の笑顔を取り戻したいと願ったまもるとつぐみがたどり着いた結末とは。2巻という枠の中で非常に美しく収まった作品。次回作も期待しています。
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