“人生を繋ぐ漫画”『ハイキュー!!』は何を描いてきたか 最終回記念1万字振り返りレビュー(2/2 ページ)

» 2020年07月24日 20時00分 公開
[松村生活ねとらぼ]
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人生は高校3年間だけじゃない――負けても負けても人生は続くということ

 次に、特徴の3点目、「高校の部活動3年間で成果を出すような話ではない」という点について考えていく。『ハイキュー!!』は学校の部活動を中心とした作品だが、負けてもその時未練が残っても学校を卒業しても、人生はそのまま続いていくし、その人生のどのタイミングでもバレーボールという競技にまた関われるということを繰り返し描いている。

 「今だけじゃない」というメッセージは、個人的にすごく重要なポイントだ。私は線維筋痛症、難治性うつ(一部統合失調症の症状あり)、メニエール病など、いろいろな病を抱えており、新型コロナウィルスの蔓延も影響して、現在ほぼ家から出られない状態にある。しかし割と常に現在の状態に満足しながら、未来に向かって生活している。

 バレエ(踊る方)や体操、合気道等、運動が大好きでいろいろやっていた頃の私に今の状態を伝えたらギョッとするかも分からないが、もうほとんど付き添いなしには出歩けない状況になってからの方が、得たものは大きい。昔の状態に戻りたいと思うことはない。常に人生のピークはこれからずっと今より先だと根拠もなく信じて、楽しみにわくわくしているからだ。

嶋田の全力疾走

 例えば、29巻第260話「必死」における烏野高校バレーボール部のOB・嶋田さん(25)の例を取り上げたい。嶋田さんはスーパー「嶋田マート」で働きつつ、烏野高校の1年生ピンチサーバー・山口忠にジャンプフローターサーブを教える人物だ。

 山口はサーブする前、頭をリセットするためのルーティーンとして、会場の非常灯を注視することを意識していた。しかしその日は、「リセットの視点」である会場の非常灯が他校の旗で隠れてしまう。これではルーティーンが成立しない。

 嶋田は山口が直面した困難に気付き、2人で練習していた時にずっと「リセットの視点」に使っていた嶋田マートのビニール袋を山口の視線の先に掲げるため、汗だくで走るのだ。外から見たら何をやっているのか分からないし、他人にとっては「それだけのこと」であっても、あの2人にとっては重要なことだった。

 嶋田さんは現役時代エースでもなければスタメンでもなかった。OBになってから山口のサーブの師匠として、再度バレーに深く関わっている。周囲の視線も恥も掻き捨てて走り、笑った豚が輪切りになっている謎のビニール袋を高く掲げて山口に大声で呼びかける嶋田さんは、とても頼りがいのある師匠だった。


ハイキュー!!最終回

潔子の「最前線」

 烏野3年のマネージャー・清水潔子がメインの回も重要である。

 私自身は男子運動部になぜ女子マネージャーが要るのか(女子運動部には男子マネージャーは基本いないのに)という時点でもやもやするし、清水がとりわけ「美人だ!」「クールビューティーだ!」と周囲に騒がれたりする描写も全然好きではない。でも26巻の第232話「戦線」は良かった。

 清水は元々陸上のハードル走の選手だったが、大会で転び、中学で競技を引退している。「練習して練習して積んできたものは想像以上にあっけなく終わる」ということを知っている人物なのである。この回は、日向が試合で使うシューズを駅で取り違えてしまったため、清水が走って駅まで取りに行くだけの話なのだが、「あっけなく終わる」ことを知っている清水が「それがどうした」と気持ち良く走り、「ここが私の最前線」と言い切るところがとても潔く格好良かった。

 さらに3年の清水が1年のマネージャーの谷地に日向の靴が入ったナップザックを投げるシーンで、マネージャー同士でも次の世代への引き継ぎが表されている。タイトルや台詞に戦争に関する用語が出てくるのは、第230話「それぞれの夜」で谷地が清水の脚の傷を「勲章の傷」と表現したためと考えられる。

すべての人にスポットライトが当たる

 稲荷崎戦において、コーチの烏養繋心が日向への指示に出してくる例えは音駒高校1年の犬岡だったりするし(29巻257話「正当」)、日向が「一番嫌だったブロック」を思い出し参考にするシーンで出てくるのは青葉城西3年の松川だったりする(29巻258話「経験値」)。スタメンではなく、何かと空気になりがちな烏野高校2年の木下は、烏野の守護神である西谷の練習に付き合い支えた「ヒーロー」だった(31巻第278話『守護神のヒーロー』)。

 『ハイキュー!!』は「使い捨て」の脇役がごく少ない漫画であり、みなどこかでスポットライトが当たる。敗退しても戦った相手の記憶に残り、その技術はまた後の試合で生かされる。試合に負けても現役を引退しても指導者になっても、何歳になっても必死になって夢中になることがある、というメッセージは、バレーボールを愛する者だけでなく、何かと「今だけだ」と若いうちから思わされがちな社会で生きる人間にとって希望のあるものだ。

人生に無駄な時間はないのか?

 では、人生に無駄な時間はないのか? ……正直、ある。私は多分吹奏楽部に入らない方が良かったと思う。パワハラを真面目に受け入れる癖がついてしまった。大学の選択も正直間違えた。アカハラを受けた。そこで何年か働いたのもあまり良くなかった。パワハラとセクハラを受けた。その後の転職も……。

 いや、私の話はいい。確かに吹奏楽部で出会ったかけがえのない友人もいるし、大学で出会った素晴らしい恩師も先輩もいる。だが、その時期に受けた傷は一生治らないだろうという程に深い。

 『ハイキュー!!』を読んでいると「なんて明るい世界なんだ」と眩しくて尊くて、この中に私はいないと感じることもある。『ハイキュー!!』は主要キャラが死なないし、「こいつ次の回で死ぬんじゃないだろか」という不安もないし(117話では大地の負傷の程度を真剣に次のジャンプが出るまで丸々一週間心配したものの)、基本的に安心して読める、希望的な未来へ向かう人々を描いたスポーツ漫画だ。「逃げてもいい、やめてもいい」と選択肢は何度も示されるが、結局はやめずに戦うことを選ぶ勇敢な少年たちの物語だ。出てくるキャラクターも、誰もかれも大体「良い子」「良い人」だ。何か問題があっても、積み重ねによってそれは解決されていく。

 中学時代の影山のおかげでバレーボールを一生嫌いになる子が出ていても、別におかしいと思わない。でも影山は最終的にとてつもなく人間的に成長し、中学時代のチームメイトとも「また一緒にバレーをやろう」と和解する。

 試合中のメンタルに非常にムラのあった梟谷学園のエース木兎も彼いわくムラムラの俺から卒業し「ただのエース」となった。「普通になったのだ」!

 では、全て解決されてしまうのか? 全部全部、大団円なのか?

 木兎は一生ムラを抱えててもいいし、影山のチームメイトに影山を許さない人がいてもいい、と私は思う。最終回、青葉城西の及川がアルゼンチン代表として、日本代表の影山や日向の対戦相手としてオリンピックに出て来たのを見た時は「なんて作者に愛されているキャラなんだ」と号泣し、感動しつつも、結局皆「明るい」未来へ進む者たちの話なのか、とも思った。これは『ハイキュー!!』という漫画に限った話ではないので、別にこれでも全然いい。漫画の構成的に流れを切るような水を差す場面を入れない方が良いという判断も分かる。

 だが実際には、新型コロナウイルスの蔓延でオリンピックは延期どころか本当に2021年に開催可能なのかも不確かだし、東峰と西谷のように世界旅行に行くことも今は無理だし、家が安全圏でない人間はDVにさらされたり殺されたりしているし、昔ながらの個人経営のお店はどんどん潰れるけど政府からの補償は皆無か雀の涙だし、何度災害が起こっても国は人を助けずに、利権でしかない謎のキャンペーンを進めようとしているし、本当に嫌な世の中になっている。

 全ての人間を鼓舞するような物語はそうそうないと十分分かっているが、「今この瞬間も『バレーボール』だ」(41巻365話)と、日向が試合の途中退場を受け入れたように、折れずに、いや何度折れても立ち上がり、生きていける人間ばかりの世の中では、もうなくなっている。いや、ずっと前からそうだった。

 「たかが部活」と立ち止まっている月島蛍に発破をかける山口忠も、その月島の疑問に真摯に答えてくれる先輩たちも周囲にいなかった月島は世の中にたくさんいるだろうし、自らをバレーボールのために追い詰める昼神幸郎に「やめればいいんじゃね?」と言ってくれた星海光来は、誰にでも駆けつけてくれるわけではない。無償の過重労働である部活の顧問を喜んで引き受けてくれる武田先生のような人物が、どこの部活にもいるわけではない(し、給料の出ない部活動にここまで熱心に関わることを美談のように描くのは違うんじゃないかと私は思う)。

 目指していた大会も中止になり、誰とどう過ごしても「ソーシャルディスタンス」が頭をよぎり、部活動も十分に出来ない状態の、コロナの時代の子どもたちに、この明るく美しい漫画はどのように見えるだろうか、と若干心配になる最終回だった(しかし、オリンピックの場面で終わりではなく、次の試合、次の次の試合も想像させる終わり方は大変良かったと思う)。

 今この瞬間にも意味がある、自分のピークはいつもいつも今じゃなくこの次だ、これから何度も何度も好きなことに必死になり楽しくなる場面があると、物語全体で伝えてきた『ハイキュー!!』だが、私個人としてはあの過去の苦しみも今なお残る傷も、「決して無駄じゃなかった」とは到底思えない。「すべてに意味がある」と思いたくない読者には若干疎外感を覚える漫画だったかもしれない。ついつい素晴らしい物語構成に感動して、「あの時間は無駄じゃなかったんだ!」と存在しない青春を妄想出来るので、それはそれで楽しいのだが……。ここに、私の読者としての葛藤がある。

『ハイキュー!!』以後の少年漫画へ向けて

 私は『ハイキュー!!』という漫画がクソ大好きだが、どの漫画においても大体手放しで褒める、ということがおおよそ出来ない。ジャンプを長年読んでいる中でも、特に女子の扱いにもやもやする漫画は実に多い。『ハイキュー!!』における女子マネージャーの扱いは他のジャンプ漫画に比べて随分マシだと思える部分もたくさんあるが、ただマシなだけである。

 『呪術廻戦』(芥見下々)を筆頭に、最近だと『ミタマセキュ霊ティ』(鳩胸つるん)、『アンデッドアンラック』(戸塚慶文)、あるいは別冊マガジンの『進撃の巨人』(諌山創)、チャンピオンの『僕の心のヤバイやつ』(桜井のりお)、『魔入りました!入間くん』(西修)、『吸血鬼すぐ死ぬ』(盆ノ木至)など、女子を単なるサポート役や恋愛対象、他校にマウントを取るための道具ではなく、常に人間扱いする少年漫画は多数出てきている。

 『ハイキュー!!』は、排球というボールを落とさずに次の人間に繋いでいくという競技の部活動とその後の人生を繋ぐ画期的なスポーツ漫画であり、人間関係の断裂や修復、緊張、個々の成長、どちらかが死ぬまで永遠に続くようなバディやライバル関係を描く素晴らしい作品だった。私は『ハイキュー!!』で「この次は何があるだろう?」というわくわくを得たため、今後また『ハイキュー!!』を超えるようなスポーツ漫画が出てくることを期待しているし、出て来たらまた何年もかけてハマるかもしれないな、と思っている。


ハイキュー!!最終回

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