アシュトン・カッチャー版「スティーブ・ジョブズ」が描いたもの、描かなかったもの
これから多く出るであろうジョブズの映画の決定版となるか。MacUser編集長などを務め、ジョブズを見続けてきた松尾公也氏による映画レビュー。
映画「スティーブ・ジョブズ」が11月1日から日本でロードショーされる。その試写を見てきた。
アシュトン・カッチャーの演技は本物だ。ジョブズがこの映画を見たら、次の基調講演で自分が登場する前にダミー・ジョブズとして登場させるだろう。「Pirates of Silicon Valley」でジョブズを演じたノア・ワイリーの代わりに。
しゃべり方はかなりうまく真似している。冒頭の歴史的プレゼンシーンは、声のピッチがちょっと低いのを別にすれば、本物との区別はなかなかつかないだろう。Macintosh開発チームを乗っ取り、激しく鼓舞するところは、現実歪曲空間を再現している。
北京で行われたMacworld Expoでの林信行さんリポートによれば、カッチャーはジョブズの人間としての本質に迫る表現をすることを目指したそうだ。ジョブズと交流のあった人とも実際に会い、彼なりのジョブズ像を構築していった。その努力の成果は十分に出せていたと思う。
映画の作り方としては、切り口が斬新とかは特になくて、とてもオーソドックス。分かりやすい伏線、可能なまで似させた演技、ルックス、性格やエピソードを類型的に割り振っている。そのため、時系列的にあきらかにおかしい部分も散見される。わりを食ったのがウォズだ。優しいというより小心者でプレゼン下手なキャラに矮小化され、ジョブズをより偉大に見せるための道具とされている。腹をたてるのも無理ない。でも、現実歪曲空間はジョブズ自身にも影響しているので、彼の目を通せばこういうふうになっていたのかもしれない。
一方、ビル・アトキンソンとジョナサン・アイブはいい役を割り振られている。似てないけど。
冗長に思えたのはLSDのところくらいで、あとはだいたいサクサクすすむ。というか、そうせざるをえない。ジョブズ、Appleの歴史においては、つなげるべき重要なドットが多すぎるのだ。はしょるにはあまりに惜しいエピソードばかり。だから、製品でいえばiPodまでしか描けず、ウォズとの出会いもNeXT創業もPixarもすっとばすくらい切り詰めても2時間オーバーとなってしまうのだ(128分ある)。
「Pirates of Silicon Valley」はMicrosoftのApple出資まで、今度の映画「スティーブ・ジョブズ」はiPod発表まで。その死までを描くのは別の作品になる。実際、この監督は、「これからたくさんジョブズの映画は出て来る。これはその決定版にしたい」と述べている。ジョブズ映画として2つを比べれば、こちらに軍配は上がるだろう。
ただ、ジョブズに忍び寄る死の影、膵臓ガンとの戦い、家族の支え、その中でのiPhone、iPadの発表、いったんは完治したかに見えた(もしくはそう装った)段階でのスタンフォードスピーチ、2011年WWDCの基調講演が終わった後、ローリーンに頭をあずけるジョブズは描かれていない(参考:DISPLAY BLOG)。
カッチャー版ではiPodを持つところが最も老いたジョブズだが、髭面とはいえ、まだふっくらしている。膵臓ガンを患ってから急激に痩せ細っていくさまを演じるのは不可能に近い。CGでもできるかどうか。それまでのそっくりっぷりと比較すれば、この時期を外した判断は正解だろう。
ウォルター・アイザックソンによる公式伝記をベースにした映画が制作されたなら、そちらが決定版になるのは間違いない。しかし、あれだけの内容を時系列で網羅するとすれば、たいへんなボリュームになるはずで、前・後編、もしくは3部作にすべきかもしれない。年代別に役者を切り替える必要すらあるかも。
3部作にするならば、Pixar買収の件でジョブズとの関係も深いジョージ・ルーカスに監督してもらい、取締役会から追いつめられたギル・アメリオが「助けてスティーブ・ジョブズ、あなただけが頼り」と言うところから始めるという手もあるのだが。
ジョブズをロックスターとして描くロックオペラやミュージカルはどうだろう。ジョブズが「ライカ・ローリン・ストーン!」と歌いながらiPhoneを紹介するシーンとか。その線のプロットは考えてあるので採用の際には連絡いただきたい。そういえば、あれから2年が経とうとしているのだ。その間に、ぼく自身はローリーンの気持ちがよく分かるようになってしまった。
うちに帰ったら、Apple II、Lisa、Macintosh、iMacに「ぼくらの時代を描いた映画が生まれたよ」と報告しておこう。日本を舞台にした映画もほしいね。そのときは富田倫生さんの「パソコン創世記」を原作にしてほしいな。
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