現在では、不動産の購入を検討する場合、物件の取扱会社に直接訪問して案内してもらうほかは、従来の新聞や雑誌の広告、新聞の折込広告、テレビやラジオCM、あとはインターネットの物件ポータルサイトなどで物件情報を得るのが一般的である。割合としては、年々ネット広告の比率が高まっていると思うが、広告媒体が何であれ、どの購入者も自分の生活設計に照らして、大きな決断の下に新居探しを行うのが普通で、人から勧められるがままに転居を決断する人はまずいないだろう。

 ところが、これが投資用不動産の場合、一般の居住用不動産と事情が異なる。生活必需品ではないため、広告の出稿のみに頼っているだけでは満足いく成果が望めないということで、一部の業者は電話営業や訪問営業を盛んに行っている。

 近年よく事例を見聞きするのは、ワンルームマンション投資の営業で、その強引な勧誘はこれまでにもたびたび問題視されてきた。だが、この電話営業・訪問営業こそ、今も昔も変わらず根強く残る、投資用不動産の販売手法である。

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ライター:吉川祐介

2017年、八街市周辺の物件探しの過程で数多く目にした、高度成長期以降の投機型分譲地についてのブログ「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」を開設。その後、YouTubeチャンネルの解説と自著の出版を経て同テーマに関する発信を生業にしています。
X:@yuwave2009


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虚偽の宣伝、時には恫喝や脅迫も…… “分譲地の訪問販売”の歴史

 僕が1970年代頃の分譲地・別荘地を紹介する際、当時の新聞紙面広告を資料として明示することが多いが、これは新聞紙面広告以外の折込チラシやテレビコマーシャルなどの素材を入手するのが難しく、他に紹介できるものがないという消極的な理由による。

 そして、もう一つ悩ましいのが、僕が紹介する「限界分譲地」「別荘地」、また今回の記事では詳しく触れないが、同じく僕の主要なテーマである「リゾート会員権」、これらのいずれも、当時は広告だけでなく訪問営業に頼って販売されていたものが多数存在し、今となってはそれらの販売実態を知ることが極めて難しくなっている点だ。

 恫喝や脅迫を伴う強引な営業によって、営業社員が逮捕されたような荒っぽい事件であれば記録が残されているものの、その他は、国民生活センターや一部のメディア・報道機関に寄せられた相談案件などを参照するしかない。特に訪問営業というのは、広告と違って記録に残りにくく、そのため虚偽の宣伝文句を並べ立てて強引に契約を迫る、という手法が横行していた。報告されたトラブルの内容は、70年代の分譲地販売も、今日のワンルームマンション販売も、本質的に変わるところはない。

 おそらく、バブル崩壊頃まで盛んに続けられていたと思われる「分譲地の訪問販売」は、近年その購入者が続々と鬼籍に入り、その模様を語れる人は少なくなっている。また存命中であっても、分譲当時の購入価格と現在の実勢相場が大きく乖離した今では、過去の忌まわしい記憶となってしまっており、積極的にその模様を広く公言する人は多くないだろう。

宴席で酔わせて強引に契約、契約を断れば現地に置き去り…… 悪質な訪問販売の驚くべき手口

 今は転出してしまったが、僕が以前暮らしていた千葉県横芝光町の海岸近く、1987年に分譲販売が行われた全64区画の分譲地も、広告媒体ではなく訪問販売で売られた分譲地だった。分譲地内の管理について、千葉県外在住の何名かの所有者と話す機会があり、その際に分譲当時の広告を保管していないか尋ねたところ、全員が「自宅を訪問した東京の分譲会社であるS社の営業社員から勧誘を受けて購入した」「広告のようなものは受け取った記憶がない」と回答した。

 そのうちの1人であるAさんの記憶によれば、営業から購入までの流れは以下の通りである。

 ある日、神奈川県在住のAさんの自宅に、S社の営業社員が訪ねてきた。Aさんはこの営業から、旧光町(現・横芝光町)の土地の購入を持ちかけられる。営業いわく「これから発展して地価がさらに上昇する見込みがある」とのことだった。

 当時はバブル前夜で、地価の暴騰が本格的に始まっていた時期だった。興味を持ったAさんが「一度、現地を見たい」と営業に伝えると、後日、S社の黒色の高級セダン車がAさんの自宅まで迎えに上がり、そのまま神奈川県から九十九里海岸近くの光町の分譲地まで案内されたそうだ。

 今日の感覚では、たった1区画の販売のためだけにしては、ずいぶん過剰なおもてなしぶりのようにも映る。しかし、高度成長期からバブル期にかけて、宅地開発が盛んだった時期は、特に悪質な業者でなくても、分譲地まで見学バスを運行したり、現地までのタクシー代を支給したりといったことは、ごく当たり前に行われていた。

 それどころか、1970年代に横行した悪質な原野商法や別荘地分譲では、購入希望者を温泉旅行に招待し、宴席で酒に酔わせた状態で契約を執拗に迫る手口もあった。また、見学ツアー先で購入申し込みを拒否した見学者が、申し込みをしなければ帰りのバスには乗せないと案内者に恫喝され、実際バスに乗れずに現地へ置き去りにされる事態もあったという。

 そのため当時としては、そんな個別の送迎も、それほどおかしな話ではなかったのかもしれない。

 だが、それにしても、たった1人の見学者のために神奈川県から千葉県の田舎町まで送迎するとは、あまりに不合理だろう。太っ腹と言えるのかもしれないが、僕はみみっちいので、その送迎費用もすべて分譲価格に上乗せされているのでは、と考えてしまう。

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700万円で購入→今では…… 千葉県・旧光街の分譲地を手にしたAさんのケース

 送迎の道中の車内、また到着した現場でどのような勧誘が行われたのか、Aさんは詳しく語らなかった。だが、購入から30年以上経過した今、Aさん自身も「原野商法に騙されたんだ」と振り返っている。

 ほとんど人の往来もない光町の外れの分譲地に連れていかれるのは、密室状態に置かれたのとほぼ同じことだ。周囲の監視の目もないまま、強引な勧誘や根拠に乏しい将来展望を騙られた可能性は十分にある。

 結局、AさんがS社から購入した分譲地の価格は700万円。だが、Aさんが購入した分譲地は、今でも大半の区画が更地で、全64区画中、実際に家屋が建てられたのは7区画しかない。

 現在の横芝光町の地価水準では、最寄駅から約8kmも離れたこの分譲地の30坪を700万円で売るのは、不可能に近い。Aさんの所有地は南側に家屋が隣接しており、分譲地内の他の空き地と比較しても条件が悪く、おそらく10万円で引き取り手が見つかれば御の字、というレベルではないだろうか。なお近くには、前所有者が負動産の有償引取業者に手数料を支払って処分した分譲地もある。

 それでも、上水道は一応敷設され、宅地として使用可能な状態まで造成工事が行われたうえで分譲販売されてはいる。Aさんさえその気になれば、宅地としても利用可能であった以上、この取引を詐欺のニュアンスを含む「原野商法」という呼称で表現できるかは難しいところである。

 だが、そもそも神奈川県の自宅で自営業を営むAさんに、九十九里平野の住宅用地を自己使用のために購入する動機はなく、その購入目的はあくまで投機に特化している。販売業者側(S社)も、そんなAさんの思惑を承知のうえで販売しているだろう。構図としては、北海道の原野が図面上だけで区画割りされて売られたような、正真正銘の「原野商法」と変わるところはない。

 また分譲地の購入者の中には、同じS社から、投資物件として同じく千葉県の九十九里沿岸・某町の土地建物を購入した人もいる。その人は、S社に勧められるがまま新築住宅を購入し、自分で使用することもなく賃貸経営を始めた。

 だが、地価が安く、ベッドタウン需要も乏しい九十九里平野では、たとえ新築であっても、都市部のような高額の家賃収入は期待できない。おまけにバブル景気の時代は、地価の安い千葉県郊外で賃貸経営に挑んだり、あるいは同様に業者の勧誘に乗って賃貸経営を始めたりした、いわば「競合相手」が周辺に大勢いた。そのため、期待した利回りとは程遠い結果のまま、赤字を飲んで売却してしまったそうだ。

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昔の分譲地・別荘地投機と、今のワンルームマンション投資は、本質的には同じ

 結局のところ、この時代に行われていた「分譲地投機」「別荘地投機」というものは、本質的な面で今日のワンルームマンション投資と変わるところがない。

 さすがに今の時代、都市部から遠く離れた九十九里平野の果ての空き地で一獲千金を夢見る者はいないと思う。だが、都市部のワンルームマンションには、往年の土地神話ほどでないにせよ、実態と乖離した過大な期待が寄せられがちであるようだ。

 なお余談だが、訪問営業を中心に九十九里沿岸部の各地で同様の分譲販売を繰り返していたS社は、すでに存在しない。法人登記を見る限り、破産宣告は受けていないようだが、いつの間にか会社の実態もなくなり、その法人登記は法務局の職権で強制的に解散させられている(みなし解散)。

 僕が暮らした分譲地を含め、S社が開発した分譲地の中には、いまなおS社の名義のまま放置された区画や私道の共有持分がある。僕は以前、横芝光町役場を通じて、このS社の関係者へ連絡を試みたことがあるが、戻ってきた返答は、法人の納税管理人(元代表と思われる)はすでに亡くなっていて、遺族は相続放棄を行っているので、残されたS社名義の土地については関知できない、というものだった。

 かつての高度成長期・バブル期の千葉県郊外で、投機目的の分譲地を乱売し、数多くの限界分譲地を発生させてきた業者は、今はもうほとんど残っていない。バブル崩壊とその後の地価下落・需要の減退によって、それら限界分譲地の購入者の多くが手痛い損失を被ったが、バブルの崩壊とともに散っていったのは、業者も同じだったのだ。売り手も買い手も、やがて泡と消える運命にある儚い夢を見ていたということであろう。

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