「モヘンジョダロ」と聞いて、そこがどんな場所なのか、すぐに思い浮かべられる人は少ないかもしれません。現在のパキスタン南部に残る、インダス文明を代表する古代都市遺跡です。およそ5000年前に栄え、整然とした街路や高度な排水設備を備えていたことで知られ、現在はユネスコの世界遺産に登録されています。
ところが、この貴重な遺跡には、長年悩まされてきた問題があります。発掘され、地上に姿を現したレンガが、塩分や水分の影響でもろくなり、少しずつ崩れているのです。
その問題に対して、ある研究チームが、AIを活用した実験に取り組んでいます。

地中では残っていたのに、発掘後に劣化
モヘンジョダロでは、20世紀初頭から本格的な発掘が行われました。当初、遺構は比較的良好な状態で残っていたといいます。しかし地中から掘り出され、外気や雨、湿度の変化にさらされるようになると、レンガの劣化が目立ち始めました。
大きな原因の一つが「塩」です。
土や地下水に含まれる塩分は、水分と一緒に多孔質のレンガ内部へ入り込みます。水が蒸発すると、今度は細かな隙間の中で塩が結晶化。この現象が繰り返されることで内部から圧力がかかり、表面がはがれたり、ひび割れたり、少しずつ崩れたりするといいます。
さらに雨水や排水、地下水位の変化、高い湿度も劣化を進めます。研究チームの論文に掲載された写真では、レンガ壁が外側へ曲がるように変形した姿も確認できます。研究チームは、建材が弱くなり、自らの重さに耐えられなくなっている状態だと説明しています。

古いレンガを守るため、まず「土」を調査
傷んだ部分を新しい材料で固めればいいと思うかもしれません。しかし、文化遺産の保存は、そう簡単にはいきません。
古いレンガと性質の違う材料を使えば、周囲になじまず、新たな亀裂や劣化を招く恐れがあります。また、元に戻せない修復をしてしまえば、遺跡が持つ本来の姿を損なう恐れもあります。
そこで研究チームが注目したのは、遺跡周辺で採れる粘土。遺跡を守る材料として検討されたのは、近代的なコンクリートなどではなく、もともとの建造物に近い「土」でした。
採取した粘土を水に溶かし、余分な塩分や粗い粒子を取り除いたうえで、立方体の試料を作製。水をどれほど通すのか、乾燥するとどう変化するのか、塩分を含む環境でどの程度傷むのかなどを調べました。その結果、塩分を減らした粘土は歴史的な建材になじみやすく、湿気による劣化も受けにくくなることが示されたといいます。

AIで「この土ならどうなる?」を事前に試す
この調査の中で研究チームは、AIを使った「デジタルツイン」(現実の建物や製品などを、デジタルの仮想空間上で精巧に再現する技術)による取り組みを試みます。
研究チームが開発したのは、AIを使った保存評価の仕組み。AIそのものが遺跡を修復するわけではなく、人間が保存方法を選ぶための判断材料を増やす役割を担います。
粘土の成分や含水率、地下水位、塩分濃度、周囲の環境、表面の劣化状態といったデータを組み込み、デジタル空間上でさまざまな条件を再現。粘土の配合を変えたり、湿度や塩分濃度を変化させたりしながら、「どの材料なら古代のレンガになじみやすいか」「どんな環境で傷みやすいか」を、施工前に検討できるようにしました。
従来の目視点検では、すでに起きている劣化は確認できても、これから何が起きるかを予測するのは簡単ではありません。一方、AIとデジタルツインを使えば、実際に手を加える前に複数の選択肢を比べられます。
研究チームはさらに、同じく土造りの文化遺産が残るサウジアラビアのアルウラとも比較しました。乾燥した気候、塩害、湿度変化、土でできた建物の侵食など、両地域には共通する悩みがあるためです。

最新のAIが選んだのは、昔ながらの材料
今回の研究で興味深いのは、AIを導入したからといって、遺跡を最新素材で作り直そうとしているわけではない点です。
できるだけ元の建材に近いものを使う。手を加える範囲を小さくする。そして必要なら、後から元に戻せるようにする。研究チームは、こうした文化遺産保存の考え方を守りながら、AIを「どの方法がより適しているか」を考える道具として使っています。
一方で、研究にはまだ課題があります。扱ったデータは限られており、長期的な現地観測も必要です。同じ方法がモヘンジョダロ全体や世界各地の遺跡にそのまま使えるとは、まだ言い切れません。
それでも、発掘されてから100年以上、「見つけた後、どう残すのか」という難題と向き合ってきたモヘンジョダロに、新しい選択肢が加わったことは確かです。
5000年前の街を守るために、最新のAIが調べているのは、その土地に昔からある土。古代と最新技術の意外な組み合わせが、これからどんな形で遺跡を守っていくのか注目です。

