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日本古来の軽巡洋艦が到達した最終進化
「矢矧」(やはぎ)は、阿賀野型3番艦にして1943年12月29日佐世保海軍工廠(こうしょう)の生まれ。1943年は昭和18年にして、激烈を極めたアイアンボトムサウンドの夜戦も、北部ソロモンの過酷で劣勢な夜戦もすでに終わっていた。そして、すでに艦隊に所属して海戦も経験していた長女「阿賀野」は、妹と一度も顔を合わせることがないまま沈んでいた。

見た目が近代的なので、その性能も対空対潜に優れた新時代の軽巡洋艦、と思いたくなるが、その設計は戦前に確定しており、さらに、駆逐艦とともに敵戦列に突撃するという水雷戦隊旗艦の戦術思想は、日露戦争の成功体験が源流となっている。そういう意味では、見た目は新時代の軽巡洋艦だが、中身は球磨型や長良型、川内型といった大正時代の5500トン型軽巡洋艦と変わらない。その代わり、水雷戦で駆逐隊を率いて血路を開き、ともに雷撃して敵主力艦を撃沈する目的を持った軽巡洋艦として、阿賀野型は理想的な最終進化形だった。
しかし、その水雷戦隊旗艦として活躍できる時代は、アイアンボトムサウンドと北部ソロモンで夜戦を繰り広げていた1942年後半から1943年前半までで、旧式の5500トン型軽巡洋艦が水雷戦隊旗艦として戦い、そして、沈んでいった。時代に間に合わなかった阿賀野型は、主力艦の防空護衛艦として戦うことを余儀なくされるが、しかし、その実力は主力艦を守るどころか、自分を守るのでさえ心もとないほどだった。
矢矧の戦歴も、マリアナ沖海戦にレイテ沖海戦、そして、戦艦「大和」とともに沖縄に向けて出撃して、その途上で沈んでしまう天一号作戦と、そのほとんどが阿賀野型が苦手とする対空戦闘に終始している。しかし、一度だけ、本来の水雷戦隊旗艦として奮戦したことがある。それが、レイテ沖海戦の第5ステージともいえる「サマール沖海戦」だ。
1944年10月25日早朝に、米護衛空母部隊と遭遇した日本艦隊は、煙幕と護衛する駆逐艦の雷撃と搭載する航空機で反撃する敵部隊を追撃する。このとき、姉の「能代」は第2水雷戦隊旗艦として参加しており、矢矧は第10戦隊旗艦として、それぞれ配下の駆逐艦とともに突撃命令を待ちつつ、戦艦「大和」「長門」とともに行動していた。
0851(午前8時51分、以下同じ)、ついに敵艦隊へ向けて突撃を開始する……が、矢矧は煙幕から飛び出した敵駆逐艦に驚いて大きく右に舵をきって退避してしまう。その急な針路変更の影響を受けたのが、第10戦隊の右にいて同じく突撃していた「能代」率いる第2水雷戦隊だ。矢矧が大きく右に舵をきって第2水雷戦隊の針路を妨害したために、能代や駆逐艦「島風」などの面々も大きく右によけてしまい、敵艦隊に魚雷を射出する機会を失ってしまった。
せっかく念願の雷撃をする寸前だったのに矢矧に邪魔された能代。矢矧に対してその心中はただならぬものがあったはずだ。しかし、能代は、翌日の航空攻撃で沈んでしまう。1人残った矢矧は、能代のあとをついで歴史ある第2水雷戦隊最後の旗艦に就任し、大和とともに東シナ海に沈んでいった。それは、日本海軍が長年にわたって得意としてきた水雷戦隊の終焉でもあった。



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