キルギスでキリギリス探してみた:できるかな?(2/3 ページ)
日本からはソウルで飛行機を乗り継いで、隣国カザフスタンのアルマティに入った。アルマティからビシュケクまでは約240キロ。マルシュルートカと呼ばれる乗合のミニバスに乗って国境を越えた。ロシアやトルコ経由ならば空路で直接ビシュケクへアクセスも可能だが、乗り継ぎ時間が合わず料金も割高だったので、あえて陸路で訪れることにしたのだ。
誤解を恐れずに書くと、旧ソ連と聞いて身構える気持ちは少なからずあった。かつて訪れた社会主義的な国々の旅では、いろいろと苦い思い出もある。特に国境は鬼門で、こちらに何ら非がなくとも油断はできない。運が悪いと賄賂をせびられる、などという噂もちらほら耳にする。内心ビクビクしながら入国審査の列に並んだのだが、結果的には過剰な心配であった。拍子抜けするほどに、アッサリと入国できてしまったのだ。
キルギスに着いてまず最初に驚いたことを書くと、この国は中央アジアの中でも屈指の親日国なのだそうだ。日本人のパスポートであれば、入国に際しビザは不要である。それも、目的や滞在日数を問わずビザが要らないという(60日以上の滞在の場合、現地にて登録は必要)。この点、中央アジアの他の国々と事情が異なる。例えば今回ついでに訪れたカザフスタンなどは、渡航前に大使館できちんとビザを取得しなければならない。また他の諸外国籍の多くはキルギス入国へあたってビザが必要であることからも、日本人が特別優遇されていると言えるだろう。
国境を越えたら街路樹の緑が目につくようになったのも、ささやかな発見だった。旧ソ連の街というのは、それとすぐに分かる特徴がある。だだっ広い道路にスクエアなビル、そしてこれ見よがしにあちこちに国旗が掲揚されている街並みを過去に何度か経験してきた。街の設計自体が、我々の発想とどこか違う。旧ソ連ではないが、北京あたりを想像して頂ければイメージが湧くかもしれない。ワンブロックだからと歩き始めたら、いつまでも目的地に辿り着けず、地図で縮尺を確認しなかった過ちを呪いたくなるような、規格外のスケール感とでも言えばよいだろうか。
その意味でいえば、キルギスの首都ビシュケクは趣が少し異なる印象を受けた。道の広さや無機質な建物こそソ連を感じさせるが、目に映る風景はどこか優しい。それは街路樹の緑のせいだけではないと、追って気がつくことになるのだが、まずはキリギリスである。安請け合いしてしまったものの、率直なところ、暗闇の中で落としたコンタクトレンズを探すような心境であった。まるでアテがないのだ。
ぶらぶらと街歩きをしながら、僕は積極的に視線を下方に送るようにしていた。綺麗に整備された植え込みには、真っ赤なバラや、名も知らないビビッドな色調の花々が咲き乱れている。それらを写真に収めるついでに、それとなく地面に目を向ける。キリギリスはおろか、動くものは何ひとつ見当たらない。一国の首都としては「田舎」としか形容のしようがない、のんびりしたところではあるが、仮にも近代的な「街」である。考えたら、東京で昆虫を探してなかなか出合えないのと状況はさして変わりない。早くも白旗を揚げたくなってきたのだった。
街ゆく若者たちは垢抜けて見えた。広過ぎる道路を円滑に渡るためなのか、交差点のある道路の下には通路を兼ねた地下街が発達しているのだが、入口の一番目立つところには携帯電話会社の大きな広告看板が掲げられている。街角で最新のスマートフォンをいじっているような、日本と何ら変わらない光景にも目を瞬かせた。彼らに訊いてみるのもひとつの手かもしれない。「キリギリス、知りませんか?」――いささか勇気の要る質問である。けれど仮に勇気があったとしても、それは困難なミッションと言えた。
キルギスはロシア語圏である。公用語としてはこの国独自の言葉もあるが、看板の文字などは基本ロシア語のようだった。旧ソ連の旅となると毎度そうなのだが、とりわけ大変なのが言葉の問題だった。英語の通用度が恐ろしく低いのだ。なかば予想していたことだが、やはり話しかけても要領を得ない。ロシア語なんて、「ハラショー」や「スパシーバ」ぐらいしか知らない身としては、赤子になったようなもどかしさが募るのだった。
とはいえ、単純なコミュニケーション程度であれば、ロシア語など分からずとも案外なんとかなってしまう。カザフスタンからローカルの移動手段で国境を越えてキルギスへやってきたが、まるで言葉が通じないにもかかわらず、何ら不都合はなかった。人々はみなおおらかで、非常にフレンドリーな印象だった。困ってオロオロしていると、誰かが「あそこへ行けばいい」などと救いの手を差し伸べてくれるのだ。そうでなかったとしても、観光して、食事をして、買い物をするぐらいなら、実際には言葉の壁なんてあってないようなものだろう。
しかし探し物となると、話は違ってくる。途端にハードルが高くなり、僕は天を仰ぐしかなかった。持参したロシア語の会話帳の索引をチェックしたが、キリギリスのロシア語訳なんて載っていない。もしかしたら写真のひとつでも用意してくるべきだったのかもしれないが、旅立ちに浮かれていた頭には、そんなナイスなアイデアが過ぎるわけもなく……ああ、困った。
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