ディズニーの実写版「美女と野獣」はいかに画期的だったのか その躍進と見過ごされた“大きな課題”(1/3 ページ)
評価するポイントと訴える課題とは――。
6月9日の21時から、「金曜ロードショー」(日本テレビ)でディズニーの実写版「美女と野獣」が放映されます。同作は「ハリー・ポッター」シリーズで人気のエマ・ワトソンが主演し、日本では累計興行収入124億円の大ヒットを記録しました。
実写版「美女と野獣」についてジェンダー観やダイバーシティの観点から画期的でその達成は認められるべきとしつつ、ある課題を抱えていると論じるのが、英文学者の河野真太郎さんです。河野さんは専修大学国際コミュニケーション学部教授で、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版)や『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)などの著書で知られます。果たして、河野さんが評価する同作のポイントと訴える課題とは――。
(文: 河野真太郎 編集:上代瑠偉)
アニメーション版「美女と野獣」の画期的さ
「美女と野獣」は、1991年にディズニーがアニメーション映画を製作し、ほぼ四半世紀後の2017年に同じくディズニーが実写映画化しました。アニメーション版の時点で、ジェンダー的な意識の高い作品でしたし、実写版はそれをさらにアップデートしたと言われています。
ディズニーアニメーションのいわゆる「ディズニープリンセス」の歴史は、最初の長編映画である1937年の「白雪姫」から始まりました。「ナイン・オールド・メン」と呼ばれるアニメーターたちが中心とした支えた第1期の黄金期(あくまでメン=男たちであったことがポイントですが)であり、「シンデレラ」(1950年)や「眠れる森の美女」(1959年)といった名作を世に送り出しています。
(※編注)ナイン・オールド・メンが参加した作品には「白雪姫」「シンデレラ」「ふしぎの国のアリス」「ピーター・パン」が挙げられます
この時期に描かれた物語はパターンが決まっており、「女性が運命の人(白馬の王子様)に出会い、結婚をして末永く幸せに暮らしましたとさ」というものです。つまり、当時の「福祉国家下での専業主婦」願望をあおるようなものだったと言えます。
その後、ディズニーアニメーションは1966年のウォルト・ディズニーの死去もあってしばらくの不調を経た後、1989年の「リトル・マーメイド」からの約10年間、「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれる第2期の黄金期を迎えます。
この時期には、かつての「シンデレラ・ストーリー」は見直されることになります。というのも、1960年代から1980年代は、いわゆる第2波フェミニズムが盛り上がった時代でした。そのような社会的な変容を踏まえ、「王子様に守られて末永く幸せに暮らす」という画一的な女性像に疑問が投げかけられたのです。
ディズニー・ルネサンス期の女性像の特徴を一言で言えば、父の制限・抑圧のもとから解放されたい、という「自由」への憧れでしょう。ルネサンス期の第1作で、6月9日に実写版が公開される「リトル・マーメイド」がまさにそういう作品でした。主人公の人魚アリエルは、父の王トリトンに抑圧されながらも、地上への憧れを抱き続けます。
ただし、「リトル・マーメイド」は、単なる「女性の自由の物語」ではなく、その結末は旧来的なパターンに落とし込まれるものでした。つまり、何からも「自由」になるわけではなく、最後には王子様(エリック)との結婚という結末を迎えるのです。
それに対して、続く「美女と野獣」は、さまざまな点でフェミニズム的な要請に応えるものになりました。まず、主人公のベルは本好きで、村では変わり者扱いという設定です。この時点ですでに、旧来的な女性像から逸脱しています。
そして、「美女と野獣」は最終的にはベルと野獣が結婚へと向かう物語ではあるものの、第1期黄金期の結婚とはかなり質が異なります。重要なのは、ベルが野獣の人格を変えていくことでしょう。
野獣は傲慢で利己的なため、野獣に変えられており、物語の始まりでは怒りっぽく、コミュニケーション能力も低い、最近よく聞く言葉を使えば「有害な男性性」の持ち主でした。そういった性格が、ベルとの出会いによって変化していきます。
ベルは、単に偶然に出会った完璧な王子様と結婚するわけではなく、結婚相手の人格を変化させ、そしてこれはこの作品の主題そのものですが、見た目ではなく内面に恋をして結婚するのです。2人の間にはある種の対等性が生まれていると言えます。
原作との設定の違いが現代性を支えた
もう少し深掘りするなら、原作と比較しても「美女と野獣」の現代的なジェンダー観は際立つかもしれません。
「美女と野獣」は、フランスの民話が元になっています。そして、この物語を現代に伝わる形にしたのは、18世紀に書かれた2種類の「美女と野獣」でした。
1つは1740年にフランスの作家であるガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴが書いたもので、それを1756年に子ども向けの短い教訓譚にしたのが同じくフランスの作家であるジャンヌ=マリー・ルプラン・ド・ボーモンです。
現代の「美女と野獣」は基本的に後者のボーモン版をベースにしています(ヴィルヌーヴ版の複雑な設定はそれ自体とても面白く、白水社より翻訳本も出版されているので興味のある方はぜひ)。
「美女と野獣」はディズニー版以外にも少なくとも2回映画化されています。ディズニー版にも影響を色濃く与えたのが、詩人でもあるジャン・コクトーが監督した1949年のフランス版です。また、近年では2014年に再度フランスで映画化されています。コクトー版も2014年フランス版も、設定は比較的原作に忠実です(2009年にもオーストラリアで「美女&野獣」という映画が作られていますが、これは翻案でしかも失敗作と言っても良い作品のため、ここでは詳しく言及しません)。
原作とディズニー版との大きな違いを整理すると、次のようになります。
- 原作ではベルの父は商人で、商品を積んだ船が遭難して財産を失い、一家で田舎にひっそり暮らしている。一方で、ディズニーのアニメーション版では父は発明家とされ、実写版では母が疫病で亡くなったという設定が追加された。
- 原作ではベルには2人の姉と3人の兄がいるが、ディズニー版ではひとりっ子。(私の見るところでは、意地悪な姉たちは悪役ガストンの追っかけである3人の村娘たちに設定が引き継がれています)
- ディズニー版には登場人物に悪役ガストンが追加されている。
これらの違いは、ディズニー版をより現代的なジェンダー観に押し上げたと言えます。なぜでしょうか。
原作の『美女と野獣』はコクトー版などを見ていただければ分かりますが、異種婚姻譚の形を取りながら、実は「階級違いの結婚」を主眼とする物語です。
商人階級であるベルの父は、船の遭難によって危機に陥っています。そして、野獣の城で食事をむさぼり、バラを盗もうとした父の悪徳と罪をなかば肩代わりするのが、父親思いのベルなのです。ベルが家族の中でもただ1人父親思いであることは、強欲で自分勝手な姉たちとの対照で表現されます。
このような文脈で、野獣との結婚は、危機に陥った商人階級であるベルの一家を、ベルが階級違いの階級上昇的な結婚で救い出すことを意味したのです(原作では野獣は他の国の王子で、ベルは最終的にその国に嫁いでいくことになります。利己的な姉たちは石像に変えられるという恐ろしい結末です)。
この階級違いの結婚は近代的な現象です。封建制が終わり、近代の市民社会が生まれつつあった18世紀から19世紀には、階級違いの結婚をどう捉えるかが大きな主題となり、それにまつわる物語が大量生産されました。
私が専門としているイギリス文学でも、19世紀には『高慢と偏見』で有名なジェイン・オースティンの小説(その多くは、主人公の女性が少し階級が高い男性と結婚することで物語が終わります)や、女性家庭教師と貴族の恋愛を描いたシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』などがあります。
少し遠回りしましたが、ベルの結婚は対等な人格同士の結婚であるどころか、家を救うための政略結婚と言っても良いものです。ベルの「父親思い」という美徳は、その文脈ではかなり違う意味を持ってくるでしょう。フェミニズム用語を使えば、「家父長制」の温存という意味を持つのです。フェミニズム的な「個人の自由」の理念からはかけ離れています。ディズニー版での父が発明家という階級制度から奇妙に逸脱した謎の職業で、兄姉がいないという設定変更は、ベルを家族と家父長制の呪縛から解き放ちました。
アニメーション版では家族の設定だけではなく、父がバラを盗むというモチーフが削除され、ベルの父は単に城に侵入した過ちで監禁されます。原作ではバラを盗むという父の悪徳は、彼の商人としての階級的な危機を象徴していましたが、その要素が取り払われることで、ベルの「父親思い」は家父長制の温存ではなく、単なる個人的な愛情なのだということにされたのです。
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